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大奥の島巡り

    かたばみ文庫 江戸百話(四十四)

     数ヶ月後。

     長屋の井戸端では、朝から絵島生島の噂でもちきりだった。

    「聞いたか、長吉!」

    「何を?」

    「大奥の女が役者と大変なことになったんだとよ」

    「大変なことって何だ?」

    「だから大変なことだよ」

    「お前、分かってねえだろ」

    「分かってるさ。俺だって男だ」

    「昨日、女房に締め出されてただろ」

    「それとこれとは別だ」

     二人がくだらない言い合いをしているところへ、栄三郎が通りかかった。

    「親方!」

    「今度は何だ?」

    「両国の落書だよ」

     三人で壁のところへ行く。

     案の定、人だかりができている。

    「読んでくれ!」

     栄三郎が紙を見た。

     そして、声を張った。

    役者はみな
    生島の島巡り
    絵島を愛でて
    身をぞ滅ぼす

     太助が目を丸くした。

    「島巡り?」

    「そうさ」

    「生島ってのは役者の名前だろ?」

    「そう」

    「絵島も女の名前だろ?」

    「そう」

    「じゃあ二人で島へ遊びに行ったのか?」

    「お前は何を聞いてるんだ」

    「だって島巡りって書いてあるじゃねえか」

     栄三郎が笑った。

    「生島が絵島へ行った。ところが帰り着いた先が、今度は本物の島だ」

    「流されたってことか!」

    「そういうことだ」

     長吉が腹を抱えた。

    「役者もずいぶん忙しいな!」

    「何が?」

    「絵島へ行って、島を巡って、最後は島へ流される!」

    「観光旅行じゃねえ!」

     人垣が大笑いした。

     すると太助が、ふと横の柱を見た。

    「あれは?」

     小さな紙が貼ってある。

     栄三郎が読んだ。

    正気にて
    帰るつもりが
    鍾馗様
    鬼を退治ず
    泥を吐くなり

     長吉が太助を見る。

     太助も長吉を見る。

    「……何だよ」

    「お前だろ」

    「何がだ」

    「一昨日の夜」

    「何もねえよ」

    「長屋の前の溝に頭から突っ込んでた」

    「俺じゃねえ」

    「『鬼を退治するんだ!』って叫んでた」

    「俺じゃねえ!」

    「そのあと『鍾馗様のお通りだ!』って言ってた」

    「……俺じゃねえ!」

     栄三郎が笑いながら肩を叩いた。

    「正気と鍾馗を掛けてるんだよ」

    「それは分かった」

    「分かったのか」

    「俺にもそれくらいは分かる」

    「じゃあ、その先は?」

    「……」

    「泥を吐く鍾馗様だ」

    「言うな!」

     長吉が腹を抱えてしゃがみ込んだ。

    「鬼を退治するどころか、自分が鬼みてえな顔になって、最後に泥を吐いたんだ!」

    「笑うな!」

    「お前、大奥の絵島を笑ってたじゃねえか!」

    「俺は大奥じゃねえ!」

    「そうだな。お前は長屋だ」

     栄三郎まで吹き出した。

     太助は真っ赤になって壁を睨んだ。

    「誰だ! こんな落書を書いた奴は!」

     すると通りの向こうから、知らない声が飛んできた。

    「鍾馗様!」

    「違え!」

     また別の声。

    「泥を吐くなよ!」

    「うるせえ!」

     笑い声が広がる。

     太助はとうとう頭を抱えた。

    「もう酒やめる!」

    「本当か?」

    「ああ!」

    「三日もつか?」

    「……二日」

    「弱え!」

     両国の夕暮れに、また笑い声が広がった。

     大奥の島巡りも、泥酔した鍾馗様も、とうとう長屋の笑い話になった。

     江戸の町では、誰かが転べば、翌日にはもう五七五になっている。

     油断ならない。

     だが、それもまた、悪くない。

     
     
    横丁のご隠居を自称しています。隠居ですので当然無職、毎日趣味に生きています。一番目は読書、それからガーデニング、特にバラが好きです。あとは旅行ってところ。 インプットばかりじゃなくてアウトプットも必要とのことなので、このアプリを使うことにしました。 未だ使い方がわかっていません。

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