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昔は「物販」、今は「特兞䌚」

    い぀の間にか圓たり前のように呌び方が倉わったが、これは単なる蚀葉の眮き換えではないず思う。

    䜕を売るのか。ファンは䜕にお金を払うのか。メンバヌずの関係をどう䜜るのか。

    「物販」から「特兞䌚」ぞの倉化を振り返るず、地䞋アむドルを取り巻く文化や収益構造、そしおファンの振る舞いそのものが倉化しおきたこずが芋えおくる。 長くラむブやむベントに足を運んできた䞀人ずしお、その移り倉わりを少し蚀葉に残しおおきたい。 本圓に「物を売っおいた」時代 私が通い始めた頃、ラむブ埌に始たるのは文字通りの「物販」だった。

    長机の䞊には生写真、猶バッゞ、Tシャツ、タオル、CDなどが無造䜜に䞊べられ、ファンは珟金を枡しおそれらを買う。

    握手をしたり、メンバヌず少し話せたりするこずもあったが、それは基本的にグッズ賌入に付随する「おたけ」のようなものだった。

    䞻圹はあくたで「モノ」だった。

    今振り返るず、圓時の物販には、珟圚ではほずんど芋かけなくなった少し䞍思議な商品もたくさんあった。

    代衚的なのが手焌きのCD-Rだ。

    メンバヌや運営が自分たちでCD-Rに音源を焌き、家庭甚プリンタヌで䜜ったラベルを貌ったようなものが普通に売られおいた。タむトルや曲名が手曞きずいうこずさえある。

    「今日のラむブ䌚堎だけ」「このむベントだけ」ずいった䌚堎限定盀なんおのも出おきたりした。

    珟圚なら楜曲は配信され、限定商品もオンラむンで販売できる。しかし圓時は、「今日ここぞ来なければ手に入らないもの」が、本圓に長机の䞊に眮かれおいた。

    そしおTシャツも印象深い。

    今でも時々芋かけるが、圓時は特に、

    「これ、いったい誰が普段着で着るんだ」

    ず思うようなものが普通に売られおいた。

    凝ったデザむンがあるわけでもない。無地のTシャツの胞や背䞭に、グルヌプ名やロゎをドンず印刷しただけ。

    ファッションずしお欲しいずいうより、そこにグルヌプの名前が入っおいるこず自䜓に意味があった。

    それでもファンは買った。

    「新しいグッズが出たから䞀枚買っおおこう」

    「少しでも掻動の足しになれば」

    そんな気持ちで財垃を開くこずも少なくなかった。 ぀たり圓時の物販には、商品そのものを買うだけではなく、モノを買うこずで掻動を支えるずいう意味もかなり匷かったように思う。なぜか、い぀も段ボヌルだった もう䞀぀、昔の物販を思い出すず浮かんでくるものがある。 段ボヌル箱だ。

    今ではスタッフがキャスタヌ付きのスヌツケヌスを匕いお䌚堎ぞ入っおくる光景をよく芋る。

    ずころが圓時は、商品が段ボヌル箱ごず運び蟌たれおいるこずが倚かった。

    コミケで同人誌の入った箱がそのたたスペヌスぞ届くような感芚に近い。

    考えおみれば、あれは合理的だったのだろう。

    Tシャツやタオル、CD、生写真などは、そもそも制䜜䌚瀟や印刷所から段ボヌルに入った状態で玍品される。

    それをわざわざ別のケヌスぞ移し替える必芁もない。

    段ボヌルのたた䌚堎ぞ持っおいく。

    箱を開ける。

    商品を長机ぞ䞊べる。

    売れ残ったら、たた箱ぞ戻す。

    そしお次の䌚堎ぞ持っおいく。

    物販スペヌスの足元を芋るず、圚庫の入った段ボヌル そんな光景が珍しくなかった。

    段ボヌルなら安いし軜い。「Tシャツ」「CD」「写真」などず箱に曞いおおけば、そのたた簡単な圚庫管理にもなる。

    小芏暡なグルヌプなら専任の物流担圓者がいるわけでもない。運営スタッフや、ずきにはメンバヌ自身が荷物を運ぶ。

    玍品された箱をそのたた持っおくるのが、䞀番手っ取り早かったのかもしれない。 文化祭や倜店のようだった「物販」 段ボヌル箱から商品を取り出し、長机に広げる。

    「今回の新色だよ」

    「これ今日から売っおるよ」

    メンバヌやスタッフがそんな声をかけ、ファンも商品を眺めながら、

    「じゃあ䞀枚買っおおくか」

    ず財垃を開く。

    今から考えるず、フリヌマヌケットや文化祭の暡擬店、あるいは倜店の屋台に近かったのかもしれない。

    商品ラむンナップも売り方も、それほど掗緎されおいない。

    䜕が売れるのか運営偎も手探りなので、ずりあえずCD-Rを焌いおみる。Tシャツを䜜っおみる。写真を印刷しおみる。

    そこには、詊行錯誀そのものが商品棚に䞊んでいるような面癜さがあった。

    そしお商品を眺めたり遞んだりする時間があるから、自然ず雑談も生たれる。

    「これ誰がデザむンしたの」

    「新しい写真、こっちの方がいいね」

    そんな䌚話も含めお物販だった。 メンバヌ、スタッフ、ファンが同じ長机を囲むような、「党䜓で顔が芋える関係性」がそこにはあった。  チェキは最初から䞻圹だったわけではない もちろん、圓時からチェキは存圚しおいた。

    ただ、珟圚ほど絶察的な存圚ではなかった。

    時期やグルヌプによっおは、きちんず撮圱・印刷された生写真などず比べお、チェキは簡易的な写真、堎合によっおは代替手段のように䞋に芋られるこずすらあった。

    ずころが、ここから䟡倀関係が逆転しおいく。

    運営偎から芋るず、チェキは非垞に合理的な商品だった。

    Tシャツならサむズごずに圚庫を甚意しなければならない。売れ残れば、そのたた圚庫になる。

    タオルや猶バッゞ、生写真にも制䜜費ず圚庫リスクがある。

    䞀方、チェキなら基本的にはカメラずフィルムがあれば成立する。

    しかもTシャツを同じ日に10枚買う人はほずんどいないが、チェキなら違う。

    「もう䞀床話したい」

    「今床は別のポヌズで撮りたい」

    「さっき話せなかった続きを話したい」

    そんな理由で、同じメンバヌのずころぞ䜕床も行くこずができる。

    ぀たり、䞀人のファンが同じサヌビスを繰り返し賌入できる。

    これは収益構造ずしお非垞に倧きな違いだった。 デゞタル時代に䟡倀が䞊がったアナログ写真 ここには少し面癜い逆説もある。

    音楜も写真もデゞタル化され、耇補するこず自䜓にはほずんど䟡倀がなくなっおいった。

    その䞀方で、チェキずいう極めおアナログな写真の䟡倀は䞊がっおいった。

    なぜならチェキには、単なる写真以䞊のものが残るからだ。

    その日の衣装。

    そのずきの衚情。

    そこに曞かれた名前や日付、盎筆のメッセヌゞ。

    そしお撮圱前埌に亀わした䌚話。

    チェキずいう小さな写真には、その瞬間の䜓隓そのものが物理的に定着する。

    倧量生産されたTシャツや生写真ずは、モノずしおの意味が違う。

    ファンが買っおいるのは、い぀しか写真そのものではなくなった。 「自分ずメンバヌの間に生たれた数十秒から数分間」を買う。 チェキは、その時間が存圚したこずを残す蚘念品になった。 「物販」から「特兞䌚」ぞ こうしお考えるず、「物販」ずいう蚀葉が「特兞䌚」に倉わっおいったのは自然なこずだったのかもしれない。

    昔は、

    モノを買う → その結果ずしお少し亀流できる

    ずいう構造だった。

    珟圚はむしろ、

    亀流するための暩利を買う → その結果ずしおチェキや写メなどが残る

    ずいう構造に近い。

    䞻埓関係が逆転したのだ。

    チェキ、サむンありチェキ、サむンなしチェキ、写メ、サむン、䞀定時間のお話――。

    珟圚ではグルヌプごずにさたざたなメニュヌが蚭定され、それぞれに料金や時間が決められおいる。

    だから「物販」ずいう蚀葉だけでは、実態を衚しにくくなった。

    珟圚の「特兞䌚」ずいう呌び方は、モノの販売ではなく、特兞や時間、䜓隓を提䟛する堎になったこずをよく衚しおいる。 #個人化ずシステム化 特兞䌚ぞの移行は、ファン䜓隓を倧きく個人化した。

    ファンは短い時間を䜕床も賌入し、その積み重ねによっおメンバヌずの関係を䜜る。

    メンバヌも名前や以前話した内容を芚えるこずで、関係性を深めおいく。

    䞀方で運営偎は、列を䜜り、時間を区切り、料金䜓系を決め、限られた時間でできるだけ倚くのファンを回す。

    ぀たり、

    䜓隓は個人化したのに、提䟛方法はむしろシステム化した。

    この二぀が同時に進んだのが、珟圚の特兞䌚なのだず思う。

    その代わり、昔の物販にあった雑談の䜙癜や偶発的な亀流は少なくなった。

    長机に䞊んだ商品をみんなで眺めおいた頃の「堎の共有感」は、それぞれのメンバヌの列ぞず分解されおいった。 ## ファン心理も倉わった この構造の倉化は、ファンの心理や行動にも圱響を䞎えた。

    たず、盎接話すこず自䜓が商品になった。

    䞀床だけではなく䜕床も列に䞊ぶこずが普通になり、「䜕枚撮ったか」「䜕回話したか」が参加量を瀺す指暙にもなった。

    そしおチェキに曞かれる名前やメッセヌゞには、別の意味も加わる。

    「自分を芚えおくれおいる」

    「こんなこずを曞いおくれた」

    ずいう、メンバヌからの認知を目に芋える圢で残すものになる。

    さらにSNSの普及によっお、そのチェキは再びデゞタル空間ぞ戻っおいく。

    アナログ写真ずしお受け取ったチェキをスマヌトフォンで撮圱し、Xなどぞ投皿する。

    「今日䌚った」 「こんなこずを曞いおもらった」 ずいう䜓隓が可芖化される。 チェキは個人的な思い出であるず同時に、自分がどのようにアむドルを応揎しおいるのかを倖郚ぞ瀺す蚘号にもなった。 「配慮チェキ」ずいう䞍思議な文化 個人化によっお、別の珟象も生たれた。

    列の長さによっお人気差がはっきり芋えるようになったこずだ。

    誰の列が長いのか。

    誰のずころに人がいないのか。

    それが同じ空間で可芖化される。

    するず、

    「あの子の列が途切れおいるから䞀枚撮っおおこう」

    ずいう行動も生たれる。

    いわゆる「配慮チェキ」だ。

    もちろん玔粋な優しさからの堎合もある。

    䞀方で、「誰も行っおいないのがかわいそう」「呚囲からどう芋えるか気になる」ずいう心理が働く堎合もあるだろう。

    物販時代にも、売れ残ったグッズを応揎の意味で買うこずはあった。

    しかし面癜いのは、その配慮の察象たで倉化したこずである。

    昔なら、

    「このTシャツ䜙っおいるから䞀枚買っおおこう」

    だったものが、

    珟圚では、

    「あの子の列が途切れおいるから䞀枚撮っおおこう」

    になる。

    応揎賌入の察象たで、「モノ」から「人ずの時間」ぞ移ったずも蚀える。

    段ボヌルからスヌツケヌスぞ そしお、この倉化を最も目に芋える圢で衚しおいるものが、意倖にも「荷物」なのかもしれない。

    昔の物販では、商品が詰たった段ボヌル箱が必芁だった。

    䞀方、珟圚の䌚堎でよく目にするのは、キャスタヌ付きのスヌツケヌスだ。

    では、そのスヌツケヌスには䜕が入っおいるのか。

    チェキや写メ、サむンの有無、お話など、その日の料金ず内容を蚘したレギュレヌションのパネル。

    撮圱に䜿うチェキ本䜓ず、倧量のチェキフィルム。

    それぞれ誰の列なのかを瀺すメンバヌ名のプレヌト。

    「物販最埌尟」「チェキ列最埌尟」などず曞かれた案内板。

    ファンから回収した特兞刞をメンバヌごずに管理するためのケヌスや袋。

    そしおペンやテヌプなど、特兞䌚を回すための现かな備品。

    昔の段ボヌルずは、䞭に入っおいるものの性栌がたったく違う。

    昔の段ボヌルに入っおいたのは、

    「これから売る商品」

    だった。

    今のスヌツケヌスに入っおいるのは、

    「これから特兞䌚を成立させるための道具」

    である。

    䌚堎に到着しおスヌツケヌスを開く。

    レギュレヌションを掲瀺する。

    メンバヌ名のプレヌトを出す。

    最埌尟板を甚意する。

    チェキずフィルムを準備する。

    特兞刞を回収する堎所を䜜る。

    そしおむベントが終われば、それらを再びスヌツケヌスぞ収め、次の䌚堎ぞ持っおいく。

    考えおみれば、珟圚のスヌツケヌスには「移動匏の特兞䌚システム」そのものが収玍されおいるようにも芋える。

    昔は「商品」を持っおいっお売っおいた。

    今は、䌚堎に到着するず「サヌビスを提䟛する仕組み」を展開する。

    蚀っおみれば、移動する物販店から、移動するサヌビス業ぞ倉わったようなものなのかもしれない。

    だから、

    段ボヌルからスヌツケヌスぞ。

    この倉化は単なる運搬方法の違い以䞊に、物販から特兞䌚ぞず倉わっおきた文化を象城しおいるように思える。

    「䜕にお金を払うのか」が倉わった こうしお振り返るず、「物販」から「特兞䌚」ぞの倉化の本質は、単にチェキが流行ったこずではない。

    ファンがお金を払う察象そのものが倉わったのだず思う。

    昔は、倚少䞍栌奜なTシャツでも、手焌きのCD-Rでも、

    「このグルヌプの掻動を支えるためにモノを買う」

    ずいう感芚が匷かった。

    珟圚は、

    「自分ずメンバヌずの間に生たれる䜓隓や時間にお金を払う」

    ずいう意味が匷くなった。

    もちろん、昔にも亀流はあったし、珟圚でもグッズを買う楜しみはある。

    すべおがある日突然入れ替わったわけでもないし、すべおのグルヌプが同じ道筋をたどったわけでもない。

    ただ、䞭心ずなる䟡倀は確実に移動したように感じる。

    だからこそ、蚀葉も「物販」から「特兞䌚」ぞ倉わっおいったのではないだろうか。

    おわりに―段ボヌルからスヌツケヌスぞ―

    䌚堎限定盀。

    誰が着るのだろうず思うような、ロゎを印刷しただけのTシャツ。

    長机。

    そしお、その足元に積たれた段ボヌル箱。

    そんな少し雑倚で手䜜り感のある「物販」は、い぀しか料金ず時間が明確に蚭定され、列が敎理された「特兞䌚」ぞ倉わっおいった。

    そこには、圚庫を抱えるリスクを枛らす経枈的な合理性がある。

    チェキずいう耇補䞍可胜なアナログぞの䟡倀の集䞭がある。

    ファン䜓隓の個人化があり、それを効率的に提䟛するシステム化があり、さらにSNSによる承認や共有の文化が重なっおいる。

    䟿利になったものも倚い。

    掗緎された郚分も倚い。

    䞀方で、䜕が売れるかも分からないたたCD-Rを焌き、ずりあえずTシャツを䜜り、それを段ボヌル箱に詰めお䌚堎ぞ持っおきおいた頃にあった、文化祭や倜店のような枩床感は少し薄れたようにも感じる。

    それを「昔の方が良かった」ず単玔に蚀いたいわけではない。

    むしろ興味深いのは、こうした倉化が倧げさな宣蚀ずずもに起きたわけではないこずだ。

    気が぀けば「物販」ずいう蚀葉より「特兞䌚」ずいう蚀葉を聞くこずが増えた。

    気が぀けば長机の足元に積たれおいた段ボヌルをあたり芋なくなり、代わりにスタッフがスヌツケヌスを匕いおいる。

    そしお、その䞭には売るための商品ではなく、チェキ、フィルム、メンバヌ名のプレヌト、最埌尟板、特兞刞入れ、レギュレヌションのパネルが入っおいる。

    昔の段ボヌルには「売るモノ」が詰たっおいた。
    今のスヌツケヌスには「時間を売る仕組み」が詰たっおいる。

    そう考えるず、「物販」から「特兞䌚」ぞの倉化がずおも分かりやすく芋えおくる。

    売っおいるものが「モノ」から「時間」や「䜓隓」ぞ倉わった。

    そしお、それに合わせおファンがお金を払う理由も、メンバヌずの関係の䜜り方も、䌚堎の颚景さえ倉わっおいった。

    物販から特兞䌚ぞ。

    段ボヌルからスヌツケヌスぞ。

    䜕気なく倉わった蚀葉ず荷物の䞭に、地䞋アむドル文化の十数幎の倉化が詰たっおいるように思う。

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