
「『3行』の難しさ。(10月5日)」
*
最近の街(note)では、「まずは3行から、書くきっかけを作ろう」という初心者のための優しい導きをよく目にします。
書く一歩を踏み出すハードルを下げる試みなのかもしれません。けれど、文字の数をただ減らすことに囚われ、大切な本質を見落としてはいないでしょうか。
*
世界一短い文学と言われる日本の俳句がそうであるように、優れた短文は、読み手の脳内へ一瞬にして色鮮やかな映像や匂い、風の冷たさを「楽に」結ばせてくれます。
そこには、書き手側が時間と手間をかけ、読者の視線が一番美しい本質に集中できるよう、緻密に言葉を選び抜いた「引き算の美学」があります。
あなたがお料理上手でしたら、深い琥珀色をたたえた一杯のブイヨンスープが連想されるかもしれませんね。

*
たとえば、目の前の「うなぎの蒲焼」を表現するとき。
単に「買い出しに行って食べた」という行動の箇条書き(記号)だけでは、読み手はその行間を推測し、脳内で映像を組み立てるための余計な「読解のコスト」を払わされてしまいます。
『食べた、美味しかった』では、あまりに寂しい。
"濃厚なタレを纏った蒲焼からたちのぼる、赤熱の炭に落ちてついた香ばしい香り。箸を当てると、一瞬サクッとした手応えを残して、ふわりとして柔らかな感触がある。"
———そう綴れば、読み手は文字を追う負担を忘れ、食卓の温かさや食への深い感謝を、自身の五感で自然と受け止めることができるのではないでしょうか。

*
見た目が"かんたん"に感じられるものほど、実は一番難しい。
中身のある文章を自分の手で悩みながら綴ってきた人ほど、そのことを身に沁みて知っています。
本当の引き算とは、ただの「手抜き」や「形式的な間引き」ではありません。
一度は自分のなかに浮かんだ愛おしいイメージを言葉にして書き連ねる。
でも、後から見直した時に、たとえ懸命に頭を絞り生み出した"渾身のフレーズ"であったとしても、
それが「全体の美しさを濁らせるノイズ」になっているならば、未練なく削り落とす。
身を切るような痛みをもって切り取ってゆく。
そんな、言葉に対する「誠実な格闘」のあとにしか、締まりのある文章は生まれないものです。
*
もし、投稿ボタンを押したあとに、自らの作品を一人の読者として、
あるいは全くの他人になって客観的に読み返すことをサボってしまえば、言葉はただの「毎日投稿のマス目を埋めるためのノルマ」へと形骸化してしまいます。
「文字の隙間に、どれだけの体温と責任を込められるか」
わずか3行の短い枠だからこそ、私たちはもっと言葉を恐れ、そして愛さなければならないと思うのです。
今日も、良い一日になりますように。
(🎹MIYABI)