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絵金蔵(えきんぐら)について

    ここ2、3年ずっと行きたいと思っていた場所があった。
    「絵金蔵」である。
    やっとこの夏に絵金蔵を訪ねることができたので、ご紹介したい。

    絵師・絵金の生涯

    江戸時代に高知出身の絵師の金蔵という人物があった。
    高知城下のはりまや橋付近で1812年(文化9年)に生まれた彼は、つまり鶴屋南北、伊能忠敬、葛飾北斎などと同時代の人となる。

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    はりまや橋

    金蔵は、幼い頃より絵の才能があった。16歳で江戸に行って狩野派の絵を学ぶが、通常10年かかるところたった3年で絵の修業を終了。
    土佐に戻って土佐藩家老の桐間家の御用絵師となった。その時、弱冠20歳。
    絵師の金蔵、だから「絵金」と呼ばれた。

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    御用絵師として活躍していた絵金に、あるとき重大事件が降りかかる。
    絵金が33歳の頃のことだ。
    彼は狩野探幽の絵の模写を行なった。古物商から頼まれたらしい。
    有名な絵の模写自体は、絵師が絵の勉強のためによく行うことで珍しくはない。しかし、その模写した絵に勝手に狩野探幽の落款が押され、なんと売りに出されてしまった。
    他人の落款が押されてしまえば、絵は単なる模写ではなく、本物そっくりに偽物の絵を描いたことを意味する。あの江戸幕府の御用絵師である狩野探幽の偽物を売るなど、重大な犯罪だ。

    絵金は絵師としては行ってはならない偽絵を描いた罪により、高知城下を追放となったとされる。御用絵師として描いた彼の多くの絵は焼却された。
    ただ、絵金の城下追放について土佐藩の記録には残っておらず、真相は不明だ。

    その後の絵金が約10年間どこでどうしていたのかも、よくわかっていない。
    土佐藩内の各地を放浪したと考えられ、最後には高知県香南市の赤岡のおばのもとで暮らしはじめた。

    そして赤岡で町の旦那衆などの注文を受け、多数の芝居絵屏風を描いたとされる。主に須留田八幡宮の大祭に奉納する目的で依頼されたものらしい。さらに絵金は依頼されるまま、絵馬、幟、掛け軸などにも描きに描きまくった。
    なかには、1854年に起きた南海大地震の様子、土佐の風俗絵巻、笑い絵というジャンルのオナラを競い合う「放屁合戦図」などさまざまな絵が残された。

    彼の絵の人気は地元では絶大なものになった。売れっ子の町絵師だ。
    多くの弟子も輩出した。
    1876年(明治9年)まで生きたという。

    そんな絵師だ、絵金というのは。

    今でも、赤岡を中心にして数多くの絵金の絵が、民家や神社などに残されている。

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    このような芝居絵屏風が町内各地に23点残されたのだ。

    絵金蔵

    町に残された絵金の絵は、次第に傷んできてしまった。
    そのため、赤岡の文化財である絵金の芝居絵屏風を保存しようと収蔵庫が作られた。それが「絵金蔵」だ。

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    絵金蔵入口

    実は、絵金蔵の展示室で観ることのできる芝居絵は、レプリカである。
    本物の多くは、収蔵庫に保管されている。
    だが、レプリカといって軽んじてはいけない。
    もしかしたら、このレプリカの鑑賞方法は、本物を博物館や美術館などの明るいライトの元で観るよりも、雰囲気が出て芝居の場面に没入できるかもしれない。

    なぜなら、これらの絵はロウソクや提灯の明かりで鑑賞するようになっているからだ。

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    薄暗い展示室内を提灯とロウソクの光(防火のため本物の炎ではないが)で観る絵。


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    芝居絵の展示を少し上から見た様子


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    絵金蔵のパンフレット(上の写真と同じ絵が中央に見える)

    絵金のイメージカラーといえば、赤だ。それも絵金の赤は特別に「血赤」と呼ばれる。絵金の絵が全て赤ばかりを使用しているわけではないのだが、血を表す赤が非常に効果的に使われていて、観る人の脳内には赤の印象が鮮明に残る。

    そして「異時同図法」という遠近法の一種である技法により、同時に手前の出来事とその背後の出来事が描かれる(パンフレットに掲載されている絵の背後はきちんと遠近法によって奥行きが描かれている)。
    これは、遠近だけではなく、同じ人物が一画面に複数回登場して、時間経過を表現する技法でもある(パンフレットでは同じ少年が2度登場している)。
    1枚の絵によって、その芝居のストーリーを想起させるといううまい仕掛けなのだ。

    芝居の絵なので実話ではないが、やはりセンセーショナルな場面を描いているので、闇の中に浮かぶ絵はどれもなんだか怖い。

    とはいえ、レプリカだけでは物足りない。そう思う人もいるかも知れない。
    絵金蔵では、常時2点ずつのオリジナルの絵が鑑賞できるようになっている。それを「蔵の穴」から観ることができるのだ。

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    絵金蔵の穴

    穴のなかを覗くと、本物の絵金の絵が見えるのだ。
    怖い絵だけれども、やはり本物の迫力を見てみたい、こっそり自分だけで見てみたい・・・。
    時を経てもやっぱり絵金の血赤は目を引くし、穴から覗くとなんだか背徳感もあるから不思議だ。

    絵金蔵にはまだ資料室もあり、絵金関連資料や弟子についての資料などを観ることができる。

    絵師・金蔵。
    彼は何を思ってこの赤岡の地で絵を描きまくっていたのだろう。


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    入場券の半券

    赤岡では、年に一度須留田八幡宮の神祭と夏祭りの宵に、蔵のなかから芝居絵屏風を取り出し、商店街の軒先で展示される。
    江戸時代末期に始まった催しで、一時の中断を経て1977年(昭和52年)より再開。「土佐赤岡絵金祭り」は、今年も7月第3週末に実施された。

    土佐の人は、地元で活躍した町絵師・絵金を今でも「絵金さん」と親しみを込めて呼ぶそうだ。

     
     
    日本史系の書籍ライターです。Web記事も書いてます。noteでは日本の歴史に関連することもそれ以外も書いて楽しんでいます。書くまでの儀式が長い人。方向音痴。よく寝ます。虫を見るのが好きですが、触れません。

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