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嫉妬と私の距離感

    私は「嫉妬」という感情をあまり意識することなく大きくなった。

    末っ子だったから、下の子にお母さんを取られる不安も経験したことがない。

    歳の離れた兄や姉に対して抱いた感情の多くは、色んなことができてすごい!という憧れだった。

    たまたま勉強と運動が得意な方だったので、学校生活という枠の中ではあまり苦労しなかった。

    環境要因と、遺伝要因(持って生まれた性格や得意不得意)のおかげで、幼少期に「嫉妬」という感情を意識した記憶はほとんどない。

    小学校の頃、女の子達が「あの子、ぶりっ子してるよねー」と誰かのことを噂しているのを聞いて、何のことを言っているのか全く分からなかった。

    しばらく経ってから「そうか、この子達は男の子に好かれたくて、好かれてる女の子がうらやましかったのか」と頭で理解した。

    高校生になって成績が下がったり、生徒達の中で明確にカースト的なものができてくると、今振り返れば若干のモヤモヤ感が自分の中を通り過ぎることはあったように思う。

    それでも、これまで自分の中に生まれた感情に「嫉妬」というラベリングをしたことは少ない方かもしれない。

    でも、「嫉妬」に近い感情なら、社会人になり主婦になってからはもううんざりするほど、それに溺れて息が詰まりそうなほど経験してきた。


    「劣等感」だ。


    どんどん昇進していく同期。
    ママになっても仕事を続け、結果を残している友人。
    NewsPicksか何かで見かけた、外資系企業でバリバリ働きながらモデルの仕事もしてる才色兼備の女性。

    そういうものを見たり聞いたりした時に、一瞬で心の中を埋め尽くす暗く重たいもの。

    私は、劣等感については強烈に意識してきたけど、嫉妬という感情については、あまり意識したことはなかった。


    なぜだろう。


    戦うことをはじめから放棄してたからかもしれない。

    努力しなくても自分が勝てそうなフィールドを何となく選び続けてきた。

    自分が劣勢な状況を、あの手この手で覆しにいくということをしてこなかった。

    だけど社会に出たら、楽に勝てる戦いなんて、どこにも無かった。

    私は、そういう類の戦いをどう戦えばいいのか、全く分からなかった。

    そして負けるたびに肥大していく劣等感になす術なく、ただただ怯えてその場にうずくまり、震えるばかりだった。


    たぶん嫉妬というのは、劣等感を受け入れたくない、負けたくないという思いの表れであり、劣等感のある状態をどうにか変えたいと願う心の叫び。

    劣等感を原動力に人を動かすエネルギーをもつ感情。ネガティブな色味を帯びているけど、強い力。

    戦おうとする力。

    戦いを避けてきた私が「嫉妬」を意識することが少なかったのは、当然のことかもしれない。




    私は、やっぱり競争が苦手だ。

    失敗を恐れずどんどん戦いを挑んでいく自分をいくらイメージしようとしても、どうしてもうまくいかない。

    でも、心に棲みついた劣等感をひとつずつすくいあげて、自分の心が求めている変化と向き合って、自分に踏み出せる大きさの一歩を積み重ねていくことなら、できそうな気がする。

    それができた時、私と「嫉妬」との距離感は、変化しているだろうか。

    劣等感を力に変える「同志」みたいな関係であれたらいいなと思う一方で、今度は「嫉妬」に振り回されてる自分も、ちょっとだけ見てみたいような気もする。


    おわり



    ※こちらの企画に参加しています。

     
     
    5人の子のママ。 都会から地方に移住し、豊かな自然の中で子育てしています。

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