メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byフィンセント・ファン・ゴッホ / メトロポリタン美術館

「創造者」として散っていった人々の、霊的その後。

    さて、今回は僕、明の「神さま」が書いていこう。
    皆さんは、フィンセント・ファン・ゴッホという画家さんをご存じですか?
    そう、あの「ぐるぐる」とした表現と、「太陽」のような「向日葵」の彼です。

    彼の描きたかった絵は、色々あれど、彼は、本当は、「もっと」優しい、柔らかい絵が描きたかったそうです。でも、彼に視えていた世界は、混沌としていて、宙に渦を描くような「うねり」だったのです。

    本当に、彼の肉眼にそう見えていたわけではないけれど、彼にとっての世界がそれだった。彼は、生まれ持っての「創作者」だった。
    それは、この世界の今後の「芸術」の歴史を形作っていく「創造者」でもあったのだ。だから、彼の「脳」は、世界を、彼に、そのまま。混沌の姿のままを、彼に描かせたのです。

    周囲の画家とは世界の写り方が、そもそも違う。
    彼は、選ばれてしまった人なのです。
    彼は、この世界に、この世界線に呼ばれて、この世界へ降りてきた、いわば、人間にとっての「神々のうちのひとり」だ。

    そういう人間が、稀にいる。

    だから、彼も、彼の友人達も、その逸話はずっと後の世にも残り、人々に創作として親しまれ、まぁ、いいように話を盛られながらも、その自らが描きたかった「美」を、後世に発信し続けているのだ。

    これを、霊的に見よう。

    彼、ゴッホさんは、一度、この3次元体として生まれる前、4次元にいた。
    それは、霊界ではなく、概念から降りてきた、「美」という概念体だ。
    大体の存在は、4次元で霊体として生まれる。けれど、稀に、5次元の「概念」が、自らの型を求めて、自らの「存在」を表し、存続するために、1次元までも降りていくことがある。その道すがら、3次元の自らを描くための「肉体」として生み出したのが、「ゴッホ」さんにあたる訳です。

    そんな中で、ゴッホさんの生涯を支えた人がいた。

    それが、テオさん。彼の、人間としての弟さんだ。
    彼は、本当に、彼の生涯を支えるために生まれた。
    彼と、しっかりした兄弟の絆で結ばれ、その絆はとても強固だった。

    彼らは、それこそ、両者とも「美」の概念体だった。
    彼らは、「示し合わせて」、この世に、この次元に降りたのだ。

    テオさんの体現した美は、彼の生み出した「美」を人々に知らせるために。
    けれど、なにより美しかったのは、「この美しい存在」。この2人だった。
    それはきっと、二人は副産物のようだと考えていもしなかっただろう。
    ただ、自分たちの美しい絆に、心を安らいだものにしていた事もあるだろう。そして、たまには、嵐が来ることもあっただろう。

    しかし、その生涯は、「美」そのものだった。

    「このゴッホは、生涯を通じて、己の「美」を生み出し、人々に知ってもらいたかった。でも、そう、なにより。この僕たちの生涯こそが「美」だったんだと、僕は、今気が付いたよ」

    ありがとう、と、ゴッホさんは言いました。
    僕は、ゴッホさんを、とある漫画の中で知ったけれど、その彼の描く「絵の挿絵」は、なんだか真に迫っていて、「良いなぁ」と感じた。

    この絵が、かつて、ほとんど誰も手にしなかったと聞いた後、僕は、「そんなことあるの?こんなに素敵だと僕は思うのになぁ…」とぼんやり思ったものだ。「売れなかった」ということが信じられなかった。

    だって、今のゴッホさんの絵は、あんなに人々に求められているのに。
    でも、人々は、人間というものは、どうにも、その後に成って。
    もう、新しいものが生まれなくなった後に成って、やっと、惜しいと思うのかなぁ…。とか考えてしまった。

    その時代に生きた人々は、多分、あまりに違う世界の描き方に戸惑ったのだとは思うけれど…でも、あんまりにもそれこそ、「惜しい」事だ。

    僕は、この漫画から抜け出してきた僕の、ゴッホさんと話して、そう感じたのでした。終わり。

    結び。切り。

    ***

    こうして、彼は僕、「明」を通じて「神」の心を知った。
    こうする事が、火徒になるという事。
    これで初めて、僕たちが認める、「人間」になるのだ。

    結び。切り。


     
     
    結局のところ、私が書きたいものって…? そんな風に行ったり来たりだけど、何となくでも続けばいいな。 そういう私の徒然まかせなNOTEです。

    あなたへのおすすめ