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第99講 オスマン垝囜の改革ず東方問題

    99-1 オスマン垝囜の改革ず゚ゞプトの自立

    オスマン垝囜の衰退

     16䞖玀に党盛を誇ったオスマン垝囜は、17䞖玀末から18䞖玀に衰退しはじめた。

     1683幎1:第二次りィヌン包囲に倱敗したオスマン垝囜は、続くオヌストリア・ポヌランド・ノェネツィアずの戊争倧トルコ戊争に敗れ、1699幎2:カルロノィッツ条玄を結んでハンガリヌ・3:トランシルノァニアをオヌストリアに割譲した。囜内では城皎請負などで富を蓄えた地方の有力者圌らを4:アヌダヌンずいうが、西欧「䞭栞」諞囜に綿花など商品䜜物を茞出しお経枈的に自立し始め、オスマン垝囜の䞭倮集暩は揺らいだ。

     18䞖玀埌半、第䞀次ロシアトルコ戊争176874に敗北し、1774幎5:キチュクカむナルゞ条玄を結び、クリムハン囜の宗䞻暩を攟棄した。ロシア皇垝ぱカチェリヌナ2䞖。その埌、ロシアはクリムハン囜を䜵合した。

    改革のはじたり


     18䞖玀末、スルタン6:セリム3䞖䜍1789-1807は、第二次ロシアトルコ戊争1787-92に敗れたのち、西欧諞囜にならった近代化に着手した。

     1798幎、ナポレオンがオスマン垝囜領゚ゞプトぞの遠埁を開始するず、英銖盞小ピットの䞻導する7:第二回察仏倧同盟にロシアずずもに加わったが、その埌1806幎からはじたる第䞉次ロシアトルコ戊争1806-12に敗れ、1812幎のブカレスト条玄でドニ゚ストル川以西の8:ベッサラビア珟モルドノァ共和囜、旧゜連①を倱った1815幎のりィヌン議定曞に盛り蟌たれ囜際的に承認。ルヌマニア系の人々が䜏む土地。以埌ロシアずルヌマニアの係争地ずなる。

     圌はむェニチェリを廃しお西掋匏の軍制である「9:ニザヌムゞェディット 「新しい秩序、」の意」を創蚭しようずしたが1807幎、むェニチェリの反乱により廃䜍され、翌幎暗殺された。

     改革は埓兄匟の10:マフムト2䞖䜍1808-39がひき぀ぎ、1826幎旧勢力を代衚する11:むェニチェリ軍団を解䜓しお新軍の創蚭に成功した。

    その子12:アブデュルメゞト1䞖は1839幎トプカプ宮殿メフメト2䞖がむスタンブルに造営したスルタンの宮殿のバラ園で13:ギュルハネ勅什を出しお、**14タンゞマヌト恩恵改革**に着手した。

    ゚ゞプトの近代化ず自立

     オスマン垝囜の属州゚ゞプトでは、18䞖玀たで土着支配局だった15:マムルヌクが実暩を握っおいた。1798幎、ナポレオンボナパルト率いるフランス軍が゚ゞプトに䟵攻、カむロを占領した。オスマン垝囜は、ブリテンず結んで第二回察仏倧同盟これを撃退したが、アルバニア出身の傭兵隊長16:ムハンマドアリヌが1805幎カむロ民衆の支持を埗お実暩を握り、スルタンは圌を゚ゞプト総督パシャに任呜した事実䞊、ムハンマドアリヌ朝゚ゞプト王囜が成立1805-1952。

     1818幎、ムハンマドアリヌはアラビア半島に出兵し17:ワッハヌブ王囜を埁服したが、゚ゞプト軍がギリシア独立戊争に向かうず、王囜はリャドを拠点に再興した1823幎、第二次サりヌド王囜。

     ムハンマドアリヌはこの遠埁を機にマムルヌク勢力を䞀掃し、城兵制床を確立しお西欧匏の軍を組織した。

     積極的な富囜匷兵策をずり、教育制床を敎え、軍事産業を䞭心に工堎を建蚭し、蟲業を振興しお18:小麊や19:綿花などの蟲業生産物を囜家の独占のもずで茞出し、西欧「䞭栞」諞囜ずの関りを匷めた。

     ナむル川河谷はすべお゚ゞプト領であるず䞻匵、20:スヌダンを埁服した。叀代のヌビア

    ギリシア独立戊争


     ペヌロッパでナショナリズムが高たるず、1821幎オスマン垝囜領ギリシアで21:ギリシア独立戊争がおこった。民族運動を抑えたいりィヌン䜓制にずっお打撃ずなった。

     英・仏ブルボン埩叀王政・露がギリシアを支揎し、オスマン垝囜ぱゞプト総督ムハンマドアリヌの新匏軍を送り、たた自らも西掋匏新軍をずずのえお察抗した。ムハンマドアリヌ西進でサりヌド王囜埩興。

     英囜のロマン䞻矩詩人22:バむロンが参加し、フランスのロマン䞻矩画家23:ドラクロワは『キオス島の虐殺』を描いお独立を支揎した。 1827幎24:ナノァリノの海戊で英仏露艊隊に敗れ、1829幎ギリシアは独立を達成した。

     1829幎、ロシアニコラむ1䞖ずオスマン垝囜マフムト2䞖は25:アドリアノヌプル条玄゚ディルネ条玄を結び、オスマン垝囜はギリシアの独立を承認し、ロシアに黒海ずボスポラスダヌダネルス海峡の自由航行暩を認めた。ギリシア独立は1830幎の26:ロンドン䌚議で囜際承認された。


    99-2 ゚ゞプトトルコ戊争

    Keyword  1南䞋政策 2東方問題 3パヌマストン 4シリア領有 5第䞀次゚ゞプトトルコ戊争  6シリア領有 7りンキャルスケレッシ条玄 8通商条玄 9第二次゚ゞプトトルコ戊争   10ロンドン四囜条玄 11五囜海峡協定

    南䞋政策ず東方問題

     19䞖玀南ぞの領土拡倧をめざす1:南䞋政策を進めたロシアず、これを牜制しようずするグレヌトブリテン及びアむルランド連合王囜英囜の思惑を軞に、匱䜓化するオスマン垝囜をめぐっお列匷が耇雑な倖亀を展開した。こうしお生じた、オスマン垝囜領をめぐる諞問題を2:東方問題ずよぶ。

     ロシア皇垝ニコラむ1䞖䜍1825-55は1:南䞋政策を進めたが、英倖盞3:パヌマストンに阻止された。

     産業革呜により経枈力ず軍事力で優䜍に立぀英囜は、ホむッグ党グレむ内閣やトヌリヌ党ピヌル内閣で倖盞を勀めた3:パヌマストン倖盞任1830-51、銖盞任1855 -58、1859-65のもず、ロシアを牜制し英囜の囜際的立堎を匷めようずした。これをパヌマストン倖亀ずいう。

     ブルボン埩叀王政181430から䞃月王政183048期に、怍民地拡倧を求める資本家局の期埅に応えおアルゞェリア進出をすすめたフランスは、゚ゞプトに高い関心を有した。

     オスマン垝囜の芁請でギリシア独立戊争に出兵したムハンマドアリヌは、芋返りに4:シリア領有を芁求し、1830幎代に二床の゚ゞプトトルコ戊争がおこるず、英・仏・露はそれぞれの思惑から介入した。

     5:第䞀次゚ゞプトトルコ戊争 ギリシア独立戊争に出兵した芋返りにシリア領有を求める゚ゞプト総督ムハンマドアリヌが1831幎シリアに䟵攻し、5:第䞀次゚ゞプトトルコ戊争1831-33がおこった。

     ゚ゞプトに関心を持぀英囜ずフランス䞃月王政ぱゞプトを支揎し、1833幎キュタヒダ条玄で、オスマン垝囜マフムト2䞖にムハンマドアリヌの6:シリア領有を認めさせた。

     地䞭海ぞの南䞋を目ざすロシア皇垝ニコラむ1䞖、䜍1825-55はオスマン垝囜を支揎し、1833幎7:りンキャルスケレッシ条玄を結んで、オスマン垝囜にボスポラスダヌダネルスBD海峡の独占航行暩ロシア以倖の倖囜軍艊のBD海峡通航犁止を認めさせた。

    第二次゚ゞプトトルコ戊争


     1838幎に英ず8:通商条玄を結んだマフムト2䞖は、シリア奪還をめざし 9:第二次゚ゞプトトルコ戊争183940をおこした。

     1838幎の8:通商条玄以埌英仏等ペヌロッパ諞囜の工業補品が流入、西欧ぞの経枈的埓属がすすんだ。

     ゚ゞプト軍はマフムト2䞖のオスマン垝囜軍を砎ったが、英囜軍に敗れ、シリアから撀退した。

     英倖盞3:パヌマストンの働きかけで、1840幎英囜・ロシア・オヌストリア・プロむセンが10:ロンドン四囜条玄を結び、ムハンマドアリヌに゚ゞプトおよびスヌダンの総督䜍䞖襲を認めるかわりにシリアの領有暩を攟棄させた。

     翌1841幎、英囜・フランス・ロシア・オヌストリア・プロむセンのりィヌン䜓制五倧囜は11:五囜海峡協定を結び、ロシアにBD海峡の独占通航暩を認めたりンキャルスケレッシ条玄を砎棄、倖囜軍艊のBD海峡の航行を犁じた。南䞋を阻止しパヌマストン倖亀の勝利ずいわれた。

    99-3 アブデュルメゞト1䞖ずス゚ズ運河開削

    オスマン垝囜のその埌タンゞマヌト

     父マフムト2䞖を継いで即䜍した1:アブデュルメゞト1䞖䜍1839-61は、2:タンゞマヌト恩恵改革183976ず呌ばれる改革に着手した。

     1839幎、むスタンブルのトプカプ宮殿バラ園で3:ギュルハネ勅什を出し、行政や叞法などの西欧化をめざすタンゞマヌトに着手した。䞊からの改革であったため恩恵改革ずも呌ばれる。

     勅什を起草した改革掟官僚4:ムスタファレシトパシャが、改革を䞻導した。

     改革は、垝囜領内のキリスト教埒などの政治的暩利の保障を求めた英・露の芁請を受けお行われた。

     非ムスリムにもムスリムず同等な暩利を䞎える改革にムスリムの反発が匷く、改革は培底しなかった。

     185356幎の5:クリミア戊争埌述に勝利し、1856幎6:改革勅什を出し改革の培底をはかったが、列匷からの7:借欟に頌り、1870幎代以降の䞖界的な䞍況で財政が砎綻した。

    ゚ゞプトのその埌ス゚ズ運河の開削

     ゚ゞプトはその埌、オスマン垝囜の属囜ではあったが事実䞊自立し、ムハンマドアリヌの子孫が総督のちに副王䜍を䞖襲したムハンマドアリヌ朝1805-1952。

     ゚ゞプト政府は、英仏などから8:借欟をえお鉄道や電信網の建蚭、土地改革の実斜などの近代化政策をすすめ、フランス人倖亀官9:レセップスの指導をえお10幎にわたる難工事のすえ1869幎、10:ス゚ズ運河を開削した。ス゚ズ運河䌚瀟の株匏のうち玄半分はナポレオン3䞖の呌びかけでフランスの民間資本が賌入し、残り玄半分ぱゞプト政府が保有した。

     しかし、1870幎代以降の䞖界的な䞍況が波及し囜家財政が砎綻し、政府は75幎にス゚ズ運河䌚瀟の株をブリテン保守党第二次ディズレヌリ内閣に売华しお運河の管理暩を譲り、76幎からは囜家財政もブリテンずフランスの管理䞋に眮かれた。1956幎の囜有化たでス゚ズ運河は英仏が管理。



     
     
    䞖界史を教えおいるAKSのnoteです。新期県燕䞉条地域出身。高等孊校地歎科教員。修士(教育孊)。この倏歳になった小孊䞀幎生息子の父芪。自分らしさを倧切にしながら、子育おず仕事を䞡立しおいきたいず思いたす。

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