
ミセスのMV炎上から考える
こんにちは。Xの投稿で反響があった内容を、取り急ぎこちらにも投稿いたします。
以下本文
ジェンダー論の授業に出たことがあるだけの大学生ですが、今回のMVの件で考えたことを書いてみます。
SNSでよく見る「相応の努力をしている」「他人の仕事をバカにするな」という擁護は、「個人の努力」と、いわゆる夜職の業界構造の問題を勘違いしていると思います。
まず大前提として、現場で働く女性が過酷な環境で努力していること自体は否定しません。問題視しているのは、働く個人ではなく「夜職というビジネスの構造」と「それをメディアや国民的バンドがキラキラと美化することの危うさ」です。
キャバクラやホストは、自分の感情や好意を切り売りする究極の「感情労働」であり、若さや性別そのものに値段をつける「性の商品化(性搾取)」の構造の上に成り立っています。どれだけ個人が努力して稼いでいようと、その産業が抱えるリスクや搾取性が消えるわけではありません。「本人が努力しているからいいじゃないか」という理屈は、背景にある社会問題を覆い隠すための典型的なロジックになってしまっています。
では、なぜそれが「社会全体の女性の人権問題」につながるのでしょうか。 「女性の容姿や愛想に値段がつき、男性客に『選ばれる』ことで価値が決まる」という世界を、影響力のあるポップカルチャーが「普通の憧れの仕事」「自己肯定の物語」として肯定・美化してしまったらどうなるでしょうか。
社会全体に「女性の価値=若さと愛嬌、男性を立てること」という歪んだジェンダー観が刷り込まれ、再生産されてしまいます。その結果、夜職とは無関係な一般の職場や日常生活においてすら、女性が対等な人間としてではなく「場を華やかにするホステス役」や「男性から評価される客体」として扱われる風潮が強まってしまうのです。
もし今回のMVの主役が、女性に色恋を仕掛けて大金を使わせる「ホスト」だったら、同じように「努力している美しい物語だ」と無邪気に絶賛できたでしょうか?
近年はキャバ嬢が雑誌やテレビで持て囃され、感覚が麻痺している方も多いですが、性別を商品化するビジネスを「普通の社会的な職業」として無批判に肯定することは、巡り巡って世の中のすべての女性の尊厳や人権を傷つけることにつながります。
だからこそ、働く個人を叩くのではなく、それを都合よく「美しい物語の装置」として消費する表現と社会の側を批判するべきだと考えています。