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最後の技術者たち:消えゆくIT伝統芸の記録(7)

    第七話 ワープロ専用機

    日本語を書くためだけに生まれ、やがて箱と矢印で責任を逃がす装置になったもの

    本稿は、読者の問いから始まるドキュメンタリー風創作コラムです。実在の番組取材ではありませんが、かつて日本の技術現場に存在した空気と、現在のAI時代への問いを重ねて構成しています。

    第一話では、ファジー制御について古代守さんに話を聞きました。

    機械が、人間の『なんとなく』を理解しようとしていた時代。そこには、人間の曖昧さをバカにしない技術者の姿がありました。

    第二話では、アセンブラについて真田志郎さんに話を聞きました。

    レジスタ、番地、割り込み、クロック。機械語のとなりで、機械の都合を人間が引き受けていた時代の物語でした。

    第三話では、COBOLについて沖田十三さんに話を聞きました。

    そろばん、銀行数字、紙幣勘定、ATM、夜間バッチ、土地神話。COBOLは、銀行員の身体技術と社会の記憶を機械の中へ移していった言語でした。

    第四話では、TRONについて徳川彦左衛門さんに話を聞きました。

    国産OS、スーパー301条、通商戦争、Huawei、そしてAI神話。TRONは、社会の機関室を自分たちで設計しようとした技術者たちの記憶でした。

    第五話では、FAXについて相原義一さんに話を聞きました。

    FAXは、紙を送る機械ではありませんでした。責任を送る機械でした。紙一枚で金が動いた時代から、SNSの数行で市場が揺れる時代へ。情報戦争の形は変わりましたが、人間の信じやすさは変わっていませんでした。

    第六話では、FORTRANについて南部康雄さんに話を聞きました。

    FORTRANは、死んだ言語ではありませんでした。気象、流体、構造、原子力、宇宙開発、スーパーコンピュータ。現実に耐えた数式を、機械の中に残してきた言語でした。

    第七話で訪ねるのは、ワープロ専用機です。

    文豪。
    OASYS。
    書院。
    Rupo。
    親指シフト。
    かな漢字変換。
    縦書き。
    罫線。
    外字。
    年賀状。
    フロッピーディスク。
    感熱紙。

    ワープロ専用機。

    それは、日本語を書くためだけに生まれた機械でした。

    けれど、この物語は専用機だけでは終わりません。

    やがて日本語を書く場所は、専用機からパソコンへ移っていきます。

    PC-9801。
    MS-DOS。
    一太郎。
    ATOK。
    そして、花子。

    一太郎は、ワープロ専用機ではありません。
    パソコン上で動くワープロソフトでした。

    しかし、多くの利用者にとって、PC-9801は万能のコンピュータではありませんでした。

    高価で、起動に手間がかかり、コマンドも面倒で、何をするにも少し緊張する機械。
    けれど、一太郎を立ち上げれば、日本語の文書が作れる。

    つまり、当時の多くの人にとってPC-9801とは、単に『使いにくくなった高級ワープロ』だったのです。

    パソコンを買ったのではありません。
    一太郎を動かす箱を買ったのです。

    そして、その箱の上で、もう一つの事件が起こります。

    花子です。

    なんと、線が引けたのです。

    いまの感覚では、笑ってしまうかもしれません。

    線くらい引ける。
    四角くらい描ける。
    矢印くらい置ける。
    文字の横に図を置くくらい、何が大事件なのか。

    しかし、文字を書く機械だと思っていたものの上で、自由に線が引ける。
    箱が作れる。
    矢印が伸びる。
    図形と文章を並べられる。

    それは、日本語文書の世界を変える出来事でした。

    文章は、読むものから、見せるものへ変わり始めます。

    そして、ここから日本語文書は、少しずつ奇妙な方向へ進んでいきました。

    文字を書く。
    文を整える。
    表を入れる。
    箱で囲む。
    矢印でつなぐ。
    右肩に『将来像』と書く。
    左下に『現状の課題』と置く。
    中央に『総合的・一体的に推進』と置く。
    下の方に『関係機関との連携』と置く。

    こうして、日本語文書は図になっていきました。

    そして、その技を最も洗練させた場所があります。

    霞が関です。

    今回、読者から寄せられた問いは、こういうものでした。

    『昔のワープロ専用機には、独特の書きやすさがあった気がします。パソコンやスマートフォンの方が圧倒的に便利なのに、なぜ文豪やOASYSや書院を懐かしむ人がいるのでしょうか。一太郎や花子、霞が関のポンチ絵文化まで含めると、日本語を書く機械の歴史は、単なる懐古では済まない気がします』

    この問いをたどるために、私たちは一人の元ワープロ開発者を訪ねました。

    郊外の住宅地。
    古い桜並木の先にある一軒家の書斎に、森雪さん、七十二歳が暮らしています。

    かつて国内電機メーカーのワープロ専用機開発部門で、日本語入力、変換辞書、画面設計、縦書き表示、外字処理、印刷機能の開発に関わっていた技術者です。

    その後、パソコン用日本語文書作成環境の普及期にも、文書システムの導入支援に関わったといいます。

    机の上には、古いワープロ専用機が置かれていました。

    黄ばんだ筐体。
    小さな液晶画面。
    重みのあるキーボード。
    横に置かれたフロッピーディスク。
    熱転写プリンタのリボン。
    年賀状ソフトのマニュアル。
    辞書登録カード。
    『外字一覧』と書かれた分厚いファイル。

    そして棚の奥には、PC-9801用の古いマニュアルと、一太郎、花子の解説書が並んでいました。

    森さんは、まずワープロ専用機の電源を入れました。

    小さな起動音。
    黒に近い画面。
    そこに、ゆっくりと文字が現れます。

    『この機械はな、文章を書くためだけに起きるんです』

    文章を書くためだけに起きる。

    その言葉に、ワープロ専用機という機械の本質がありました。

    いまのパソコンは、何でもできます。

    文章を書く。
    メールを読む。
    動画を見る。
    SNSを見る。
    株価を見る。
    AIに相談する。
    買い物をする。
    資料を作る。
    会議をする。
    通知を受け取る。

    何でもできるということは、何でも割り込んでくるということでもあります。

    ワープロ専用機は違いました。

    文章を書く。
    保存する。
    印刷する。

    基本的には、それだけでした。

    森さんは、キーボードを軽く撫でました。

    『不便だったんです。でも、その不便さがよかったんです。できることが限られているから、書くことから逃げられない。画面の向こうに、別の世界がなかったんです』

    画面の向こうに、別の世界がない。

    これは、現代の書き手にとって、かなり重い言葉です。

    いま、文章を書くためにパソコンを開くと、すぐに別の世界が立ち上がります。

    メール。
    通知。
    SNS。
    ニュース。
    動画。
    チャット。
    AI。
    広告。
    検索結果。

    書くために開いたはずの画面が、書かせないための窓になっています。

    ワープロ専用機には、それがありませんでした。

    小さな画面。
    限られた文字数。
    遅い変換。
    単純なメニュー。
    保存先はフロッピー。
    印刷は紙。

    不便です。

    しかし、その不便さの中に、集中がありました。

    『ワープロ専用機は、書く人を閉じ込める機械でもありました。けれど、その閉じ込め方が、少し優しかったんです。あなたは今、書くためにここにいる。そう言ってくれる機械でした』

    ワープロ専用機が登場する以前、日本語を書く機械は簡単ではありませんでした。

    英数字だけなら、タイプライターがあります。

    しかし、日本語には漢字があります。
    ひらがながあります。
    カタカナがあります。
    句読点があります。
    縦書きがあります。
    ルビがあります。
    送り仮名があります。
    同音異義語があります。
    人名があります。
    地名があります。
    外字があります。

    『日本語を機械に書かせるというのは、思ったより大変なことだったんです』

    森さんは、古い変換辞書の資料を開きました。

    そこには、候補語、頻度、品詞、読み、学習、優先順位のメモが並んでいました。

    『かなを漢字に変えるだけなら、簡単に見えるかもしれません。でも、はし、と打ったときに、橋なのか、箸なのか、端なのか。こうせい、と打ったときに、構成なのか、公正なのか、厚生なのか。文脈をどこまで見るか。候補をどう並べるか。それで、書く人の気分が変わるんです』

    かな漢字変換は、単なる入力補助ではありませんでした。

    それは、日本語を書く行為そのものに入り込む技術でした。

    変換候補が、文章を誘導します。
    辞書が、言葉の選び方を変えます。
    学習機能が、書き手の癖を覚えます。
    候補の並びが、文体を少しずつ変えます。

    森さんは、少し笑いました。

    『変換というのはな、機械が書き手の横から口を出すことなんです。控えめに口を出せば、よい助手になる。出しゃばれば、文章を壊す。そこが難しかったんです』

    この言葉は、AI時代にもそのまま通じます。

    いま、AIは文章を書きます。
    言い換えを提案します。
    見出しを作ります。
    構成を整えます。
    誤字を直します。
    文体をそろえます。

    それは便利です。

    しかし、便利な提案は、書き手の癖を消すこともあります。

    森さんは、古い辞書登録カードを見せてくれました。

    そこには、専門用語、人名、地名、社内略語、作家の造語が登録されていました。

    『辞書登録というのは、書き手が機械を自分のほうへ引き寄せる作業でした。機械に合わせて書くのではなく、自分の言葉を機械に覚えさせる。そこに、少しだけ主導権があったんです』

    自分の言葉を機械に覚えさせる。

    いま、私たちは逆のことをしていないでしょうか。

    機械の候補に合わせて言葉を選ぶ。
    予測変換に寄せて文章を打つ。
    AIの整った言い回しを受け入れる。
    検索されやすい表現に寄せる。
    SNSで伝わりやすい短さに削る。

    もちろん、それは悪いことばかりではありません。

    しかし、森さんの時代には、少なくとも機械に自分の言葉を教える感覚がありました。

    ワープロ専用機は、日本語と格闘していました。

    縦書き。
    横書き。
    禁則処理。
    句読点のぶら下げ。
    ルビ。
    均等割付。
    罫線。
    表組み。
    原稿用紙。
    はがき印刷。
    宛名印刷。
    外字作成。

    日本語の書類文化を、機械の中に入れようとしていました。

    森さんは、『外字一覧』のファイルを開きました。

    そこには、手書きで作られた文字が並んでいます。

    旧字体。
    人名漢字。
    地名にしか出ない漢字。
    会社名の特殊文字。
    異体字。
    名字の一点しんにょう。
    はしご高。
    つち吉。

    『外字というのはな、機械が日本語に負けた場所なんです』

    森さんは、そう言いました。

    機械の中に文字がない。

    けれど、その文字を使っている人がいる。
    その名前で生きている人がいる。
    その土地がある。
    その会社がある。
    その家系がある。

    だから作る。

    外字を作る。
    登録する。
    印刷する。
    フロッピーに保存する。
    別の機械では出ない。
    引き継ぎに失敗すると消える。

    『外字は面倒でした。でも、面倒だからこそ、人の名前を雑に扱ってはいけないという感覚もありました。いまは文字化けすると、システムの都合で片づけられることがあります。でも、本当は逆なんです。人間の名前に、機械が合わせなければいけない』

    この言葉は、ワープロ専用機の思想をよく表しています。

    ワープロ専用機は、単に日本語を効率化した機械ではありません。

    日本語の面倒くささを、機械の中に引き受けようとした機械でした。

    そして、その面倒くささの中に、日本語を書くという行為の本質がありました。

    やがて、ワープロ専用機は家庭に広がります。

    会社の文書。
    自治会の案内。
    学校のプリント。
    町内会のお知らせ。
    PTAの資料。
    会報。
    句集。
    俳句。
    短歌。
    年賀状。
    同人誌。
    回覧板。

    ワープロ専用機は、プロの作家だけの道具ではありませんでした。

    普通の人が、文字を整えて印刷できるようになった機械でした。

    森さんは、年賀状ソフトのマニュアルを手に取りました。

    『年賀状は大きかったですね。住所録を作る。宛名を印刷する。干支の絵を入れる。差出人をそろえる。あれで、家庭の中にワープロが入りました』

    年賀状。

    それは、日本の家庭における小さなDTP革命でした。

    手書きから印刷へ。
    ゴム印から宛名印刷へ。
    住所録から差し込み印刷へ。
    手作り感と機械化の奇妙な同居。

    ワープロ専用機は、日本の年末を変えました。

    『あのころはな、年賀状を作るために家族が機械の前に集まったんです。誰に出すか。喪中は誰か。住所が変わった人はいるか。印刷がずれた。リボンが切れた。紙が詰まった。いま思うと不便です。でも、そこに家の行事がありました』

    不便なのに、記憶に残る。

    便利になると、作業は消えます。

    作業が消えると、作業にくっついていた記憶も消えます。

    住所録を開く。
    去年の年賀状を確認する。
    プリンタの音を聞く。
    一枚ずつ乾かす。
    失敗したはがきを避ける。
    最後に一言だけ手で書く。

    そうした作業が、家庭の中から消えていきました。

    そして、ワープロ専用機のあと、日本語文書の主戦場はパソコンへ移っていきます。

    PC-9801の時代です。

    森さんは、棚から古いMS-DOSのマニュアルを取り出しました。

    『PC-9801は、パソコンでした。けれど、多くの人にとっては、パソコンというより、一太郎を動かすための機械でした。表計算もできる。通信もできる。プログラムも書ける。そう説明されても、使う側からすれば、まず日本語文書が作れるかどうかが大事だったんです』

    MS-DOSの黒い画面。

    A>
    B>
    DIR
    COPY
    FORMAT

    それらの文字列は、事務職や文書作成者にとって、未来への入口というより、関所でした。

    便利なはずのパソコンは、ワープロ専用機よりも面倒に見えました。

    ディスクを入れる。
    起動する。
    コマンドを打つ。
    ソフトを立ち上げる。
    保存先を意識する。
    印刷設定に悩む。

    高価なパソコンを前にして、こう思った人も少なくなかったはずです。

    ワープロの方が楽だった。

    森さんは苦笑しました。

    『PC-9801は、何でもできる機械でした。でも、何でもできることは、何をすればいいのか分からないことでもありました。一太郎があったから、ようやくその機械は、文書を書く道具として理解されたんです』

    ここに、一太郎の激震がありました。

    一太郎は、ワープロ専用機ではありません。

    MS-DOS上で動く、日本語ワープロソフトです。

    けれど、一太郎はPC-9801を、事務所の中で『実用の機械』に変えました。

    稟議書。
    通知文。
    議事録。
    仕様書。
    契約書。
    社内報。
    案内状。
    申請書。
    法律文書。

    日本語の文書が、パソコンの中で本格的に動き始めました。

    森さんは、古い一太郎のマニュアルを開きながら言いました。

    『文豪やOASYSが、家庭や作家や事務所の日本語を支えたとすれば、一太郎は、組織の日本語を支えました。日本語文書が、パソコンの中で制度の道具になっていったんです』

    制度の道具。

    ここから、日本語文書は少しずつ変質していきます。

    ワープロ専用機の時代、日本語文書は、主に『書くもの』でした。

    ところが、組織の中に入ると、文書は『通すもの』になります。

    稟議を通す。
    会議を通す。
    予算を通す。
    補助金を通す。
    法案を通す。
    説明責任を通したことにする。
    責任の所在を、次の部署へ通り過ぎさせる。

    日本語文書は、読むためだけに存在しているのではありません。

    組織の中で、承認されるために存在しています。

    そして、この『通す文書』の技術を、最も異様な形で磨き上げた場所があります。

    霞が関です。

    二〇二四年、日本経済新聞は、霞が関の若手官僚が法案作成における一太郎の職人芸を継承しようとしていると報じました。

    通常業務ではWordを使うことが多い。

    けれど、法案作成では一太郎を使う。

    しかも、それは単なるソフトの好みではありません。
    法案ペーパーを作るための技術として、若手官僚が継承に知恵を絞っているというのです。

    森さんは、その記事を読んだとき、少しだけ笑ったそうです。

    『ほら、残っているでしょう。これは懐古ではないんです。国家の文書作法の奥で、一太郎がまだ生きているということなんです』

    一太郎は、古いソフトではありませんでした。

    少なくとも霞が関においては、法案という国家の命令文を整えるための、静かな工作機械でした。

    どこで改行するか。
    どこに表を入れるか。
    どの行をそろえるか。
    どの語をずらすか。
    どの注を残すか。
    どの体裁なら、審査を通るか。
    どの紙面なら、説明したことになるか。

    ここでは、文書は単なる文字列ではありません。

    法案です。
    制度です。
    予算です。
    責任です。
    そして、ときに責任を薄めるための構造物です。

    森さんは、声を少し低くしました。

    『文章を書く技術ではないんです。文書を通す技術なんです。そこでは、一太郎は道具というより、作法なんです』

    作法。

    この言葉が、霞が関の一太郎をよく表しています。

    ソフトウェアなのに、作法になる。
    道具なのに、流儀になる。
    操作なのに、継承対象になる。
    そして、若手官僚がその職人芸を学ばなければならない。

    ここで、ワープロ専用機の物語は、完全に別の世界へ入ります。

    日本語を書く機械の話だったはずです。

    それが、日本語で国家を動かす機械の話になっていきます。

    そして、そこへ花子が現れます。

    森さんは、古い花子のマニュアルを開きました。

    表紙には、時代を感じさせる図形が並んでいます。

    円。
    四角。
    線。
    矢印。
    吹き出し。
    階層図。
    工程図。

    森さんは、少し大げさに言いました。

    『花子では、線が引けたんです』

    それは、いま聞くと冗談のようです。

    けれど、当時の文書作成環境では、線が引けることは事件でした。

    文章だけではない。
    図が描ける。
    箱が作れる。
    矢印で関係を示せる。
    文書の中に、視覚的な構造を持ち込める。

    それは便利でした。

    そして、便利すぎました。

    『線が引けるようになると、人間は線を引きたくなるんです。箱が作れるようになると、箱に言葉を入れたくなる。矢印が引けるようになると、物事がつながっているように見せたくなる。そこから、日本語文書は少しずつ【読むもの】から【見せるもの】へ変わっていきました』

    見る文書。

    ここから先に、霞が関が登場します。

    日本で最も『見る文書』を磨き上げた場所。

    それが霞が関です。

    霞が関には、文章を書く人ではなく、文書を通す人がいます。

    森さんは、少し声をひそめました。

    『霞が関にはな、文書を作る職人がいるんです。文章を書く人ではありません。文書を通す人です』

    文書を通す人。

    その言葉には、妙な重みがありました。

    霞が関の資料には、独特の世界があります。

    見出し。
    箇条書き。
    囲み線。
    矢印。
    点線。
    二重線。
    楕円。
    工程表。
    課題。
    対応方針。
    今後の方向性。
    検討。
    推進。
    連携。
    高度化。
    見える化。
    基盤整備。
    官民一体。
    地域実装。
    横展開。

    それは文章でありながら、文章ではありません。

    図でありながら、図でもありません。

    政策なのか。
    説明資料なのか。
    責任回避装置なのか。
    未来予想図なのか。
    財務省向けの祈祷札なのか。

    見る人によって、呼び方は変わります。

    一般には、それをポンチ絵と呼びます。

    森さんは、古い資料の束から一枚の紙を取り出しました。

    箱が並んでいます。
    矢印が伸びています。
    右上には『将来像』
    左下には『現状の課題』
    中央には『総合的・一体的に推進』
    下部には『関係機関との連携』

    どこかで見たことのある形です。

    見たことがありすぎて、もはや何も見えていない形です。

    『ポンチ絵というのは、不思議なものです。文章では責任が重すぎる。数字では説明が固すぎる。そこで箱と矢印が出てくる。箱の中に【推進】と書き、矢印の先に【成長】と書く。すると、何か進んでいるように見えるんです』

    何か進んでいるように見える。

    この一文の中に、平成以降の日本の行政資料文化がだいたい入っています。

    森さんは続けます。

    『一太郎は、組織の文書を整えました。花子は、そこに線と箱と矢印を与えました。けれど、霞が関はさらに進んだんです。文書を図にし、図を政策にし、政策を責任の薄い矢印にしたんです』

    ここで、JXWの名前が出ます。

    『JXWをいまだに使っているポンチ絵職人が霞が関にいる、と言われても、誰も本気で驚かないでしょう。真偽は別として、その話が妙に似合ってしまう。それが、この国の行政文書文化の恐ろしさです』

    古い図形作成環境。
    独特の操作体系。
    謎のテンプレート。
    引き継がれるファイル。
    誰が作ったか分からない枠線。
    消すと怒られる余白。
    なぜか右肩に残る注記。
    前例踏襲された矢印。
    意味が薄くなるほど増える箱。

    それらは、単なる古いソフトの問題ではありません。

    組織が、何を文書として信用しているかの問題です。

    ワープロ専用機は、日本語を書くために生まれました。

    一太郎は、日本語を組織の文書にしました。

    花子は、日本語に線と箱と矢印を与えました。

    そして霞が関は、それらを使って、日本語を責任の拡散装置にしました。

    森さんは、ここで少しだけ皮肉な表情をしました。

    『文章なら、主語が必要です。誰がやるのか。何をするのか。いつまでにやるのか。ところが、ポンチ絵になると、主語が箱の中へ逃げるんです。矢印が責任を運んでいるように見えて、実はどこにも届いていないことがある』

    これは、ワープロ専用機から遠い話に見えるかもしれません。

    しかし、遠くありません。

    ワープロ専用機は、日本語を書くための機械でした。

    一太郎は、日本語を制度文書にする機械でした。

    花子は、日本語を図にする機械でした。

    霞が関のポンチ絵は、日本語を通すための装置でした。

    そして、そのすべては、機械が日本語に何をさせるのかという問題につながっています。

    日本語を書く。
    日本語を整える。
    日本語で申請する。
    日本語で稟議する。
    日本語で責任を曖昧にする。
    日本語で未来を語る。
    日本語で予算を取る。
    日本語で何かをしたことにする。

    言葉は、記録になります。

    しかし、言葉は煙幕にもなります。

    森さんは、古いワープロの画面を見つめました。

    『昔のワープロは、書き手に向き合う機械でした。今の文書作成環境は、組織に向き合う機械になったのかもしれません。書き手が何を言いたいかより、その文書が通るかどうかが重くなる。そこから、日本語は少しずつ変わっていった気がします』

    ワープロ専用機は、やがてパソコンに主役を奪われます。

    Windows。
    Word。
    一太郎。
    インターネット。
    メール。
    プリンタの高性能化。
    デジタルカメラ。
    スマートフォン。
    クラウド。
    AI。

    パソコンは、何でもできる機械でした。

    文章も書ける。
    表計算もできる。
    画像も扱える。
    通信もできる。
    印刷もできる。
    図も描ける。

    ワープロ専用機が勝てるはずはありませんでした。

    森さんは、淡々と言いました。

    『何でもできる機械に、書くだけの機械は負けます。それは仕方ありません。でも、書くだけの機械にしかできないこともあったんです』

    書くだけの機械にしかできないこと。

    それは、余計なことをしないことです。

    通知しない。
    広告を出さない。
    動画へ誘わない。
    ニュースを見せない。
    他人の反応を表示しない。
    検索結果へ逃がさない。
    AIの提案で文章を整えすぎない。
    ポンチ絵の箱と矢印へ責任を逃がさない。

    ただ、書かせる。

    それだけです。

    『ワープロ専用機は、文章のための部屋でした。パソコンは、駅前の雑居ビルです。何でもあります。便利です。でも、書くには少し騒がしい』

    この比喩は、妙に腑に落ちました。

    文章のための部屋。

    だからこそ、ワープロ専用機を手放せなかった人がいました。

    作家。
    校正者。
    俳人。
    歌人。
    町内会の会報担当。
    学校の先生。
    会社の総務。
    小さな商店の店主。
    自費出版をする人。
    家族史を書く人。
    遺言を書く人。

    そこには、ネットにつながらない安心がありました。

    外へ流れない。
    通知されない。
    勝手に同期されない。
    クラウドに吸い上げられない。
    AIの学習対象になるかもしれない不安もない。

    森さんは、静かに言いました。

    『いまは、書くことと送ることが近すぎます。書いたらすぐ送れる。送ったらすぐ反応が来る。便利です。でも、文章には、送る前に寝かせる時間も必要なんです』

    書くことと送ることが近すぎる。

    これは、SNS時代の文章の問題でもあります。

    書く。
    すぐ投稿する。
    すぐ反応を見る。
    いいねを見る。
    コメントを見る。
    直す。
    消す。
    また書く。

    文章が、自分の内側で熟す前に、外へ出ていく。

    ワープロ専用機では、そう簡単には外へ出ませんでした。

    保存する。
    印刷する。
    読み返す。
    赤を入れる。
    打ち直す。
    また印刷する。

    面倒です。

    しかし、その面倒さが、文章に時間を与えていました。

    森さんは、そこでポメラの話を始めました。

    『ポメラが残っているのは、偶然ではないと思います。あれは、ワープロ専用機の孫のようなものです。もちろん、中身はまったく違う。けれど、考え方は近い。書くためだけに開く。ネットに逃げない。そこに価値を感じる人が、今もいるんです』

    ポメラ。

    小さなキーボード。
    文章を書くための道具。
    インターネットから距離を置く機械。

    それは、単なるガジェットではありません。

    何でもできる時代に、あえて何でもできないことを選ぶ道具です。

    ワープロ専用機が消えたあとも、その思想は完全には消えませんでした。

    書くことに集中したい。
    通知から離れたい。
    クラウドの外で下書きしたい。
    文章を、まだ誰にも見せたくない。
    自分の言葉を、機械の中で静かに育てたい。

    その需要は、いまも残っています。

    むしろAI時代になって、その意味は少し変わりました。

    AIは、文章を書いてくれます。

    それらしい導入。
    整った構成。
    自然な言い回し。
    読みやすい見出し。
    無難な結論。

    それは便利です。

    しかし、便利さの中で、書き手の抵抗は消えやすくなります。

    森さんは、古いワープロのキーを一つ押しました。

    『文章というのは、少し抵抗があったほうがいいんです。すぐ出てくる言葉だけで書くと、すぐ消える文章になります。変換に悩む。言い回しを迷う。印刷して読み返す。そういう時間が、文章を自分のものにするんです』

    AIが悪いわけではありません。

    パソコンが悪いわけでもありません。

    スマートフォンが悪いわけでもありません。

    しかし、書くことの周りにあった摩擦が、あまりにも速く消えていったことは、考えなければなりません。

    変換を待つ時間。
    候補を選ぶ時間。
    辞書登録する時間。
    印刷して読み直す時間。
    保存先を確認する時間。
    紙を折って封筒に入れる時間。

    それらは、単なる非効率ではありませんでした。

    文章が、書き手の身体を通る時間でもありました。

    森さんは言います。

    『ワープロ専用機は、速く書かせる機械ではありました。でも、速く世の中へ流す機械ではありませんでした。そこが、今の道具とは違うところです』

    速く書くことと、速く流すことは違う。

    ワープロ専用機は、文章を整える機械でした。
    一太郎は、文章を組織に通す機械でした。
    花子は、文章を線と箱に変える機械でした。
    SNSは、文章を流す機械です。
    AIは、文章を生成する機械です。
    霞が関のポンチ絵は、文章を責任の薄い図に変える行政芸です。

    どれも言葉に関わります。

    けれど、それぞれが人間に求める態度は違います。

    ワープロ専用機は、書き手に向き合うことを求めました。
    SNSは、反応を見ることを求めます。
    AIは、指示することを求めます。
    ポンチ絵は、通過することを求めます。

    では、書くとは何でしょうか。

    森さんは、しばらく黙っていました。

    そして、こう言いました。

    『書くというのは、自分の中の曖昧なものを、言葉の形にすることです。機械は手伝ってくれます。でも、最後にどの言葉を選ぶかは、人間が引き受けなければいけない』

    この言葉は、第一話のファジー制御にも戻っていきます。

    人間の曖昧さ。
    それを機械にどう渡すのか。

    ワープロ専用機は、その問いを文章の現場で引き受けていました。

    かなを漢字にする。
    言葉を選ぶ。
    文を整える。
    縦書きにする。
    印刷する。
    紙に残す。

    そこでは、機械は書き手の代わりに考えるのではありませんでした。

    書き手が考えるための場所を作っていました。

    だからこそ、ワープロ専用機は、いまも懐かしまれるのです。

    それは、単に文豪やOASYSや書院やRupoの記憶ではありません。

    書くことが、まだ一つの独立した作業だった時代の記憶です。

    書くために機械を開く。
    書き終えるまで、そこにいる。
    保存する。
    印刷する。
    読み返す。
    直す。

    その静かな時間を、私たちは失いつつあります。

    一方で、組織の文書は別の方向へ進みました。

    通すための日本語。
    責任を薄めるための日本語。
    箱と矢印で未来を描く日本語。
    検討を推進し、連携を強化し、見える化を促進する日本語。

    そして、その奥には、いまだに古い文書作成環境の亡霊がいます。

    JXWかもしれない。
    一太郎かもしれない。
    花子かもしれない。
    Wordの図形機能かもしれない。
    PowerPointかもしれない。
    あるいは、名前のない省内テンプレートかもしれない。

    大事なのはソフト名ではありません。

    大事なのは、霞が関には、箱と矢印で国家を動かそうとするポンチ絵職人の集団が、いまも生きているということです。

    森さんは、最後に古いフロッピーディスクを手に取りました。

    ラベルには、手書きでこう書かれていました。

    『原稿』

    それ以上の説明はありません。

    日付も、版数も、クラウド同期も、共有リンクもありません。

    ただ、原稿。

    森さんは言いました。

    『まず、変換辞書を見せてもらいましょう。そこに、書き手の世界観が残っています。次に、花子の線を見せてもらいましょう。そこから、文書は図になりました。最後に、霞が関のポンチ絵を見せてもらいましょう。そこに、組織が責任をどこへ逃がしたかが残っています』

    第七話、ワープロ専用機。

    それは、日本語を書くためだけに生まれた機械の物語です。

    ワープロ専用機は、古い家電ではありません。

    日本語の面倒くささを、機械の中に引き受けようとした時代の記憶です。

    一太郎は、PC-9801を日本語文書の機械に変えました。

    花子は、日本語文書に線と箱と矢印を与えました。

    霞が関のポンチ絵は、日本語を責任の薄い図に変えた行政芸でした。

    そして、AI時代のいま、その問いはもう一度戻ってきています。

    私たちは、機械に文章を書かせるのか。
    機械に文章を整えさせるのか。
    機械に責任を薄める図を作らせるのか。
    それとも、機械の助けを借りながら、自分の言葉を選び続けるのか。

    そして、もう一つの問いが残ります。

    機械は、本来、計算するために生まれました。
    数字を入れ、条件を変え、未来を試算するために生まれました。

    Lotus 1-2-3は、机の上に未来を呼び込んだ表計算ソフトでした。
    売上を変える。
    金利を変える。
    為替を変える。
    原価を変える。
    すると、会社の運命がセルの中で変わる。

    ところが、日本では、その革命的な道具が、いつの間にか紙の様式を再現する機械へ変わっていきました。

    セルを結合する。
    罫線を引く。
    入力欄を黄色にする。
    印刷範囲を調整する。
    右上に様式番号を書く。
    そして、肝心の数式は消える。

    表計算ソフトは、未来を計算するための道具だったはずです。

    しかし、日本では、過去の書式を守るための方眼紙になりました。

    次回は、Excel方眼紙。

    Lotus 1-2-3、Excel、セル結合、罫線、印刷範囲、自治体様式、霞が関資料、そしてAI時代にデータを殺す日本型文書文化を訪ねます。

    文・武智倫太郎

     
     
    情報工学者/週刊バブルウォッチ編集長/『哭きの禿』原作者。 AI、金融、国際政治から日常の珍事まで、真面目に調べて、おかしく書く。 代表作『ボルガレナのボルチンスカヤ』 https://note.com/aiethics496/n/n8d4f9aef7c04

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