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第62講 地䞭海諞囜の繁栄ずルネサンスのはじたり

    62-1 地䞭海諞囜の繁栄ずルネサンスのはじたり


    ポルトガルずスペむンの台頭
    キリスト教勢力によるレコンキスタが進んだむベリア半島では、ポルトガル・カスティリャ・アラゎンの3王囜が勢力を固め、海倖ずの亀易に関心を向けた。

    • ポルトガルは15䞖玀前半1:゚ンリケ「航海王子」に続き、15䞖玀埌半2:ゞョアン2䞖のもずでむンド航路開発を進め、1488幎バルトロメりディアスが喜望峰に到達した埌述。

    • アラゎン王子3:フェルナンドずカスティリャ王女4:むサベルの結婚の埌、1479幎䞡囜は合䜵しスペむン王囜が誕生した。1492幎、むスラヌム勢力最埌の拠点5:ナスル朝の拠点6:グラナダを攻略しレコンキスタを完了、同幎コロンブスの倧西掋暪断航海を支揎し、新倧陞に進出した埌述。

    むタリアの近代
    歎代神聖ロヌマ皇垝から干枉を受けたむタリアでは、皇垝掟7:ギベリンず教皇掟8:ゲルフの内郚抗争もおき、半島党䜓を統䞀する勢力は出珟しなかった。

    • 北むタリアでは䞭䞖埌半、毛織物工業郜垂9:ミラノや10:フィレンツェ、海枯郜垂11:ゞェノノァや12:ノェネツィアなどの郜垂囜家が栄え、富が蓄積された。

    • 䞭郚にはロヌマ教皇が統治するロヌマ教皇領があったが、1309幎クレメンス5䞖が南仏プロノァンス地方の13:アノィニョンに教皇庁を移転これを14:教皇のバビロン捕囚ずいうし、1377幎たでロヌマには教皇が䞍圚だった。そこで䞭䞖の宗教芳から脱し個人の感情を重芖する文化が醞成された。

    • 南郚では13䞖玀末、15:ナポリ王囜がシチリア王囜より分離独立し、これら南むタリア諞囜はアラゎンスペむン王囜の圱響䞋に眮かれた。

    ルネサンス
    14䞖玀から16䞖玀にかけお西ペヌロッパでは、教䌚䞭心の秩序を重芖した䞭䞖の文化に代わっお、人間の理性や感性を重芖する16:ヒュヌマニズム、17:人文䞻矩の立堎に立った新しい文化創造の動きが展開した。明で癜話口語文孊や陜明孊が登堎したのず軌を䞀にする。

    • この動きを、歎史家ミシュレやブルクハルトは、同様に人間の理性や感性を重芖したギリシア・ロヌマ時代の叀兞叀代の「再生」をめざした点に着目し18:ルネサンス仏語で「再生」の意ず呌んだ。

    • 䞀方、こうした文化創造の動きは䞭䞖郜垂を舞台ずし、地域文化や地域蚀語が重芖され、䞭䞖文化の䞊に成り立っおいる。ホむゞンガは著曞『䞭䞖の秋』でミシュレやブルクハルトの「ルネサンス」芳を批刀した。

    • ルネサンスは、たずむタリアで起こったが、これにはいく぀かの理由が挙げられる。

      1. 19:地䞭海亀易ず20:毛織物工業を軞に商工業郜垂が繁栄し、互いの文化を競い合った。

    語句リスト
    1: ゚ンリケ
    2: ゞョアン2侖
    3: フェルナンド
    4: むサベル
    5: ナスル朝
    6: グラナダ
    7: ギベリン
    8: ゲルフ
    9: ミラノ
    10: フィレンツェ
    11: ゞェノノァ
    12: ノェネツィア
    13: アノィニョン
    14: 教皇のバビロン捕囚
    15: ナポリ王囜
    16: ヒュヌマニズム
    17: 人文䞻矩
    18: ルネサンス
    19: 地䞭海亀易
    20: 毛織物工業

    62-2 フィレンツェのルネサンス


    ルネサンスの開花


    毛織物業や金融業で栄え、豊かな1:トスカナ地方を支配䞋に眮いた2:フィレンツェで、いち早くルネサンスが花開いた。

    詩人3:ダンテDante 1265-1321は、知識甚語ずしおのラテン語ではなく、日垞䜿われおいたトスカナ方蚀むタリア語で『4:神曲』を著した。恋人ベアトリヌチェぞの愛情やキリスト教倫理芳ぞの批刀を描きながら、叀代ロヌマの詩人りェルギリりスの導きで地獄・煉獄を巡り倩囜ぞいたる物語。

    画家5:ゞョットGiotto 1266-1337は、感情を重芖し立䜓的で写実的な人間䞭心の衚珟を詊みた。「聖フランチェスコの生涯」が代衚䜜。

    詩人6:ペトラルカPetrarca 1304-74は、ラテン語叀兞の研究に努め、すぐれた叙情詩を぀くった。スキピオを描く『アフリカ』や、恋人ラりラぞの愛情を感情的に描く『7:叙情詩集』が代衚䜜。

    䜜家8:ボッカチオBoccaccio 1313-75は、ペストから逃れた10人の男女が語った物語集『9:デカメロン』を著し、人間の欲望や停善を颚刺した。近代小説の原型ずされ、ダンテの『神曲』に察しお『人曲』ず称される。むングランドの10:チョヌサヌ1340頃~1400は、『デカメロン』を暡しお『11:カンタベリヌ物語』を著した。

    画家12:マザッチオMasaccio 14011428は遠近法を確立した。代衚䜜「聖䞉䜍䞀䜓」。

    メディチ家による文芞保護


    金融業で財をなしたフィレンツェの倧富豪13:メディチ家は、コゞモデメディチCosimo de' Medici 1389-1464の代にフィレンツェ垂政を掌握し、パトロンずしお芞術を保護育成した。りルグベクや氞楜垝、足利氏や倧内氏による文芞保護ずほが同時期である。

    建築家14:ブルネレスキBrunelleschi 13771446は、13䞖玀末に建蚭がはじたった15:サンタマリア倧聖堂のドヌムを蚭蚈・建築した。
    圫刻家16:ドナテルロDonatello 13861466はルネサンス様匏の圫刻を確立した。

    コゞモは、叀代ギリシアの哲孊者プラトンの思想を研究するため、17:アカデミヌプラトンの孊院アカデメむアに由来創蚭しお、フィチヌノらにプラトン党集の翻蚳を行わせた。

    フィレンツェの党盛


    コゞモの孫18:ロレンツォ=デ=メディチ (Lorenzo de' Medici, 1449-1492は、祖父ず同様に孊芞を保護・奚励し、ボッティチェリ、ピコデッラミランドラらの人文䞻矩者を保護し、むル・マニヌフィコLorenzo il Magnificoず呌ばれた「偉倧なる者」の意。

    19:ボッティチェリ Sandro Botticelli  フィリッポリッピの工房で孊んだ画家で、『ノィヌナスの誕生La Nascita di Venere』や『春 Primavera』などの傑䜜を残した。䞀神教に反する異教的な䜜品。

    ピコデッラミランドラ ボロヌニャ倧孊で孊び、ギリシア語ずヘブラむ語に通じた。著曞『人間の尊厳に぀いおOratio De Dignitate hominis』で個人を重芖する思想を展開した。個人を重芖した点で、ほが同時代の明の王陜明ず共通性がある。

    地理孊者20:トスカネリは、この時代に地球球䜓説にもずづく䞖界地図アメリカ倧陞は未知を䜜成した。コロンブスは、トスカネリの地図を芋お西航を思い立った。レオナルドダノィンチはフィレンツェで孊び、ミラノやロヌマ、フランスで掻躍した。

    フィレンツェの衰退

    仏王シャルル8䞖がむタリアに䟵攻しむタリア戊争(1494-1559)を開戊、ミラノに぀づきフィレンツェは占領され、メディチ家は远攟された。この埌ルネサンスの䞭心はロヌマに移った。

    宗教改革者21:サノォナロヌラは、フィレンツェの虚栄ず退廃を戒め、厳栌な宗教芏埋に基づく改革を説いお、ルネサンス矎術を退廃芞術ずしお匟圧した。厳栌な政治は反発を招き火刑に凊された。

    16䞖初頭22:ミケランゞェロMichelangelo 14751564が制䜜した23:ダノィデ像は、フィレンツェ共和政のシンボルずされた。

    フィレンツェ出身で倖亀官ずしお掻躍した24:マキャノェリは16䞖玀、『25:君䞻論』を著し、君䞻支配者はいかなる手段を甚いようずも政治共同䜓の利益囜益を重芖せねばならないマキャノェリズムず説き、政治を道埳から切り離しお、近代的な政治像を瀺した。


    語句リスト


    1:トスカナ
    2:フィレンツェ
    3:ダンテ
    4:神曲
    5:ゞョット
    6:ペトラルカ
    7:叙情詩集
    8:ボッカチオ
    9:デカメロン
    10:チョヌサヌ
    11:カンタベリヌ物語
    12:マザッチオ
    13:メディチ家
    14:ブルネレスキ
    15:サンタマリア倧聖堂
    16:ドナテルロ
    17:アカデミヌ
    18:ロレンツォ=デ=メディチ
    19:ボッティチェリ
    20:トスカネリ
    21:サノォナロヌラ
    22:ミケランゞェロ
    23:ダノィデ像
    24:マキャノェリ
    25:君䞻論




    62-3 むタリア各地のルネサンス

    ミラノのルネサンス


    北䌊ロンバルディア地方に䜍眮し、毛織物工業で栄えたミラノでは、スフォルツァ家が台頭し、䞻君ノィスコンティ家からミラノ公の地䜍を奪い、ルネサンスの保護者パトロンずなりたした。フィレンツェ出身の1: レオナルドダノィンチは、スフォルツァ家の庇護のもずで、ミラノのサンタマリアデッレグラツィ゚修道院に代衚䜜2: 最埌の晩逐を描きたした。1494幎、仏王3: シャルル8䞖がむタリアに䟵攻し、4: むタリア戊争1494-1559を開戊するず、ミラノずフィレンツェを占領し、䞡垂は衰退したした。その結果、ルネサンスの䞭心はロヌマに移りたした。その埌、ダノィンチはロヌマなどで掻動したのち、フランス王フラン゜ワ䞖の招きでフランスに枡り、晩幎の代衚䜜5: モナリザは歎代仏王やナポレオンに受け継がれ、珟圚はルヌブル矎術通に所蔵されおいたす。

    ロヌマのルネサンス


    15䞖玀末から16䞖玀にかけお、ロヌマ教皇庁がルネサンスの掚進者ずなりたした。ボルゞア家出身のロヌマ教皇6: アレクサンデル6䞖䜍1492-1503、1493幎に教皇子午線を蚭定を継いだナリりス2侖Julius II䜍1503-1513は、圌の子チェヌザレボルゞアの支持を埗おロヌマ教皇に即䜍したした。圌はロヌマ教皇庁の拠点7: ノァチカン宮殿の倧芏暡な改築工事を開始し、建築家8: ブラマンテを招いお新たな9: サンピ゚トロ倧聖堂を蚭蚈させたした。フィレンツェ出身の10: ミケランゞェロMichelangelo 14751564を招き、ノァチカン宮殿の䞭枢である11: システィヌナ瀌拝堂の倩井画「倩地創造」を描かせたした。同瀌拝堂の「12: 最埌の審刀」も手がけ、教皇遞出遞挙のコンクラヌベがここで行われるこずでも有名です。たた、画家13: ラファ゚ロRaffaello 14831520を招き、ノァチカン宮殿の宀内画を䟝頌し、その結果「ラファ゚ロの間」ず呌ばれる郚屋が完成したした。叀代の哲孊者を描いた代衚䜜「14: アテネの孊堂」もここにありたす。ロレンツォデメディチの次男ゞョバンニが、1513幎にロヌマ教皇15: レオ10䞖Leo X、䜍1513-1521ずしお即䜍し、圌はサンピ゚トロ倧聖堂の改修工事を続けるため、マむンツ倧叞教を通じおドむツに16: 莖宥状免眪笊を倧芏暡に販売したした。この行為がルタヌによる宗教改革の匕き金ずなりたした。

    「莖」は、士倧倫が四人ず貝぀。


    資料 マキャノェリのナリりス䞖評


    Papa Iulio II procedette in ogni sua cosa impetuosamente, e trovò tanto i tempi e le cose conformi a quel suo modo di procedere, che sempre sortì felice fine.
    ---Il Principe/Capitolo XXV

    教皇ナリりス2䞖はすべおの事においお勢いよく行動したしたが、その時代ず状況が圌の行動方法ず完党に䞀臎したため、垞に幞せな結果を埗たした。
    ヌヌヌマキャノェリ『君䞻論』 第章



    語句リスト

    1. レオナルドダノィンチ

    2. 最埌の晩逐

    3. シャルル8侖

    4. むタリア戊争

    5. モナリザ

    6. アレクサンデル6侖

    7. ノァチカン宮殿

    8. ブラマンテ

    9. サンピ゚トロ倧聖堂

    10. ミケランゞェロ

    11. システィヌナ瀌拝堂

    12. 最埌の審刀

    13. ラファ゚ロ

    14. アテネの孊堂

    15. レオ10侖

    16. 莖宥状免眪笊

    【参考文献】

    • 山川出版瀟『詳説䞖界史』

    • 東京曞籍『䞖界史B』

    • 山川出版瀟『䞖界史甚語集』

     
     
    䞖界史を教えおいるAKSのnoteです。新期県燕䞉条地域出身。高等孊校地歎科教員。修士(教育孊)。この倏歳になった小孊䞀幎生息子の父芪。自分らしさを倧切にしながら、子育おず仕事を䞡立しおいきたいず思いたす。

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