
帰らなかった小さな船
漁師はしばらく海を見つめていました。さっきまで穏やかだった表情には、遠い昔を思い出すような影が落ちていました。
「その日は、昼を過ぎた頃から急に風が強くなったんだ。」
朝はいつもと変わらない海だったそうです。けれど午後になると空はみるみる暗くなり、沖に出ていた船たちは急いで港へ戻り始めました。
灯台守のおじいさんも、まだ日が沈む前から灯台へ上がりました。
「海には、まだ戻っていない船があったからね。」
やがて雨が激しくなり、波は防波堤を越えそうなほど高くなりました。遠くの海はほとんど見えません。それでも、丘の上の灯台からは強い光が何度も何度も暗い海を照らしていました。
その光を目印に、一隻、また一隻と船が戻ってきました。
「みんな、あの灯りを見て帰ってきたんだ。」
漁師はそう言ってから、少しだけ言葉を止めました。
「でも……最後まで戻らない船が一隻あった。」
フロピーの表情が曇りました。
「その船は……?」
漁師は静かに首を横に振りました。
「小さな漁船だった。夜が明けても、とうとう戻ってこなかったよ。」
三人は何も言えませんでした。波の音だけが、いつもより大きく聞こえるような気がしました。
「おじいさんは?」
マロウが小さな声で尋ねました。
「あの人は朝まで灯台にいたよ。ずっと灯りを消さずに、海を見ていた。」
漁師は手元の網をそっと握りました。
「誰も、あの人を責めなかった。あれほどの嵐じゃ、どうすることもできなかったからね。それどころか、灯台の光のおかげで帰ってこられた船は何隻もあったんだ。」

「じゃあ、おじいさんのせいじゃないよ。」
フロピーがすぐに言いました。
「そうなんだ。」
漁師は頷きました。
「みんな、何度もそう言ったよ。」
けれど、おじいさんだけはそう思えませんでした。
『もっと早く気づいていれば。』
『もう少しだけ、あの方角を照らしていれば。』
そんな言葉を何度も繰り返していたそうです。
しばらくすると、おじいさんは村へ下りてこなくなりました。海の話を避けるようになり、人とも少しずつ距離を置くようになりました。
そしてある夜、灯台の灯りが消えました。
次の日も。
その次の日も。
やがて、海に向いていた窓まで一つずつ閉ざされていったのです。
フロピーは丘の上の灯台を見つめました。
「だから……海を見ないようにしてるんだ。」
ヤンヤンも、閉ざされた窓を見上げました。昨日、おじいさんが海の話をしただけで声を荒らげた理由が、ようやく少しわかった気がしました。
その時、フロピーがぽつりと言いました。
「嵐はずっと前に終わったのに……。」
ヤンヤンとマロウがフロピーを見ました。
「おじいさんの中では、まだ終わってないのかもしれないね。」
その言葉に、ヤンヤンはもう一度灯台を見上げました。
そして、ふとカバンの中にあるものを思い出しました。
やわらかな光を宿す、小さな「温もりの欠片」。
『あの光なら……。』
おじいさんの心を、ほんの少しでも温めることができるかもしれない。
ヤンヤンはそう思いました。