
ローカル転勤族子供部屋おばさんの住宅事情
子供部屋おばさん(おじさん)という言葉。
どうしても揶揄するニュアンスがあるので好まない方もいるかとは思いますが、私自身を表すのに非常にぴったりな概念だと思っています。
なので今回の議題は『在り方が子供部屋おばさんたる私の住居事情』、その心情と今後についてです。
本文に入る前にご留意いただきたい点について述べますね。
今回『子供部屋おばさん』という表現が現れますが、それはあくまで私が、私自身を評するために採用する言葉選びです。
私と近しい環境、心理状態にある方を『子供部屋おばさん(おじさん)』と蔑む意図は一切ございません。
ついでに言えば、私より年長の女性を問答無用で『おばさん』と定義する意図もないので合わせてよろしくお願い申し上げます。
では、おばさんの生態観察をしてやってもいいというお方はこの先へどうぞ。
これまでひたすら実家に住み続けた理由
私は現在、新潟県内某所にアパートを借りて住んでいます。もちろん場所は明記できませんが、実家から車で数十分かかる場所。
毎週……ではないですが頻繁に実家に顔を出しています。読み終わった本を実家の自室に格納するためだったり、実家から持ち出す必要性が出てきたものを取りに行ったり、親に渡すものがあったり、実家のうさぎ成分が切れたことによる禁断症状が出てきたためだったり。
そして家で余っている牛乳やみかんを恵んでもらっています。そう、全く自立していないのです!
だから、自腹で別に部屋を借りていようがマインドが子供部屋おばさんなんです。一人暮らしごっこ、なんですよね。
私が一人暮らしごっこを始めるに至った経緯を順を追って語っていきます。
実家付近数キロ圏内で完結してきた人生
人生の序盤に一人暮らしを始める契機としてポピュラーなのは『進学』だと思っています。
地域と環境と目指す進路によりますが、多くの一般日本人にとっては成人の第一歩を踏み出す時点での進学、つまり大学や専門学校に入学するタイミングでの一人暮らしデビューが多いのではないでしょうか。
しかし、私にとってその選択肢は取り得ないものとなりました。
なぜならば、どう考えても自宅暮らしが最適でしかないド地元の大学に進学したためです。
どれくらい地元かというと、自転車通学がベストな程度に……です。
私の志望学部と、学力と、実家のお財布事情的に、ここにしか進学することができませんでした。
なので幼少時から集めに集めた漫画やぬいぐるみコレクションに囲まれ、ママの美味しいごはんを享受しながら、せっせとサイクリングして大学に通っておりました。
そして就職のタイミング。
ここもまた、住環境的にも新生活に踏み出す人々が多く現れる転機かと考えます。
しかし、ここでも私は子供部屋お姉さん生活を続ける運びとなりました。
なぜならば、ド地元の企業に就職したからです。
……ド地元、なのですが。私の就職先は県内にある程度の数の店舗を持つ某薬局チェーン。
そう、私はローカル転勤族となったのです。
このローカル転勤族という働き方こそ、私の住まいを縛る大きな要因となりました。
私の会社における転勤は不定期に、あんまり拒否権なく、いきなり被せられるものです。
転勤させられる範囲もそこそこ広い。車で一時間くらいは通勤圏内とみなされる(※)。そこそこ、の距離感を超えて転勤させられるケースもありますが、そういう時は会社側がアパートを工面して家賃補助まで出してくれるので、たぶん、結構ホワイトな部類です。
(※公共交通機関で通勤するという選択肢は家・職場共によっぽど県都ど真ん中でもない限り存在し得ない。みんな知ってるね)
そして、私が新卒一発目で配属させていただいた店舗は、数ある店舗の中でも実家からトップクラスに近い立地にある支店でした。
ここで、仮に通勤時間の時短を求めて一人暮らしをしたとしてもほぼ誤差のようなタイム短縮にしかなりません。
家電一式を新たに購入し、家賃を追加で払ってまで一人暮らしする意味は……皆無じゃありませんか?
ここは意見が分かれる場所であると思います。
職場が実家近くだろうと、それでも自立したいから一人暮らしする、という方もいらっしゃるでしょうし。
どこに勤めるのであれ就職したなら実家から出す、という方針の親御さん(ご家庭)もおられるかと思います。
私はそのどちらでもありませんでした。
自立心が皆無であり、実家こそが最大にして最後の安全地帯であった私に一人暮らし願望は芽生えませんでした。
両親は『いずれ一人暮らしは経験した方がいい』とこの時点では考えていました。それであっても、実家のすぐ近くに通勤するのに独立させる、というまでの強硬な姿勢は採りませんでした。
かくして、私の『通う先が学校から職場になっただけ』の生活が始まりました。
仕事はできる限り精進させていただく。そして家に舞い戻ったら学生時代と変わらない、趣味にどっぷりと浸かる夜の時間を過ごす。
この時はまだ両親が現役で働いていたので、みそ汁だけでも先んじて作っておく、風呂釜を磨いておく、くらいの(大学時代にもしていた)『お手伝い』はしていました。しかし、家庭への貢献と言えば毎月〇万円を納入するのみで、生活の営みにおいては両親の仕事にただ乗りする生活でした。
初めての一人暮らしチャンスを見送った理由――逃げ道の確保
そして数年働き、何店舗かを転勤し巡った後、ちょっとこれまでとは異なる状況に陥りました。
実家から車で一時間の店舗に転勤が決まったのです。
ここで、店舗の近くに部屋を借りることを特に母から勧められました。
主な理由は冬季の道路状況です。確か転勤が決まったのは秋でした。
その店舗に向かうにはホワイトアウト待ったなしな雪原(本当は田んぼ)の中を突っ切る必要がありました。
何年運転しても運転センスが危うい私を母は心配してくれて、何なら冬季だけでも店舗の近くに住み着いた方がいいのではないか、と提案してくれたのですね。
しかし、私はそれを拒否し、車での一時間通勤を決行し続けました。
理由は主に二つ。
一つは『またいつ転勤になるか分からないこと』。
先に述べた通り、弊社の転勤事情は頻度も、そもそも転勤が発生するか否かもランダムです。数年ごとの異動ローテがある……などの規則正しい決まり事ではない。
誰が入るか? 辞めるか? 産休に入るか? 新店舗ができるか? 店舗内で何らかの人間関係ゴタゴタイベントが発生したか? などの因子が絡み合い突発的に発生します。
せっかく職場近くの新天地に住み着いても、またすぐに別の方角に異動しないといけなくなったら……と、引っ越し自体が無駄骨になることを恐れたのです。
(※本当に冬だけ住める家具付きウィークリー・マンスリーマンションとかもあったのかもしれないけど当時はそこまで調べなかった)
二つめ……これは当時の店舗固有の理由なのですが『逃げられなくなるかもしれないから』。
私の側も多分に問題はあったのですが、ぶっちゃけると私はこの時、パワハラを受けていました。
チェーン店、というか支店がいっぱいある企業に勤める大きなメリットの一つに『転勤により、人間関係ガチャを引き直せる』が挙げられると思います。
自分が転勤することでも。相性の悪い相手が転勤することでも。転職活動を伴わずに労働環境が変化する可能性があるのです。
一つ目の理由では転勤しちゃうことを挙げましたが、二つ目の理由では転勤できなくなることを恐れたのです。
せっかくこの地域に住み着いたのだから、この地域の子として当該店舗に根を張ってもらおう……と人事側に判断されるのを警戒しました。
私は早くその店舗を去りたかった。でなければパワハラ相手に去っていただきたかった(店舗での仕事内容そのものや、パワハラマン以外の同僚さんには何ら不満はなかったので)。
二つの逃げ道のうち、片方を潰される可能性を避けたかったわけですね。
自主的な引っ越しをした場合、その後の転勤範囲については考慮されるのか、されないのか。
構わず色んな方角に転勤を命じられるのか、逆に固定されるのか。ブラックボックスすぎてわかりませんでした。
だから私はリスク回避のための現状維持を望みました。
ちなみに。私はこの店舗にも長くは居ませんでしたが、私より先にパワハラ相手が別店舗へ移動になりました。
その後は安らいでその店舗でのお仕事を続けられました。
ついに一人暮らしごっこが始まる!
その後、また私は幾度かの転勤を経験しました。
そして今度は、以前の店舗とは全く異なる方角の、車で一時間かかる店舗に異動することになりました。
ここでこれまでになかったイベントが発生します。
最初にちょっと述べた『会社によるアパートの手配と家賃補助』を提示されたのです!
通勤時間自体は前の一時間店舗と大差なかったのに、なぜこの提案が発生したのか分かりません。
さらに言うなら、この時、提案された店舗のすぐそばの店舗に既に勤めていたのです。
つまり既に一時間通勤を行っていた。実家からの通勤を続けていた理由は先ほどの①、いつ次の転勤になるか分からないから……を採用していたためでした。
一つ目の店舗に行くときはそんな話はなかったのに、なぜこの段階で家賃補助の話が出たのか?
長く勤めてもらう予定だったから? 家賃補助が出る閾値――実家から店舗までの距離を微妙に超えた? 一つ前の店舗に勤めている間に会社の家賃云々の基準が変わった?
ここもブラックボックスです。分かりません。
とにかく、拒否権は元々あんまりないのに加え、家賃補助まで出るというホワイト申し出なら乗るのがお得なのではないか。とたくらみ。
会社が提示したいくつかの部屋候補から一番新しく、そして職場にとても近い場所を選び、家具・家電一式を購入してそこに住み着きました。
私はアラサーにして、初の一人暮らしごっこを始めたのです。
なぜごっこかと言うと、冒頭で少し語った通り。
平日はこのお得アパートで寝泊まりし、週末になると実家に帰りそこで寝泊まりしていたためです。
理由? 私がこれまでの人生で溜めてきた財産――無数の漫画とかそれ以外の本とか趣味グッズなどが全て実家に堆積していたからですよ。
もちろん、両親に甘えること、実家のうさぎさんを吸うこと(この時の子は以前の記事で触れた三代目の子ではなく、旧アイコンに採用していた二代目の子)も欠かすことのできない目的です。
親もそのスタイルを推奨してくれました。
一人暮らしは終業後が楽しい
で、この疑似一人暮らしの感想ですが……。
超! 楽しい!!
どこに楽しみを見出したかを箇条書きしていきますね。
まず一つ目、夜の時間が自由である。
もちろん実家でもとっても自由にしていました。しかし、そこには親の目線があったわけです。
例えば、夜にふらっと深夜営業している店に行く。
実家暮らしの場合でもこれは咎められません。一応成人なので。でも『何で?』という目線は突き刺さります。
仕事から帰ったら、夕食を摂ってお風呂に入って寝る。もう外には出ない。掟ではないけれど、なんとなくそういう空気があったのです。
私も空気がどうこう以前にそうしたいという気分に、自然となっていました。退勤の過程で疲れるし時間がかかるので。用がある店には退勤中に寄り道するけれど、家に入ったらもう一日は終了。趣味活というメインディッシュは残っていますが、翌朝があるのでそんなに時間を割けない。
しかし、誰の目も届かない、そして職場からも近い……となると、活動パターンにもっと自由度を加えてもいいんだな! という気持ちになります。
夜も更けた後に突然思い立って、買い物や外食に行ってもいい。
同人誌製作に注力したい日は夕食キャンセルしてもいい(ただし間食はする)。
私が住むことになった土地がなかなか栄えていて色々なお店があるエリアだったことが大きいと思いますが(県内比)、夜でも色んなことしたい・行きたいな、と思えることが楽しかったですね。
一人暮らしは食が楽しい
二つ目、食のチャレンジができる。
まず前提として、私は実家暮らしの間、朝食と夕食の全てをママにゆだねていました。休日、時間があれば調理の『手伝い』をすることはありましたが、献立などは全て母が計画します。
……文字にすると改めて甘えがすごいですが、事実なのだから仕方がない。何を書いても薄っぺらにしか響きませんが、本当に、本当に感謝しています。
なので、お菓子の類を除き、『食べたいものを発掘する』という発想がなかった。何が食べたいか、どちらがいいかなどを親に尋ねられた時に答えたりはしていましたが、新規の食べ物を購入・提案することはあんまりありませんでした。
しかし、一人暮らしをするなら食事の全てを自分で用意する必要があります。
自炊するやる気もスキルもほとんどないので出来合いの商品、せいぜいがレトルト調理セットですが、それでも「次の夕食はこれを試そうか」と、自分の興味100%であれこれ開拓できるのは楽しかったです。
……しかし、これは楽しさ・生き甲斐という面ではプラスでしたが、ヘルシーな生活という観点で見れば大いなるマイナスでした。
なぜならば……私は偏食家だからです!!
これは好きだけどこの要素が入るとちょっと……みたいな、微妙な好き嫌いがたくさんある。
そんな私が自分で自分の食事を選ぶのだから、好き100%なものしか食べないに決まっている。
甘いものや炭水化物が1000%好きな私。元々おでぶさんでしたが、さらに己の体積を増やしていく結果となりました。
一人暮らしで家事スキルが育つとは限らない説
自分さえ平気ならどこまでも堕ちて行ける
そう、生活といえば。
一人暮らしをすると家事スキルが育つという言説があるじゃないですか?
私の場合、それは否でした。
もちろん、ゴミ出しに関する義務と責任とか、自分が掃除しなければ全てが汚いまま、汚れゆくまま……などといった、一人暮らしにおける家事の責任は誰であろうと背負うことになります。
でも、これ。自分さえ汚くても平気ならそのまま放置してもいい、ということです。
いくら私といえどさすがに完全掃除キャンセルとまではいかず、定期的にトイレ掃除や掃除機掛けはしていましたが、その徹底度はだいぶ低い。
一人暮らしで家事スキルを磨くのは、元々丁寧な暮らしを創り出したい意向がある方、あるいはよほど自律と自制の精神をお持ちの方でないと難しいのではないかと思います。
私は困らない、という錦の御旗でどこまでも堕ちていけるのですから。
それでも、落ちない汚れの落とし方を調べて試す……など、実家だとほぼママに丸投げしていたタスクを試す機会はありました。全く経験値を得なかった、とまでは評さなくてもいいのかもしれません。ですが結局、うちの母ならできるような綺麗な洗濯物の畳み方などは習得していません。衣服は部屋干しの後ハンガーにかけっぱなしなので。
共同生活に求められるのは別のスキルツリーだと思うの
一人暮らしの経験がないと結婚しても家事でつまづくよ、戦力にならないよ、という意見があります。
しかし、そういった方面――即ち共同生活で役立つ家事スキルは、共同生活の中でないと育ちにくいのではないかと感じます。当人の資質や心掛け次第ではあるでしょうが。
誰かの生活に対する義務と責任を引き受けるという、手伝いではない当事者意識という強制パワーギブスがないと、婚活(あるいは結婚生活)に向けた装備としての家事スキルを伸ばすのは難しいのではないかなと。
一人でも掃除や洗濯の基礎は学べますが、学ばず適当にやっていく選択も採れるわけですから、確定で鍛えられるスキルセットではないよな……と感じる次第です。
お部屋の生殺与奪の権を会社に握られること
さて、次の議題。住居の自由についてです。
私は会社の補助でお得にアパート暮らしができていました。
これは同時に、会社に住居を固定されていることを示します。
この部屋に住むなら、あてがわれた店舗で働き続けなければならない。
その店舗(あるいは近辺の店舗)にいられなくなったら、この部屋を出なければならない。
そして、勝手に住み替えることもできない。
私は会社が借りてくださったアパートの内装にも立地にも完全に満足していたため、そこに住み続けることへの不満は皆無でした。
しかし。このアパートの貸与と同時に異動した店舗での労働生活は、完全に針の筵だったのです。この記事はそこに勤めていた時期に書いたものです。
以前別の店舗で経験したようなあからさまなパワハラはありませんでした。
でも、特定の同僚複数人からは完全に嫌われていると態度でビンビンに伝わりました。仕事そのものも上手く回せず、ご利用者様に不適切な対応をしてしまったことも幾度もありました。
合わないな。抜けたいな。異動したいな。
そんな思いは日に日に膨らみ、そのまま何年かが経ちました。
部屋の確保・契約にも大きなお金が動きます。
だから会社も、アパートまで用意した人材をホイホイ配置転換できなかったのでしょう。
各店舗を転々としていた私ですが、この針の筵気分の店舗で過ごした年数が一番長くなっていました。
退職するという選択肢はありませんでした。
弊社には転勤ガチャが存在するから。また安心して働ける環境が開けてくるかもしれないから。
他に仕事を探すモチベーションや志も特にない私は、ひたすら耐えて続ける選択肢を選び続けました。
結果的に、私があるトラブルを起こしてしまったことで、そこに居られなくなり、お部屋はそのままに近隣の店舗に異動することになりました。
異動先では楽しく、明るく働くことができていたのです……が。
初めてのアパートとのお別れ
弊社の人員は、おそらくそこまで余裕がありません。
この時私がいたエリアも人手不足でしたが、他のエリアも人手不足。
「こいつを家賃補助まで出してこのエリアで働かせるの、無駄じゃね?」
そう判断されたらしく、私は別のエリアへの転勤が決まりました。
つまり、この楽しい私生活を提供してくれたアパートともお別れすることになったのです。
次の転勤先は実家から車で一時間……まではかかりませんが、数十分は運転する必要がある遠めのエリアでした。
しかし、新天地での新たな部屋探しをする時間的余裕はなく。
ひとまず私は完全なる実家暮らし、実家通いに戻ることにしました。
転勤先が『逃げたい』と思う環境でなければ、今度は自分で部屋を選んで、また一人暮らしごっこを始めようか。
そう思ったので、この部屋のために揃えた家具・家電は処分せず、引っ越し屋さんに頼んで実家の空き部屋に詰め込み一時保管することにしました。
引き払いが確定してから、私は週末実家に帰ることをやめました。
お人形や本など趣味グッズを運び込むための実家との往復は行いましたが、週末に実家に泊まり込むのではなくアパートで過ごすことにしたのです。
行ったことない飲食店などのお店を調べて、色々渡り歩いて。
もはや悔いなし、となったところで引っ越し屋さんが迎えに来て、初めて一人暮らしした土地とお別れしました。
このエリアには個人的に気に入った趣味の店もあるので、去った後も何度か訪れました。
私が住み付いていた部屋にはすぐに新たな住人が入居したようです。数か月後、そのアパートの前を通ったところ、見知らぬカーテンが私の居た部屋にかかっているのが目に入りました。
新たな住人の生活の証に気付いた私はとてつもない喪失感に襲われました。
自分で一から選んだ部屋ではないけれど、長い時間を過ごした部屋です。
十数年ぶりの同人イベントサークル参加に向けてせっせと同人誌を作った部屋。
初めて本格的なドールをお迎えした部屋。
二度とその部屋には帰れないことを、改めて突き付けられた心地でした。

強制転勤・強制一人暮らしで良かったことは、それまで縁がなかった土地を知れて、愛着を持てたこと。
身バレ防止のためどこかは書きませんが、ここを拠点に色々な施設を巡ったり、実家スタートだとちょっと遠い地域までこのアパートを拠点に探索に赴けたり。
この土地に住むことができてよかったと、今も掛け値なしに感じています。
もう一度、私のためのアパート生活を……
さて、実家からせっせと毎日運転する生活に戻ってから数ヶ月後のこと。
私は今度は自分で部屋を決めて、自腹で契約するべくお部屋探しを始めました。
すぐに動かなかったのは、引っ越しとか仕事とか関係なく既に入っていたいくつかの予定を済ませてから……と考えていたのと。
この店舗に今後縛られることになっても構わないか? というのを見極めるためでした。
ここがYESであったため(つまり、新職場の居心地が良かったため)、不動産屋さんへのお問い合わせを始めたのです。
一人の時間の喜びと、家族の営みへの罪悪感と
数年間の疑似一人暮らし体験がとても楽しかった! というのが、費用が掛かろうがまた自分だけの部屋を借りたいと感じた大きな理由です。
一人っきりの時間を味わいきっていない、という渇望感がいくらか残っていました。
それと、最初の部屋で使っていた、まだまだ使える家電が一揃い手元にあったというのも非常に大きい要因です。
捨てちゃうのももったいないし、実家に置いておくと邪魔になるし。これを活かしていく方法は再びの一人暮らししかないじゃないですか。
あと何気に影響しているのが、親の家庭運営にフリーライドするのが申し訳なくなってきたこと。
両親が現役で働いていたころは、まだ親が帰宅するまでの隙間に手伝えることもなくはありませんでした。
しかし今となっては、両親は大病もせず、体力と活動力を保ったまま職場での労働を引退しました。一方私はフルタイム労働+残業+長距離通勤で、まさに家には寝に帰るだけな状態です。
結果、私の分も含めて料理も洗濯もうさぎさんのお世話もその他全ても、夜が更けるまでに両親が全て完了してくれているわけです。
非常に、非っっ常にありがたいのですが、だんだん居心地の悪さが募ってきて……。
その分休日は私が家事をやる! というフェアな精神を持てる人間なら良かったのですが、そうでもなく。
ただでさえ堕落した性根なのだから、いっそ、自分のことは自分でやらざるを得ない環境、つまり一人暮らしに身を置かなければもっと駄目になるし罪悪感も育つ一方なのでは? という気になってきたのです。
理想のお部屋の条件は……
こうして会社の手を介さない、自力でのお部屋探しに人生で初めて着手しました。
お部屋探しの最優先条件は付属の駐車場があることでした。そしてインターネット環境があること。お風呂の追い炊きができること、日当たりがいいこと、など……色々な条件を挙げ、クリアした物件を内見しました。
しかし、実際に見学すると圧迫感を覚えたり、灼熱にもほどがあったり(夏のお部屋探しでした)など……。
その果てに「ここに決めた!」という物件を見つけました。大きな決め手は敷地内に消雪パイプ(※)があったこと!
(※新潟など、気温が下がりすぎず雪が積もる地域に見られる装備。水を流して雪を解かすためのパイプや穴あきホースのこと)
思わぬ角度から会社に引っ越し計画を奪われたこと
意向を不動産屋さんに伝え、後は契約書を交わすのみ……となった段階で、何と! 再びの異動を命じられたのです。
ここでは特に致命的トラブルを起こしていない……はずなのですが、他の社員さんの動向的に致し方ないことが起き、私を別の店舗に補充する運びとなったらしいのです。
それにしても早すぎる。私の転勤経歴の中でも、在籍期間がぶっちぎり最短記録となりました。
異動先はこの店舗から車で十数分、実家からはこれまた数十分の、また別の方角を向いたエリア。
間一髪で正式契約&お支払いはまだだったので、不動産屋さんに事情説明と共に謝罪し、この件はなかったことにしてもらいました。
お部屋選びのやり直し、そして運命的なお部屋との出会い
やはり、弊社のランダム異動は自由な住居選びの枷になる。
ここは不動の実家暮らしが安泰なのか……?
本来ならそう思わなくもなかったはずですが、今回に限っては、事情的にどうも最低一年以上は異動はなさそうだ……と判断できる材料がありました。
なので、次に異動する店舗の近くをターゲットにお部屋探しをやり直しました。
ご成約直前でキャンセルした負い目があったので、せめて償いを……と思い、同じ不動産屋さんの当該地域支店でお部屋の仲介をお願いすることにしました。
いくつか見て回った結果、すぐに超都合のいい物件を見つけました!
職場から激近な上、消雪パイプこそないけれど(これはある方が激レアっぽい)自分が望むワガママ設備がことごとく揃っていること。
特に決め手となったのは『部屋の一部となっている棚があったこと』。

これはかつて住んだ部屋にも形は違えど存在したのですが、お人形も置けるし、テレビやその他小物も安置できるしで、とっても嬉しい設備なんです。
しかし、これはどうもついている部屋の方が珍しそうだったので、お部屋の絶対条件には含んでいなかったのですが……運良くそんな空き部屋に出会ってしまったのです。
それ以外の内装の雰囲気も、かつて別エリアで住んでいたあの部屋に似ているように思えました。
もしかしたら建築会社が同じとかなのかもしれませんね。
一人暮らしごっこの再開
そのお部屋に決め、実家で眠らせていた家具一式をまるっと運び込み、再びの一人暮らしごっこが始まりました。
まるでしばらく放置していたゲームのセーブデータからプレイを再開するかのように。
そうそう、洗濯機を長期間使わず保存しておくなら蓋は開けておこうね。その上で除湿機も絶やさずにね。佃煮のような地衣類? が湧いて複数回洗濯しきるまで排出され続けるからね。
その後は、まぁ、以前の一人暮らしごっこと同じです。
一つ変えたのは、毎週末実家に泊まり込むのをやめたこと。
実家にちょくちょく顔を出して支援を頂いている点は変わりないのですが、泊まり込んだ方が都合が良い特別な用事がない限り、毎週のルーティーンとしての帰宅は辞めました。
理由は、週で唯一完全な休みである日曜日、その前段階である土曜夜の過ごし方をよりフリーダムにしたかったから。
プラモデルをいじったり、ドールハウスとかレジン工作とか作ったり、こうしてnoteなどのための文章を延々を書き綴ったり。
どうとでも切り分けられる時間を増やしたかったのです。
長期連休は計画的に(笑)趣味グッズを持ち込みつつ実家でグダグダしますけれどね。
一方、親からの、とりわけ精神的な支援は以前よりも強く支えに感じるようになりました。
新しい……つまり今の職場では、人間面では恵まれているのですが、仕事があまりに重荷になってきていまして……。これまではあんまりタッチしてこなかったタイプの仕事にも関わらせていただく機会があり、それに諸条件が重なって見事キャパオーバーし、職場のお荷物に。それがあってこそ人生で初めて心療内科を受診し、ASD&ADHDの診断を受けたり、WAIS-Ⅳ(知能検査)を受けることに繋がりました。
これまでにないタイプのメンタルの揺らぎを覚える日々でしたが、両親に打ち明けると厳しい、親だからこそしていただける指摘をしつつも話は深く深く聞いてくれて。
本当に、この両親だからこれまで本格的ドロップアウトせずにやってこれたんだなぁ……と痛感する日々です。
いつまで『子供部屋おばさん』を続けるか?
しかし、まぁ、そんな調子なので。
この店舗にはある程度長くいられそうと思って踏み切った一人暮らしごっこ第二部でしたが、いつまで続けられるものか怪しくなってきました。今の店舗からいつ追い出されても文句は言えないような状況にあるので。
それでも、全然別の方角に異動にならなければ、できるだけ長く、長~く今のお部屋に住み続けたいです。
前のお部屋は会社が居住権を握っていましたが、今回のお部屋は私が自ら選んだお部屋なので。どんどん執着していきたいです。
このように甘えた、子供らしい一人暮らしごっこを満喫している今日この頃ですが、まさしくこの満喫することそのものが目的となっています。
将来を覆う濃霧に漠然とした不安を抱えつつ、特に何もしていない現状ではありますが……。
ライフステージを進める努力を始めるにしろ、孤独による自由に身を捧げることを決意するにしろ、一人で、自分だけのために遊びつくす段階に飽きないと、次の段階には進めないような気がするからです。
とはいえ、どんどん楽しいことに遭遇するこの浮き世。この私が子供でいることに飽きる日が来るのか、飽きる余地があるのかと言われると、大きな疑問符がのしかかってくるわけですが……。
とにかく、自己中心的生活に飽きるか、外部事情で続けられなくなるまでは、今のままやっていこうと感じています。
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