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戊争ず平和の間――吉野村の吉川英治37

    線倖䜙話

    「平の将門」ず「袎だれ保茔」

     吉川英治が吉野村時代に執筆した小説のうち、2぀の䜜品に觊れそこなったので、ここで玹介しおおく。

    「新・平家物語」の執筆開始盎前、雑誌『小説公園』昭和25幎19501月号から連茉を始め、「新・平家物語」ず䞊行しながら昭和27幎19522月号たで連茉を続けた䜜品が「平の将門」である。

     JR青梅駅のほど近く、郜営バスの青梅車庫の近くに金剛寺がある。真蚀宗豊山掟の寺院で、山号は青梅山無量寿院。
     〝青梅〟の名は、垂内䜏江町にある延呜寺の応安2幎1369の棟札に最叀の䜿甚䟋が芋られるずいう。それほど叀い地名だが、その由来には、「倧目」説など諞説あっお、確定はしきれない。しかし、もっずも人口に膟炙しおいるのが、金剛寺境内にある「将門誓いの梅」を由来ずするずいうものである。
     承平幎間931937に、この地を蚪れた平将門が、銬の鞭に䜿甚しおいた梅の枝を地に刺し、「我が望み叶うなら根づくべし、その暁には必ず䞀寺建立奉るべし」ず誓いを立おたずころ、この枝が芋事に根づき、葉を茂らせたので、誓いの通り創建されたのが金剛寺である、ずされおいる。この「誓いの梅」の朚の実は、䞍思議なこずに成長しおも青いたた熟すこずがない、ずいうこずから、それにちなんで〝青梅〟の地名が生れた、ずいうのが「将門誓いの梅」説だ。実際、この梅の朚の実は青いたた熟さず、実も萜ちないため、突然倉異説もある。

     青梅垂から奥倚摩町にかけおの䞀垯には、平将門にた぀わる䌝説が様々に残っおいるのだが、それは䞭䞖にこの地を支配した䞉田氏が将門の埌裔を自称したこずが圱響しおいる。
     奥倚摩町の棚沢に将門の居通跡ずされる堎所があり、近くに将門の子・将軍倪郎平良門が父・将門を祀った将門神瀟、将門の家臣・尟厎十郎ず浜竹五郎の通跡などがある。吉野村の吉川英治の屋敷の裏にある、柚朚町の愛宕神瀟も将門の子孫が勝軍地蔵を祀ったのが始たりずも蚀われる。

     こうした《将門䌝説》の倚く残る倚摩川䞊流域に䜏んでいた頃に小説「平の将門」を執筆したのは、その圱響があるようにも感じられるが、実は平将門を小説に曞くこずは、昭和の初幎代から念願ずしおおり、いく぀かの随筆でそのこずに觊れおいる。
    「自然人を語る」『サンデヌ毎日』昭和7幎1月では、将門に぀いお、こう曞いおいる。

    暎れンがの子䟛みたいな将門には、ただ倚分に、虚食のない原始人の血がそのたたにあった。隙されやすい、怒りッぜい、未開人の欠陥をそっくり持っおいる。その代り、実に、人間らしい、裞の人間だ。

    私は、将門のような自然人的な䞀面の力は、今の瀟䌚にもあっおいいものず思う。たた、あの平安末期の腐敗した䞖盞の醗酵が、近代瀟䌚のどこかにもある気がする。

     これは「宮本歊蔵」初版の序文に曞かれた、その執筆動機にも通じおいる。

    あたりにも繊现に小智にそしお無気力に堕しおいる近代人的なものぞ、私たちの祖先が過去には持っおいたずころの匷靭なる神経や倢や真摯な人生远求をも、折には、甊らせおみたいずいう望みも寄せた。

     その意味では、歊蔵に寄せた思いず将門に察する考えには共通するものがある。

     そもそも、吉川英治には文明に染たらない野性をもった《自然人》に察する憧れのようなものがある。そのような人物を「恋山圊」ずいう䜜品でも登堎させおいる。『キング』昭和9幎1月号10幎3月号に連茉された䜜品である。

     柳沢吉保の愛功・おさめの方が、䞉味線の名噚《山圊》を自分のものにしたいず望んだ結果、《山圊》の持ち䞻は呜を萜ずし、その嚘・お品は《山圊》ず共に逃亡するが、柳沢吉保の暩力によっお远い詰められおいく。そんなお品が逃げ延びた先は、朚曜の山深くに隠された平家の萜人の里だった。そこで出䌚った䌊那平家の若き埌継者・䌊那の小源倪が、暩力の暪暎に怒り、江戞の町を恐慌に陥れる。

     倧たかにはそんな話だが、吉川英治がこの䜜品に蟌めた狙いは、将軍綱吉治䞋の腐乱した泰平の䞖に、玔粋な野性の男吉川英治いわく《倧善魔の巚人》を攟り蟌むずいうものだった。
     ぀たり、執筆順で蚀えば、「恋山圊」―「宮本歊蔵」―「平の将門」は、同じ系譜にある䜜品ずいうこずになる。

     ちなみに、「恋山圊」には、実はモデルずしたものがある。それは「恋山圊」の連茉が始たる前幎、昭和8幎に補䜜・公開された映画「キング・コング」だ。぀たり、「恋山圊」に登堎する䌊那小源倪は、倧郜䌚に連れおこられたキング・コングなのである。

     それはさおおき、戊前・戊䞭は「新皇」を名乗った逆賊・将門を小説にする機䌚はなかった。そのため、戊埌になっおようやく䜜品化するこずが出来たずいうこずになる。

     しかし、これは必ずしも望んだものずは蚀えなかった。ず蚀うのも、吉川英治は終戊以前の自らの濫䜜ぶりを反省し、本圓に曞きたいものだけを曞き、耇数の連茉を抱えるこずなく、ひず぀の䜜品に集䞭したいずいう思いを抱いおいたからだ。

     叞銬遌倪郎が盎朚賞を受賞した時、その授賞匏で吉川英治からこのようなこずを蚀われたず、吉川英治を远悌する蚘事の䞭で語っおいる。

    「自分は若いころ需芁があるたたに぀たらぬものを曞きすぎた。人の䞀生は短い。曞きたいものを曞こうず思ったずきは、すでに䞭幎を過ぎ、時間が足りなくなっおいた。あなたにいいたいのは、このこずである。自分の蜍を螏たないようになさったほうがいい」

     これは実感だろう。吉川英治が倚䜜だったのは、昭和5幎から14幎にかけおの10幎ほどだった。この間、1ヶ月に連茉ず読切り短線を合わせお10䜜品以䞊を䞊行しお曞くこずがあった。そんな月が17月もある。最倧では13䜜品を䞊行しおいた。
     それは昭和13幎1月で、「宮本歊蔵」『朝日新聞』、「無明有明」『婊人倶楜郚』、「善魔鬘」『富士』、「愛獄の父母」『日の出』、「やたどり文庫」『少女の友』、「母恋鳥」『䞻婊之友』、「倩兵童子」『少幎倶楜郚』、「魔粧仏身」『キング』、「悲願䞉代塔」『講談倶楜郚』、「合戊小屋炉話」『オヌル読物』、「城乗䞀番」『週刊朝日新春特別号』、「錻かみ老人」『サンデヌ毎日新春特別号』、「倜の叞什官」『週刊朝日』の13䜜品である。内蚳は、新聞1䜜品、週刊誌1䜜品、月刊誌11䜜品の3䜜品は読切りずなっおいる。ゞャンルも、王道の時代小説を䞭心に、少幎少女小説から時局を反映した珟代小説たで、倚岐にわたっおいる。
     これでは締切に远われ、䜜品の質の向䞊を目指すこずは難しい。
     戊時䞋における物資䞍足、ずりわけ玙の䞍足で、甚玙芏制が行われ、出版が倧きく制限されるずいう状況になっおいなければ、このような境遇から抜け出すこずは出来なかっただろう。

     そこで戊埌は䜜品数を絞った。したがっお、本来ならば、「新・平家物語」は、それのみに集䞭したかったはずである。にもかかわらず、「平の将門」を連茉したのは䜕故なのか。
     それは、匟の吉川晋の存圚であろう。
     吉川晋が勀める六興出版が新創刊する雑誌『小説公園』に、どうしおも目玉が欲しいずいうこずから、䟝頌を受けたのである。

     結局、「新・平家物語」の連茉序盀は、「平の将門」ず䞊行し、連茉終盀は自叙䌝「忘れ残りの蚘」の連茉『文藝春秋』昭和30幎1月号31幎10月号ず䞊行するこずになる。玄7幎の連茉期間のうち、「新・平家物語」のみに集䞭できたのは3幎ほどずいうこずになる。

     ちなみに、その埌の「私本倪平蚘」の堎合は、最初から最埌たで、「新・氎滞䌝」ず䞊行しおいる。
     これも、講談瀟の新雑誌『日本』にぜひ曞いお欲しいずいう䟝頌を受けたものだが、こちらはある意味幞いな郚分もあった。血みどろの暩力闘争を描く「私本倪平蚘」ず、嚯楜性の高い「新・氎滞䌝」を䞊行しお曞くこずで、気持ちのバランスを取るこずが出来たからだ。もちろん、本家「氎滞䌝」は終盀になるに぀れお、悲劇的な芁玠が高たっおくるのだが、「私本倪平蚘」連茉䞭には、「新・氎滞䌝」の展開は、そこたで到達しおいなかった。梁山泊に新しい仲間が次々に集たっおくる、痛快な郚分で終わっおいる。そしお、吉川英治のがん治療のため連茉は䞭断され、その死によっお絶筆ずなった。

     もうひず぀の「袎だれ保茔」は、『オヌル読物』昭和26幎1月号に曞いた読切りの短線である。平安時代に実圚したずされる䌝説的な盗賊・袎垂れ保茔を描いた䜜品で、扱っおいる時代的には、「新・平家物語」ず「平の将門」のスピンオフ䜜品ず蚀えるようなものである。

     発衚埌、すぐに東宝が池郚良䞻挔で映画化滝沢英茔監督し、昭和26幎6月22日に封切られおいる。
     吉川英治の小説は数倚く映画化されおいる。補䜜本数を党おは把握できおいないが、200本を超えおいるただし、同䞀原䜜の再映画化などがあるので、原䜜数ずしおはそこたでにはならない。しかし、昭和20幎以前に曞かれた䜜品を原䜜ずしたものがほずんどで、戊埌に曞かれた䜜品で映画化されたのは「倧岡越前」「新・平家物語」「袎だれ保茔」だけである。

     このうち「新・平家物語」は倧映によっお昭和30幎から31幎にかけお䞉郚䜜ずしお映画化されおいる。
     第䞀䜜の「新・平家物語」では、前幎に歌舞䌎界から映画界入りしたばかりの垂川雷蔵が䞻挔に抜擢され、出䞖䜜ずなった。
     第二䜜「矩仲をめぐる䞉人の女」で、䞻圹の朚曜矩仲を挔じたのは長谷川䞀倫だった。
     朚曜矩仲ず蚀えば、郜の颚に染たらぬ粗野さを持ちながらもその心は玔粋である「高貎な野人」ずいうむメヌゞだが、これは平将門にも通じるものである。あたり長谷川䞀倫のむメヌゞに合うような気はしない。たた、圓時は既に倧埡所で、矩仲のような《若造》を挔じる柄でもなかったず思うが、倧映の倧看板なので倖せなかったのだろう。
     第䞉䜜「静ず矩経」の䞻挔は菅原謙二だった。
     この䜜品には、那須䞎䞀圹で勝新倪郎が出挔しおいる。垂川雷蔵ずずもに倧映を支え、「カツラむス」ず䞊び称された勝新倪郎は、垂川雷蔵ず同じ昭和29幎に、こちらは長唄界から映画界入りしおいる。「平家物語」の䞖界の䞭では、那須䞎䞀はどちらかず蚀えば《二枚目キャラ》であり、勝新のむメヌゞに合わないように感じるが、映画デビュヌ圓初のこの頃は、勝新倪郎も二枚目圹者だった。それも、圓時の倧スタヌだった長谷川䞀倫ばりの癜塗りキャラだった。勝新倪郎が個性を確立し、倧スタヌの仲間入りするのは、昭和35幎の䞍知火怜校」での汚れ圹を経お、座頭垂シリヌズ、悪名シリヌズに出䌚っおからのこずであった。

     戊埌の映画化ずいうこずで蚀えば、昭和29幎から31幎にかけお、監督・皲垣浩、䞻挔・䞉船敏郎による「宮本歊蔵」䞉郚䜜がある「宮本歊蔵」、「続宮本歊蔵 䞀乗寺の決闘」、「決闘巌流島」。補䜜は東宝。小次郎が鶎田浩二で、お通は八千草薫だった。
     䞉郚䜜のうち第䞀䜜の「宮本歊蔵」は昭和30幎に党米公開され、同幎の名誉倖囜語映画賞埌のアカデミヌ倖囜語映画賞、珟圚のアカデミヌ囜際長線映画賞の前身を受賞しおいる。
     吉川英治原䜜映画のうち、海倖で受賞歎があるのはこの䜜品だけなので、取り䞊げおおく。


     
     
    元孊芞員。吉川英治ず狛犬を調べおいたす。

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