
置かれた場所はどこですか。
「好きなことを仕事にしなさい」
「置かれた場所で咲きなさい」
この二つの言葉は、よく対立するものとして語られる。
…そういえば、そうだっけ。
最近読んだある記事は、その二項対立についてとても丁寧に向き合うきっかけをくれた。
印象に残ったのは、
夢中な人に「やめたほうがいい」と水を差すことの残酷さへの視線と、
「ここで咲けると思いますよ」と支える側に立つ言葉の温度だった。
夢を見ている人に現実を諭すふりをして、本当はその夢中さを羨ましがっているだけなのではないか。
私はそう考えてしまう。
だから、人のしている事に口出ししたくなるのなら、一度自分に問う必要があると思うのだ。
そこにある自分の気持ちは何なのか?と。
私は以前、
「置かれた場所で、咲けません」
という文章を書いた。
植物たちは、合わない環境では黙って枯れない。
葉を落とし、色を失い、根を伸ばし、
その身すべてを使って「ここでは生きられない」と主張する。
手足を使って(枝葉も根っこも、全てを使って)主張する。
それはわがままではなく、
生き延びるための、精一杯のサインだ。
主張することで、初めてすり合わせる余地が生まれる。
自分が環境に作用していく。
その余地は、私達には確かにある。
その上で環境を変えるか、関わり方を変えるか、選択肢が見えてくる。
その為に、「きっと咲けると思いますよ。何かあれば言ってもいいんですよ」
そういう温度であって欲しい。
「置かれた場所で咲きなさい」は、命令であってはならない。
私は結局、こう言いたかったのだ。
命令なんてされる筋合いはない。
周りの想いを汲んで選んだ事の多くは、後悔の温床になる。
自分で感じて選択することが、生きていくことなんだから。
そう、言いたかった。
図太く、逞しく、強く、可愛く、美しく。
そうやって、生きていきたい。