忘れても忘れなくても
忘れたきこと忘れること無きやうにリマインダーは野に赤く咲き
秋分の日あたりに、毎年決まって咲く彼岸花ですが、近くでよく見ると、どこか一部色が脱けていたり黒ずんでいたり、端折れていたりと、
繊細なフォルムであるだけに、仔細な欠けが痛ましく見える花のかたちです。
夏ゆけばいつさい棄てよ忘れよといきなり花になる曼珠沙華
(今野寿美) 敬称略
はじめてこの歌を見た(読んだ)時、ちょっと暴力的にも思える、迫力というか凄みに、なんというか、口が開いてしまう感じでした。
この作者の方は、宮中歌会始選者だそうで、そういうビッグネームの方の作品について、私なんかがすごいって言うこと自体、失礼にあたるかもなのですが。
「棄」の字が、彼岸花(曼殊沙華)の花の形に似てるんじゃないか、
て、とこから着想を得た歌か?と、勝手に想像が膨らんだり。
この歌が、棄てる(ものごとを忘れる)方向の意志を謳っているのに対して、私が彼岸花を見て想起したのは、忘れる忘れないのはざまでうだうだしている状態の方で、
往生際の悪い自分の性根が、こんなところにも出てきてしまってる、と、げんなりしました。
ところで、「忘れる」時に、頭の中で起こっていることについて考えてみると、
何かを忘れても、そのことが、きれいさっぱり脳内から消滅するわけではなく、並べて置いてあった棚や抽出しの、奥に落ち込んで見えなくなった状態、ではないかと思うのです。
だから、
たとえば、ラジオから流れてきた歌に記憶を引き摺り出されて、
「なんでこの曲知ってるんだろ?」と、思いつつ、フルコーラス歌えてしまったり、
なかったことにしていた記憶の、フラッシュバックに悩まされる、
でなんてことが、起こるのではないでしょうか。
そういえば、今朝のラジオで
「彼岸花って、いきなり咲いて、あっというまに消えてなくなる」という、リスナーからのお便りが読まれていて、
今野さんの歌のように、いきなり花の姿で現れる彼岸花は、姿を消す時も唐突で、「消えてなくなる」ように見えるものの、
実際には、花のあとには葉の束が伸びるし、葉が枯れても多年草なので、株は土の中に存在したままで、次の開花を待ちます。
ああ、これってなんだか、消えては無くならない、「忘れる」ことに、似てる気がするのですが。