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一生一緒にキオクシア

     天井で売り抜けたことは一度もない。そもそも、そんな高値まで持っていたこともない。どうやら僕は山頂を目指して登るタイプではなく、五合目に着いたころに「十分いい景色だった」と下山し、帰りのバスから山頂へ向かう人々を眺めて後悔するタイプである。

     キオクシアを買ったのは、株価が二千円ほどの頃だった。それが一万円を超え、二万円近くまで上がった。僕の持っている株がテンバーガーになるなど、今後の人生で二度とないかもしれない。ここまで気絶してたのも奇跡である。
     少なくとも、売却ボタンを押したあの日はそう思っていた。十分である。証券口座には、僕の判断が正しかったことを証明する数字が並んでいた。
     その日は胸を張って歩いてもよかったはずなのに、僕が手放したキオクシアは、そのまま山を下りてはくれなかった。

     三万円になった。六万円になった。まだ上がる。掲示板には景気のいい数字が並び、強気な人たちは十万円どころか二十万円の未来まで語り始めた。

     「一生一緒にキオクシア」

     そんな投稿を、何度も目にした。株主たちがキオクシアと肩を組み、未来へ向かって歩いていく後ろ姿を、僕は窓の外から眺めていた。僕にはテンバガーという立派な乗車券がある。しかし、それは途中下車した証明書でもあった。

     買い直せばよかったのかもしれない。だが、二千円台で買った株を、三万円で買う勇気なんてなかった。一度見切りをつけて下山した僕は、山頂へ続く登山道より、自分が歩いてきた下り坂のほうが気になってしまう。
     山の天気は変わりやすい。僕にできるのは、山を見上げるくらいだった。

     それ以前に、二千円から買い増しもできなかった。五千円になれば「もう高い」と思い、一万円になれば「今からでは遅い」。株価は上がり続けているのに、僕の中のキオクシアは二千円台から動かなかった。

     市場には市場の現在いまがある。僕には僕の過去がある。僕が見ていたのは株価ではなく、あの日の選択だった。
     やがて僕は、株価が上がるたびに「早く暴落しろ」と唱えるようになった。降りた僕には上がれと思う理由がなければ、上がったところでもうなんの得もない。むしろ上がるほど、自分が早く手放した事実を見せつけられた。

     だから、赤いローソクを願った。

     「二万円で売った僕は、正しかった」

     この証明を僕は欲しかった。



     天界記録さんの『終わる前に、もう一度だけ』は、未完の創作物を救おうとする人々が登場する。


     僕は読みながら「誰を救うのか」ではなく「誰を救いたかったのか」を考えていた。

     しかし、続きを与えることが本当に救いになるとは限らない。完成させることで、作者が閉じたはずの傷をもう一度開いてしまうかもしれない。本人が残した空白を、他人が勝手に埋めることは、その人の選択を奪うことにもなる。

     読み終えた頃には、僕の頭の中にはキオクシアしか残っていなかった。僕が救いたかったのは、含み益でも株でもない。二万円で売った過去の僕である。

     株価が十万円まで上がった世界では、当時の僕は「早く売りすぎた人」になってしまう。株価が僕の売値まで戻ってくれば、あの選択にはきれいな結末が与えられる。
     過去の僕を正解にするために、僕は暴落という身勝手な救済を求めた。

     そして株価は、天井から十九日ほどで半値近くまで落ちた。

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     チャートが下落しているあいだ、僕は掲示板を見ながら笑いが止まらなかった。少し前まで「二十万円まで売らない」と夢を語っていた人たちが底値を探し、悲鳴が並んでいる。

     暴落したあとなら、誰でも天井を指させる。

     「あそこが頂上だった」
     「過熱しすぎていた」
     「売らないほうがおかしい」

     雲が晴れ、登山道も山頂もすべて見えるようになってから言われても困る。上がっている最中にそんな未来を確信していた人なんていかなかった。少なくとも、僕が登っていたときは霧の中だった。

     僕は確信どころか、二万円で売ったあとも十万円まで指をくわえて見ていた。半値になった今も、僕が売った値段よりずっと高い。
     それでも僕は、二万円で手放した自分を、臆病でも早漏でもなく、未来を見抜いた賢者だったことにしたかった。
     キオクシアが上がるたび、あの日の選択は間違いへ近づいていく。株価が下がれば、僕の選択は正解へ戻ってくる。そんな計算を、掲示板を見ながら続けていた。それでも、上がり続ける世界が終わったことで、ようやく指をくわえて山頂を見上げるのをやめられた。

     掲示板には、何度もこう書かれていた。

    「一生一緒にキオクシア」

     株を売っても、あの日の選択とは別れられない。上がれば後悔し、下がれば安心し、持ってもいない銘柄の値動きに感情を連れていかれる。

     どうやら僕が一生引きずるのは、キオクシアではない。

     二万円で手放した、あの日の僕である。

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    大阪産🐯→沖縄で独立🌺→娘の進学で上京🏙️ 犬🐶たちと一緒に日常のモヤモヤをエッセイっぽく雑筆中📖 人生を見つめ返しながらぼやき🗣️ ……いや、書き散らかしてるかも🫢 「なんでやねん」があれば、だいたい一本書ける。 ......知らんけど(≖ᴗ≖ )フフフ…✨

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