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一兆円とは、どれくらいの金額なのか?

    ATM手数料と、孫正義の卓代

    文・武智倫太郎

    おそらく大半の人間にとって、金額を肌で理解できるのは、千円、万円、頑張っても億円あたりまでだろう。

    卵や喫茶店のコーヒーなら、十円上がっただけでも『物価が高くなった』と感じる。靴下や肌着が百円高くなれば棚の前で考え込み、無料だったATMの引き出し手数料が110円になれば、自分の金を取り戻すために、なぜ銀行へ通行料を払わなければならないのかと腹が立つ。しかも消費税込みである。自分の預金に面会するだけで、国まで取り分を要求してくる。

    家賃が月に千円上がれば、年間では一万二千円になる。管理会社の通知には一行で済む話でも、こちらの家計では、その一行を帳消しにするために何かを諦めなければならない。向こうは文書を一枚送り、こちらは一年かけて払う。なかなか効率のよい事務処理である。

    億円になると、日常からは遠ざかる。それでも、自宅の購入価格や住宅ローン、何十年も働いて受け取る給料の総額を物差しにすれば、かろうじて輪郭は見える。自分の人生を何本束ねれば届く金額なのか、という不愉快な換算ができるからだ。

    生命保険の死亡保障に一億円と書かれていれば、さらに生々しい。ただし、その一億円を受け取る席に、通常、本人はいない。毎月の保険料を払い、自分に万一のことがあった後の家族の暮らしを支える。自分の不在まで計算に入れて、ようやく生活と接続するのが、一億円という数字である。

    一般人にとっては『命がけ』という比喩に、保険証券が付いてくる金額なのだ。

    『アカギ』の世界では、昭和四十年の五億円は『現在の五十億円』である。ところが、令和八年の一億円は、現在の一億円。ナレーションがどれほど重々しく読み上げても、こちらの残高にはゼロを一つ足してくれない。

    一般人が自分の生涯や死亡保障まで持ち出して、ようやく重さを実感できる一億円。その一万倍が、一兆円である。ここまで来ると、物差し自体が折れる。

    仮に毎日百万円を使い、利息も運用益も考えずに取り崩したとして、使い切るまでに約二千七百四十年かかる。老後資金の心配をする前に、自分の文明がそこまで続くかを心配した方がいい。毎日百万円使う生活を子孫に引き継いでも、先に家系図を書く紙が足りなくなりそうだ。

    これほどの金額になると、ニュースで『一兆円』と聞いても、多くの人は十円の値上げほどには反応できない。十円なら卵が見えるが、一兆円ではゼロが並んでいるだけだからだ。家計簿には入らず、国家予算の説明にはよく出てくる、妙に丸い数字。大き過ぎる金額は、かえって現実味を失う。

    そして、この感覚の空白に卓を置いているのが、ソフトバンクグループ、孫正義である。

    一兆円の大きさを、もう少し地面に近いところから眺めてみよう。日本中が力を入れている『インバウンド』が、ちょうどよい物差しになる。

    外国から客を呼び、ホテルに泊まってもらい、寿司や和牛を食べてもらい、化粧品や医薬品を買ってもらう。空港で荷物を運ぶ人がいて、ホテルでシーツを替える人がいて、厨房で魚をさばく人がいて、その皿を洗う人がいる。観光客のスマートフォンには美しい日本が残り、その画面の外では、誰かが次の客のために便器を磨いている。

    その膨大な仕事に支えられた訪日外国人の旅行消費額は、2025年の速報値で約9.5兆円だった。一兆円は、年間の消費額を単純に日割りした約39日分に当たる。
    出典:観光庁

    日本各地の宿泊、飲食、交通、買い物を一か月以上積み重ねて、ようやく一兆円という桁に届く。その数字の裏には、早朝の仕込みも、深夜の片づけも、笑顔が出なくなった時間帯の接客も含まれている。

    しかも、これは利益ではない。ここから食材費も光熱費も人件費も払う。ホテルの売上が一万円増えても、ホテルマンの財布に一万円が入るわけではないし、寿司屋の一万円には、魚の仕入れ代金も、それを握る人の給料も含まれている。

    飲食店では、食材費のFoodと人件費のLaborを合わせて『FL費』と呼ぶ。経営の数字として並べると二文字で済むが、現場ではマグロと人間である。どちらも、社長が『未来を信じろ』と演説しただけでは調達できない。

    仮に売上百円のうち、食材費が三十円、人件費が三十円なら、その時点で六十円が出ていく。残った四十円にも家賃、電気代、ガス代、水道代、消耗品代などが順番待ちをしている。キャッシュレス決済なら手数料も掛かる。客が現金を持ち歩かなくなったおかげで、店の売上からは自動的に小銭が旅立つようになった。

    だから、売上を一割増やしたからといって、利益も気前よく増えるとは限らない。忙しくなった分だけ人手が要り、人を増やせば人件費が上がり、増やさなければ、今いる人間の笑顔と腰が先に壊れる。

    経営会議では『生産性向上』の五文字で片づくが、厨房では一人で二人分の皿を洗う話になりがちだ。皿は未来への期待では乾かないし、マグロは決算発表まで鮮度を維持してくれない。

    少々、厨房に長居した。しかし、一兆円の重さを考えるには、ここを通っておく必要がある。『一兆円を稼いだ』という一言の下には、それだけの仕入れと労働と時間が埋まっているのだ。

    ところが、世の中には売上と利益の区別が付かない人が、意外なほどいる。『年商一億円』と聞けば、社長が毎年一億円をポケットに入れていると思うらしい。その計算なら、魚屋への支払いも従業員の給料も、全部マグロが負担していることになる。

    要するに、売上から経費を引いて利益が残っても、その全額を自由に使えるとは限らない。借入金の元本返済は損益計算書の費用とは別に財布から出ていくし、冷蔵庫が壊れれば買い替えなければならない。銀行に決算書を見せることはできても、魚屋に決算書を食わせるわけにはいかないのである。

    ここまで来ると、厨房の話をしているのか、巨大投資会社の話をしているのか、少々怪しくなってくる。

    そこで、SBGやArmの株価を眺めながら『すごい企業だ』と感心している人に、もう一つだけ聞いてみたい。その株を買った金額に対して、年間いくらの配当が、自分の口座に振り込まれるのか。

    配当利回りとは、その割合である。時価総額の桁を数えるより、こちらを計算する方が電卓は早く静かになる。

    SBGの会社予想配当利回りは、2026年9月18日時点で〇・一七%だった。表示された利回りで単純計算すれば、百万円を投じて、年間千七百円。税引き前である。
    出典:Yahoo!ファイナンス

    ATMで一回110円払って十五回引き出せば、千六百五十円。百万円に一年働いてもらった成果が、自分の預金に十五回面会すると、ほぼ消える。人類の未来に投資したはずが、当面の受益者はATMである。

    もちろん、配当を抑えて成長に投資する経営には理屈がある。投資家も、配当より将来の値上がりを期待して買うことがある。ただし、『会社が成長する』『株価が上がる』『自分の口座に金が入る』は、それぞれ別の出来事だ。

    ここを一緒くたにすると、企業の時価総額が増えただけで、自分の生活まで豊かになったような気がしてくる。人類は超知能へ近づいているのに、こちらはスーパーの値引きシールが貼られる時刻に詳しくなる。

    その一方で、SBGが今回発行する一兆円の個人向け社債は、年利四・七五%、七年物である。一兆円が全額残っていれば、年間の利払いは四百七十五億円。365日で単純に割れば、一日約一億三千万円になる。

    一般人が生涯や死亡保障まで持ち出して、ようやく輪郭をつかむ一億円が、この社債一本の利払いでは一日分にも足りない。こちらは『万一のことがあったら』と考え、あちらは、特に何も起きなくても翌日にはまた利息を負担する。

    満期まで一兆円が残る前提なら、七年間の利息は合計三千三百二十五億円。それだけ払っても、最後には元本の一兆円が待っている。利息というのは、元本を少しずつ成仏させる供養料ではない。七年間丁重にお付き合いした後で、本体がそのまま帰宅を要求してくる。

    ここで『〇・一七%しか儲からないのに、四・七五%で借りている。逆ザヤではないか』と言いたくなった方は、いったん箸を置いていただきたい。

    〇・一七%は、その株価で買った株主が受け取る予想配当の割合であって、SBGが投資先から稼ぐ収益率ではない。違う財布の数字を引き算してはいけない。売上と利益を混ぜた鍋を、今度は自分で作ることになる。

    株主には将来の成長を待ってもらい、債権者には契約で決めた日に現金を払う。人類の未来を信じて待つ席と、半年ごとに利息を受け取る席が、同じ会社の資金調達の中に用意されている。未来への期待を熱く語る説明会にも、契約上の支払いの優先順位はある。

    そして、金融コスト地獄は、表面金利を計算したところでは、まだ入口である。

    ブリッジファイナンス。日本語にすれば、つなぎ融資だ。名前には橋が架かっているが、無料の歩道橋を想像してはいけない。契約によっては、アップフロントフィー、アレンジメントフィー、コミットメントフィーと、立派な片仮名が並ぶ。出口で社債を発行すれば、引受けや販売にも費用が掛かる。

    アップフロントフィー。要するに、契約の入口で払う手数料である。金を借りたいと相談したら、まず金を払う話になる。財布が寂しいので銀行へ行った人間に、最初に財布を開かせる。金融というのは、入口から教育的だ。

    アレンジメントフィーは、融資を組み立て、金融機関を取りまとめる仕事への対価である。巨額の金を集めるには、相応の手間も責任もある。ただし借り手の立場から見れば、『金を借りる段取りを付けてもらうための金』が、借りたい金とは別に必要になる。

    コミットメントフィーになると、さらに味わい深い。契約に応じて、まだ使っていない融資枠を、使える状態で確保しておくことにも料金が掛かる。銀行は資金供給の約束を背負うのだから理屈は通っているが、庶民の感覚では、まだ食べていない寿司のために席料を払っているようなものだ。

    出口の資金調達まで確約してもらうなら、その約束にも値段が付き得る。『その頃には市場で売れるでしょう』という営業トークと、『売れなくても当行が資金を出します』という契約では、金融機関が背負うものが違う。ウォール街も、なんとなく儲かりそうだと資本を差し出しているわけではない。

    SBGの個別契約で、これらの費用がどの名称で、誰に、いくら支払われるかを、公表資料だけから決めつけることはできない。ただし、金利の数字だけ見て資金調達の総費用が分かった気になるのは、寿司屋の原価をマグロの仕入れ値だけで計算するのと同じである。厨房で人件費を忘れた人間が、金融市場では手数料を忘れている。

    桁の感覚だけは取り戻しておこう。仮に一兆円を対象に、一回〇・一%の手数料が掛かれば十億円。〇・五%なら五十億円になる。これは実際の契約料率ではなく、規模をつかむための算数だ。

    昭和四十年の五億円を換算するまでもない。

    現在の五十億円である。

    鷲巣麻雀の卓を囲む前に、金融機関の料金表で同じ数字に出会ってしまった。こちらは血を抜かれなくても、契約条件に従って金が抜けていく。

    しかも、料金所を通過した先には、出資コミットメントが待っていることもある。契約に従って将来資金を拠出する約束であり、まだ送金していないからといって、その分が自由に使える金とは限らない。融資枠を確保するコミットメントフィーとは別の話だが、払込期日が来れば、こちらも現金を用意する必要がある。

    まだ入っていない利益、まだ売っていない資産、まだ使っていない融資枠、これから払い込む出資の約束。どれも円やドルで表示されるので同じ金に見えるが、現金になる日も、現金が必要になる日も違う。

    その日付の隙間に橋を架け、橋の費用を払い、次の橋が必要になる前に長期資金へ置き換える。借り換えに成功すれば時間は買えるが、その時間にも値札が付いている。人類の未来を待つという壮大な行為が、銀行の帳簿では利息の計算期間になる。

    厨房から出るつもりが、証券口座を経由して有料道路に着いてしまった。しかし、一兆円の正体を考えるには、この寄り道も無駄ではない。

    一兆円の売上、一兆円の利益、一兆円の評価益、一兆円の借入枠、一兆円の出資約束。新聞の見出しでは同じくらいの面積に収まるが、今日の支払いに使える金額は、それぞれ違う。

    ところが、マサヨシの座る卓では、この値札を、次の勝負に使う金へと変える装置が動いている。

    巨大な資産に市場の値札が付いていれば、その値札が数パーセント動くだけで、兆円単位の増減が生まれる。仮に二十兆円の資産なら、五パーセントの値動きで一兆円。誰かがホテルの部屋を一室余計に掃除したり、寿司を一貫余計に握ったりする前に、市場が値札を書き換えれば、計算上の一兆円が現れる。

    厨房では一円単位の原価を削り、金融市場では兆円単位の評価額が動く。同じ円という通貨を使っているのに、片方には食洗機の音が響き、もう片方には未来の成長率が響いている。

    評価額が増えただけでは、銀行口座の残高は増えない。しかし、株を売り、担保を差し入れ、次の資金を調達することで、その値札を現金へとつなげられる。『これだけの価値があります』という説明が、条件次第で『では、これだけ貸しましょう』へ変わる。未来への期待が、今日使える金に翻訳されるのだ。

    もちろん、その翻訳にも料金が掛かる。

    孫正義の博徒ワールドを眺めていて眩暈がするのは、この翻訳を、我々の生活とは桁違いの規模で繰り返しているからである。

    我々は千円の家賃値上げを前に、来月の支出を組み直す。彼の卓では、AIが生み出す未来の価値を前に、巨額の投資をどう組み立てるかが議論される。こちらは給料日から逆算し、あちらは人類の未来から逆算する。同じ『資金計画』という言葉で呼ぶには、ずいぶん遠い関係である。

    その卓を囲んでいるのは、孫正義一人ではない。銀行も、証券会社も、投資家もいる。未来を説明する者、その説明を査定する者、融資や投資を組み立てる者が揃えば、壮大な構想は金融市場の立派な商売になる。人類がまだ受け取っていない未来にも、先に請求書を書ける人間はいるのだ。

    庶民が夢を語れば『まず貯金をしなさい』と言われるが、夢の桁が十分に大きくなると、資金調達を手伝う人間が集まってくる。夢にも、どうやら法人営業の対象になる最低発注額があるらしい。

    そうして一兆円は、一生かかっても使い切れない巨富から、次の巨大案件に参加するための卓代へと姿を変える。

    だが、卓がどれほど大きくなっても、支払日だけは普通の暦でやってくる。

    返済日が来た銀行に『人工超知能が実現すれば、人類の生産性は飛躍的に高まります』と説明しても、その文章をそのまま送金することはできない。未来は融資の説明には使えても、振込金額の欄には入力できないのである。

    投資が成功し、資金調達コストを上回る利益を回収できれば、この巨大な仕掛けは報われる。しかし、利益の到着が遅れても、利息や契約上の支払いまで一緒に遅れてくれるとは限らない。そこをつなぐ金をまた調達すれば、待ち時間にも費用が積み上がる。

    マサヨシが未来を遠くまで見通すほど、金融機関には、その手前に何回の支払日があるかが見えてくる。

    ここで、画面の中を軽々と飛び回っていた数字が、急に重力を取り戻す。

    一兆円とは、どれくらいの金額なのか。

    日本中の観光現場が一か月以上かけて積み上げる消費額に匹敵し、毎日百万円ずつ使っても二千年以上なくならず、それでも巨大な金融資産の値札の上では、数パーセントに収まってしまう金額である。

    そして、四・七五%で借りれば、年間四百七十五億円の利息を生む金額でもある。こちらが元本の大きさを想像できずにいる間にも、貸した側は掛け算を終えている。

    今日も我々は、ATMの110円を惜しんで無料の時間帯を調べている。その向こうでは、一兆円の点棒が次の勝負へ押し出されている。

    我々は、自分の金を引き出すための手数料を惜しむ。あちらの卓には、他人の金を集めるための手数料で商売をする者が集まる。同じ銀行が、その両方に窓口を開いている。

    あの点棒が何グラムあるのかは知らない。ただ、支払日になれば分かる。

    一兆円は、卓の上では一本の点棒に見えても、請求書の上では、きっちり一兆円なのである。

    なお、人工超知能の完成が遅れましても、お支払い期日は変わりません。

     
     
    情報工学者/週刊バブルウォッチ編集長/『哭きの禿』原作者。 AI、金融、国際政治から日常の珍事まで、真面目に調べて、おかしく書く。 代表作『ボルガレナのボルチンスカヤ』 https://note.com/aiethics496/n/n8d4f9aef7c04

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