
なんのはなしですか── Paradigm Shift《その177》美術と科学と心理学vol.1
人間は、世界を「そのまま」
見ているのだろうか?
ふと、そんなことを考えた。
目の前に花がある。
僕は、その花を見る。
「花が見える」
まあ、普通はそういうことになる。
でも、
僕に見えている花と、
蜂に見えている花は、
同じ花なのだろうか?
もちろん、
そこにある花そのものは同じだ。
でも、
「見えている世界」は、
たぶん違う。
人間と蜂では、そもそも見えている光の範囲が違う。
人間には見えないものが、
蜂には見えている。
人間には見えない紫外線の世界を、
蜂は手がかりにして花を見つけるという。
同じ場所にいて、
同じ花を前にして、
違う世界を見ている。
なんだか、不思議だ。
いや、もしかすると、
不思議なのは蜂ではなく、
「自分が見ている世界こそ、
世界そのものだ」
と思ってしまう僕たちのほうなのかもしれない。
可視光線
という言葉がある。
人間の目に見える光。
可視。
つまり、
人間にとって見えるもの。
でも、ちょっと考えてみる。
人間に見えない光は、
「見えないから存在しない」
わけではない。
赤外線もある。
紫外線もある。
電波もある。
僕たちの目には見えなくても、
確かにそこにある。
そして、
それを捉えるために、
人間は望遠鏡やセンサーをつくってきた。
じゃあ、
電波を捉える望遠鏡のほうが、
人間の目より「偉い」のだろうか?
……なんだか、
変な話になってきた。🤣
じゃあ、
紫外線が見える人のほうが偉い?
音が色として見える人のほうが偉い?
見えないものが見える人のほうが、
人間として上なのだろうか?
たぶん、
そういう話ではない。
見える。
見えない。
聞こえる。
聞こえない。
感じる。
感じない。
そこには、優劣というより、
顕れているか、潜んでいるか。
そんな違いがあるだけなのかもしれない☺️
あるがままを見る
僕たちは、この言葉を、
わりと簡単に使う。
でも、あるがままって、
誰の「あるがまま」なんだろう🤔💭
人間の目を通した世界。
蜂の目を通した世界。
望遠鏡を通した世界。
顕微鏡を通した世界。
AIが画像データから見つけるパターン。
それぞれ、
少しずつ違う。
それでも、
どれか一つだけが
「本当の世界」
というわけではない。
──そう考えると、
「見る」という行為は、
外界をそのまま受け取ることではなく、
自分というフィルターを通して、
世界と出会うこと
なのかもしれない。
目。
耳。
身体。
記憶。
経験。
感情。
そして、
「こういうものだろう」
という思い込み。
いろんなフィルターを通って、
僕たちは世界を見ている。
なのに、
そのフィルターを通った景色を、
「これが世界だ」と思ってしまう。
これも、
人間のちょっとしたエゴなのかもしれない。
もちろん、
だから人間の見方がダメ、
という話ではない。
蜂には蜂の世界があり、
人間には人間の世界がある。
望遠鏡には望遠鏡の世界があり、
顕微鏡には顕微鏡の世界がある。
それぞれが、
それぞれの方法で、
世界の一部を照らしている。
世界は、
僕たちが見えている範囲だけで、
できているわけではない。
たぶん。
見えないものを受け入れる
そう思うと、
「見えないもの」に対する態度も、
少し変わってくる。
見えないから、ない。
分からないから、間違い。
自分には感じられないから、
そんなものは存在しない。
……本当に、そうだろうか。
もしかすると、
ただ僕のフィルターでは、
まだ顕れていないだけなのかもしれない。
美術と科学と心理学
美術も、
科学も、
心理学も。
一見すると、
まったく別の場所にあるように見える。
でも、
その奥には、
こんな問いが潜んでいる気がする。
「僕たちは、世界をどう見ているのか?」
そして、
その「見え方」は、
本当に自分だけのものなのか。
そんなところから、
美術と科学と心理学の話を、
少しずつ始めてみようと思う。
……って、
なんのはなしですか。🤣
まあ、今日はそんな話です。
💧 BLUEのしずく
世界は、
僕たちが見えているものより、
ほんの少しだけ、
広いのかもしれない。
だから、
「見えている」ということを、
ほんの少しだけ疑ってみる。
その小さな疑いが、
いつか、
まだ見えていなかった世界への、
入口になるのかもしれない。
《A Drop Remains.》💧
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