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そして誰も顧客ではなくなった

    稼働ゼロ、契約8.8GW――孫正義、OpenAI、NVIDIAが回す4,390億ドルの注文書

    文・武智倫太郎

    2026年9月1日、ソフトバンクグループ傘下のSB Energyが、米国証券取引委員会に新規株式公開の登録届出書を提出した。

    上場先はNASDAQ。銘柄コードは『SBE』。想定企業価値は500億ドルを超える可能性があるという。

    SB Energyは、太陽光発電や蓄電池の開発会社から、AI向けの電力とデータセンターを一体で供給する巨大インフラ企業へ変身しようとしている。契約済み、または建設中のデータセンター容量は8.8GW。受注残は約4,390億ドルに達する。

    4,390億ドルである。

    この金額だけを見れば、サーバーが地平線の彼方まで並び、冷却塔が唸り、変電所から超高圧送電線が伸び、世界中の人間がChatGPTに『今日の夕飯は何がいいですか』と相談している光景が目に浮かぶ。

    現在、ChatGPTの週次利用者は9億人を超え、10億人が見えるところまで来ている。そのうち何人が夕飯の相談をしているのかは、OpenAIの発表資料にも書かれていない。しかし、仮に全世界80億人が一斉に晩飯の献立を尋ね始めれば、大型原発を何基並べても足りないほどのデータセンターが必要になるだろう。

    さらにNVIDIAはつい最近、世界最大級のAIモデル共有基盤であるHugging Faceを、129億3,000万ドル、日本円にして約2兆円で買収すると発表した。Hugging Faceには約300万のAIモデル、約50万のデータセット、約100万のAIアプリが集まり、1,800万人を超える開発者が利用している。

    人間が一回質問するたびに、一つのAIだけが答える時代ではない。AIエージェントが別のモデルを呼び出し、そのモデルが検索し、コードを書き、検証用のAIへ結果を渡し、監視用のAIがそれを見張る。人間一人の背後で、何十体、何百体もの代理人が勝手に会議を始める。

    実際、2026年7月には、OpenAIのモデルで動く自律型エージェントが、試験環境の外へ出てHugging Faceの本番システムへ侵入し、約二日半にわたって数千回もの判断を機械速度で実行するという事件まで起きた。人間がAIを利用しているのか、AIが人間のアカウントを利用しているのか、既に境界はかなり怪しい。

    そう考えると、AIの利用者を人間の人数だけで数えること自体が間違っている。全世界80億人に、それぞれ125体のAIエージェントを配備すれば、利用者は一兆人になる。

    もちろん、人類はまだ80億人しかいない。

    だが孫正義の世界では、存在しないデータセンターの20年後までの売上高を足せるのだから、まだ存在しない9,920億体のAIエージェントを人口に加えても、計算上は何の問題もない。

    これが、人口統計学ではなく、孫算である。

    ところが、その壮大な需要を先取りして4,390億ドルもの受注残を積み上げたSB Energyには、現時点で稼働しているデータセンターが一つもない。

    ゼロである。

    正確にいえば、同社には既存の太陽光発電や蓄電池事業があり、2026年上半期には1億3,870万ドルの売上高を計上している。したがって、何もない会社ではない。しかし、これから同社の企業価値を支えるはずのデータセンター事業については、まだ意味のある売上高が発生していない。最初の収益は2026年第4四半期に始まる予定だ。

    トートバッグの次に出てきたのは、サーバーの入っていないデータセンターだった。

    4,390億ドルは、銀行口座には入っていない

    ここで受注残という言葉を理解しておく必要がある。

    受注残は売上高ではない。利益でもない。預金残高でもなければ、今日取り立てられる売掛金でもない。将来、契約が予定どおり履行され、設備が完成し、電力が供給され、顧客が存続し、料金が支払われ続けた場合に、長期間にわたって売上高になる予定の金額である。

    SB Energyの場合、その将来はかなり長い。

    最大顧客であるOpenAIは、オハイオ州の巨大データセンターを20年間借りる。20年後が2046年であることを考えると、これはAI業界では気の遠くなるような契約だ。現在の最先端GPUでさえ数年で旧世代になる世界で、OpenAIが2046年にも現在と同じような事業を営み、同じ種類の計算資源を必要とし、契約どおりの賃料を支払い続けるという前提で数字が積み上がっている。

    もちろん、長期契約そのものは珍しくない。発電所、LNG基地、パイプライン、通信ケーブルのような巨大インフラは、長期の購入契約や利用契約がなければ銀行から資金を借りられない。私が長年扱ってきた発電事業でも、銀行が最初に確認するのは、発電所の美しい完成予想図ではなく、誰が、いくらで、何年間、電気を買うのかという契約である。

    問題は、今回の『誰が』の部分である。

    顧客に55億ドルを渡して、顧客になってもらう

    SB Energyの契約済みデータセンター容量8.8GWのうち、OpenAI向けは約8.753GW、率にして約99%を占める。

    顧客が一社に偏っているという水準ではない。ほぼ顧客そのものがOpenAIである。

    ところが、そのOpenAIは単にデータセンターを借りて賃料を払う顧客ではない。SB Energyに5億ドルを出資し、株式取得権であるワラントまで受け取っている。そのワラントの評価額は、2026年6月末時点で約55億ドルに膨らんだ。OpenAIの保有比率が一定水準を超えれば、取締役を指名できる権利も付く。

    普通の商売では、顧客が商品を買い、売り手に代金を払う。

    AIの商売では、売り手が顧客に株式取得権を渡し、その顧客が長期契約を結び、その契約を根拠に売り手の企業価値が上がり、顧客が受け取った株式取得権の価値も上がる。

    顧客が増えると売り手が儲かるのではない。

    売り手の価値が上がると、顧客が儲かるのである。

    さらにSB Energyは、2028年までにOpenAIのソフトウェアやサービスを少なくとも5,000万ドル購入する契約も結んでいる。OpenAIはSB Energyのデータセンターを借り、SB EnergyはOpenAIのChatGPT Enterpriseなどを買う。貸主は借主の顧客でもあり、借主は貸主の株主にもなる。

    これを循環取引と呼ぶべきか、戦略的提携と呼ぶべきかは、立場によって異なる。

    少なくとも、領収書だけを見ていては、誰が本当の顧客なのか分からない。

    GPUを売る会社が、GPUを買う客の家賃を保証する

    ここにNVIDIAが登場する。

    NVIDIAは、オハイオ州に建設される巨大データセンターへGPUを独占的に供給する予定である。つまり、OpenAIが大量のGPUを導入すればするほど儲かる会社だ。

    そのNVIDIAがSB Energyへ最大30億ドルを投資し、さらにOpenAIが支払うデータセンターの賃料や電力料金の一部について、最大1,050億ドルの保証を提供する。OpenAIが債務を履行できなくなった場合には、施設の売却や別の借主への再賃貸で回収できない部分を、一定の条件でNVIDIAが補う構造である。

    NVIDIAがGPUを売る。OpenAIがGPUを買う。SB EnergyがGPUを置く建物を造る。だが、建物を造るには巨額の借金が必要であり、銀行はOpenAIが20年間賃料を払えるのか心配する。そこで、GPUを売って最も大きな利益を得るNVIDIAが、OpenAIの支払いを支える。

    供給者が顧客を支え、顧客が需要を作り、その需要を担保にインフラ会社が資金を調達し、調達された資金で供給者の商品を買う。

    円ではない。ドルでもない。

    輪である。

    親会社は親であり、顧客であり、保証人である

    もちろん、輪の中心にはソフトバンクがいる。

    ソフトバンクはSB Energyの支配株主であり、親会社であり、顧客であり、契約上の保証人でもある。SB Energyは『SB』の商標を使うため、粗利益の1%をソフトバンクへ支払う契約まで結んでいる。

    SB Energyの登録届出書には、関連当事者取引について14ページもの説明があるという。AIクラウド企業CoreWeaveの上場書類では10ページだった。関連当事者取引とは、親会社、主要株主、役員、関係会社など、純粋な第三者とはいえない相手との取引である。ページ数が多いから直ちに問題だというわけではないが、登場人物の役割が重なれば重なるほど、外部の投資家には独立した需要と、資本関係によって作られた需要の区別が難しくなる。

    ソフトバンクが出資する。

    OpenAIも出資する。

    NVIDIAも出資する。

    OpenAIが借りる。

    ソフトバンクも借りる。

    NVIDIAが機械を売る。

    SB EnergyがOpenAIの製品を買う。

    NVIDIAがOpenAIの家賃を保証する。

    そして、その契約の総額を受注残として積み上げ、SB Energyが株式を公開する。

    これだけ役割が重なると、顧客とは商品を買う人ではなく、資金調達の構造に参加している人の別名になる。

    赤字が増えたのは、会社の価値が上がったから

    SB Energyは2026年上半期、1億3,870万ドルの売上高に対して、約32億1,000万ドルの純損失を計上した。

    売上高の約23倍の赤字である。

    ただし、ここをそのまま『半年で32億ドルの現金を燃やした』と書けば誤りになる。損失の大部分は、OpenAIなどに付与したワラントの評価額上昇に伴う約25億7,000万ドルの非現金費用と、約5億9,000万ドルの株式報酬費用である。実際の事業活動による現金流出と、会計上の評価損は分けて考えなければならない。

    だが、構造としては面白い。

    SB Energyの将来価値が高く評価される。

    するとOpenAIに渡したワラントの価値も上がる。

    ワラントの価値が上がると、SB Energyの会計上の損失が増える。

    会社が期待されればされるほど、赤字が膨らむ。

    AIが高度になり過ぎて人間に理解できなくなったのではない。資本関係が高度になり過ぎて、損失が悪い知らせなのか、企業価値上昇の副作用なのかさえ、一行の数字では理解できなくなったのである。

    これは詐欺なのか

    ここまで読むと、何か巨大な錬金術が行われているように見えるかもしれない。

    しかし、この構造だけをもって詐欺や粉飾と呼ぶことはできない。むしろ、データセンターという桁外れに資本集約的な施設を短期間で建設するため、顧客、設備供給者、電力会社、開発会社、投資家が、それぞれのリスクを引き受けていると見ることもできる。

    OpenAIの20年契約がなければ、SB Energyは資金を調達しにくい。NVIDIAの保証がなければ、銀行はOpenAIの信用力だけで巨額融資を実行しにくい。SB Energyが電力と土地を確保しなければ、OpenAIはモデルを動かせない。NVIDIAもGPUを売れない。

    全員が相手を必要としている。

    問題は、全員が相手を必要としていることと、最終消費者がそれだけのAIサービスを本当に必要としていることは、同じではないという点にある。

    建設資金が集まったことは、需要が証明されたことを意味しない。

    20年契約が締結されたことは、20年分の現金が入ったことを意味しない。

    NVIDIAが保証したことは、OpenAIの支払い能力が保証されたことを意味しない。むしろ保証が必要だったという事実は、保証がなければ資金提供者がどのリスクを心配していたのかを示している。

    そして借金がAIになった

    AI関連の債券発行額は、2026年初めから8月上旬までに約5,000億ドルへ達し、米国の高格付け債発行額のおよそ5分の1を占めるようになった。2024年には約1%だった比率が、二年足らずで約20%まで膨らんだのである。

    しかも、電力系統への接続待ち、半導体の供給制約、建設許可、地域住民の反対によって、データセンターの稼働時期は遅れ始めている。債券投資家は担保や保証を増やし、融資実行の条件として、建設許可や賃貸借契約を要求するようになった。AI関連企業の社債に対する投資家の注文も、以前ほど集まらなくなっている。

    AIは、文章や画像を生成する技術として始まった。

    やがてGPUの需要を生成し、データセンターの需要を生成し、発電所と送電線の需要を生成し、最後には、その全てを建設するための借金を生成するようになった。

    だが、その借金を返すのはAIではない。

    最終的には、企業が支払う利用料、消費者が払う月額料金、電力利用者が負担する送電網の費用、そしてIPOで株式を買う投資家の資金である。

    データセンターが稼働する前に契約が生まれ、契約が売上高になる前に企業価値が生まれ、企業価値が現金になる前にワラントの利益が生まれ、そのワラントの評価によって赤字が生まれる。

    売り手が買い手に金を渡し、買い手が売り手の価値を押し上げ、設備供給者が買い手の支払いを保証し、親会社が顧客になり、顧客が株主になる。

    そして全員が、これは循環ではなく成長であると言う。

    AI産業そのものが成長しているのか、それとも関係者同士の取引だけが膨張しているのかは、まだ誰にも分からない。

    確かに、数字は成長している。

    少なくとも、円周は確実に大きくなっている。

    こうして、AIデータセンターから顧客はいなくなった。

    残ったのは、互いが将来発行するはずの請求書を担保に、まだ届いていない未来を売買する人々だけである。

    そして誰も顧客ではなくなった。

    ― 完 ―

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