
第85講 アメリカ独立戦争
85-1 北米植民地の形成と変容
重要語句
1)13植民地
2)植民地議会
3)カウンティ制度
4)プランテーション
5)タウンミーティング
6)有益なる怠慢
7)砂糖法
8)印紙法
9)ヴァージニア州議会
10)代表なくして課税なし
11)タウンゼンド諸法
12)茶法
13)ボストン茶会事件
14)ボストン港閉鎖
15)第一回大陸会議
北米植民地のすがた
18世紀前半までに大西洋岸に成立した英領1)13植民地には王領植民地、自治植民地など形式の違いはあったが、それぞれ2)植民地議会(1619年設立のヴァージニア議会が最初、のちの州議会)をもち、本国から二か月を要する距離が、自治的な気風を醸成した。
ヴァージニア以南の南部諸州では、本国の議会制度を模した代議制による3)カウンティ制度(郡制度)が発達した。経済的には、白人のプランター(農場経営者)が購入したアフリカ系奴隷を使役するタバコなどの4)プランテーションが発達し、経済活動の自由を求める声が強かった。
ニューイングランド植民地など北部諸州では、白人の自営農民が中心で、各村落の教会を中心に直接民主政を行う5)タウンミーティングのような自治のしくみを発達させた。経済的には、商工業が発達し、プロテスタントが多数を占め、毛織物工業やラム酒製造業などが基幹産業であった。
フランスのルイジアナ植民地と接し、紛争解決のため、グレートブリテン本国の後ろ盾が欠かせなかった。
ブリテン本国と植民地の緊張
七年戦争と平行して戦われたフレンチ=インディアン戦争が、ブリテン側の勝利に終わり、1763年のパリ条約で、ミシシッピ川以東のルイジアナがブリテンに割譲されると13植民地ではフランス植民地からの圧力がなくなった。いっぽうブリテン本国は、これまで北米植民地に対しては重商主義政策を厳格に適用してこなかった(これを「6)有益なる怠慢」という。英語ではSalutary Neglect)が、戦後、七年戦争の戦費負担を北米植民地に求めたため重商主義政策を厳格化した。これは本国の利益のために植民地を犠牲にするものだった。
1764年の7)砂糖法 Sugar Actは、砂糖プランテーションのプランターで構成される「西インド諸島派」の利益を守るために制定され、英領植民地以外から輸入される砂糖に高額の関税をかける法律だったが、糖蜜を原料とするラム酒の製造業が発展していた北米植民地は強く反発した。
1765年に8)印紙法 Stamp Actが制定されると、北米植民地は南部の9)ヴァージニア州議会などを中心に反対運動を展開し、「10)代表なくして課税なし」No taxation without representationのスローガンをかかげて課税を撤回させた。
その後も本国の議会は、1767年に11)タウンゼンド諸法を制定し、ボストンに税関を設置し、ガラス・鉛・ペンキ・紙・茶に関税を課したが、植民地側は本国製品の不買運動で対抗した。
ボストン茶会事件と第一回大陸会議
1773年の12)茶法 Tea Actは、ブリテン本国の東インド会社が輸入する茶を免税としたもので、植民地の消費者には経済的に有利な内容であったが、自治を重んじる植民地の人々は反発し、先住民に変装した植民地人が、東インド会社の船に積まれていた茶箱を海に投げ捨てた13)ボストン茶会事件 Boston Tea Partyを起こした。
これに対しブリテン本国は14)ボストン港閉鎖を強行、マサチューセッツ植民地の特許状を取り上げて自治権を剥奪した。ここに至り、本国と植民地の対立は決定的となった。
1774年、13植民地の代表はペンシルヴァニア州都フィラデルフィアで15)第一回大陸会議を開き、国王ジョージ3世に抗議の意を示した。*ワシントンD.C.に遷都するまで、ペンシルヴァニア州フィラデルフィアが13植民地=合衆国の政治的中枢=事実上の首都だった。
85-2 アメリカ独立戦争
重要語句
1)レキシントン=コンコードの戦い
2)アメリカ独立戦争
3)愛国派
4)国王派(ロイヤリスト Loyalists)
5)連邦派
6)反連邦派
7)トマス=ペイン
8)コモン=センス
9)ワシントン
10)アメリカ独立宣言
11)ロック
12)アメリカ連合規約
13)フランクリン
14)サラトガの戦い
15)ラ=ファイエット
16)サン=シモン
17)コシューシコ
18)エカチェリーナ2世
19)武装中立同盟
20)ヨークタウンの戦い
21)パリ条約
独立戦争と独立宣言
1775年には1)レキシントン=コンコードの戦いで植民地側とブリテン駐留軍が戦端を開いた。これによって2)アメリカ独立戦争がはじまった。
当初は独立を主張する3:愛国派 Patriotsは三分の一程度であり、ブリテン本国への忠誠を重んじる4:国王派(ロイヤリスト Loyalists)が三分の一、あとの三分の一は中立派であった。
国王派は、国教会聖職者や高級官吏、大地主や大商人など、総じて社会的地位の高い人々であった。
大規模農園主(プランター)、富裕商人、弁護士など愛国派のなかの富裕層は総じて保守派であり、独立後は中央政府を重視する5:連邦派Federalistsとなった。
中小農園主(プランター)、都市商工業者、自営農民など愛国派のなかの新興層は総じて急進派であった。独立後は州権と地方自治を重視する6:反連邦派Anti Federalistsとなった。
1776年はじめに7:トマス=ペインが出版した『8:コモン=センス』Common Senseは、アメリカ独立の正当性と必要性を訴え、独立の機運を高めた。
13植民地の代表は第二回大陸会議を開いて9:ワシントンを大陸軍司令官に任命し、1776年7月4日には、ジェファソンらが起草した10:アメリカ独立宣言を発表し、ブリテン王ジョージ3世(位1760-1820、グレートブリテン王、1801年から連合王国国王)の政府に対し、11:ロックがとなえた抵抗権を根拠とし、独立の正当性を訴えた。
連合規約とその問題点
翌1777年、ペンシルヴァニア州フィラデルフィアの大陸会議は憲法にあたる12:アメリカ連合規約を採択(81年発効)し、13植民地は連合してアメリカ合衆国の成立をうたった。
連合規約は各州(各邦)政府が徴税権や通商規制権、軍隊保持権をもち、中央政府にあたる連合議会の決定は各州(各邦)への勧告にとどまる等、州権主義(邦権主義)が強い内容だった。
このため独立戦争で軍需物資の不足や経済統制の不十分など、様々な困難に直面することになった。
第二次英仏百年戦争の第5ラウンドとして
植民地側は当初苦戦したが、駐仏大使となった13:フランクリンの遊説が功を奏し、七年戦争の挽回をねらうフランス王ルイ16世、(位1774-92)と財務総監ネッケル(任1777-81,88-89)は、1777年14:サラトガの戦いで植民地側が勝ったことから参戦を決断、翌1778年アメリカ側に立って参戦したので、ここにアメリカ独立戦争は第二次英仏百年戦争の第5ラウンドとなった。
79年同じブルボン家のスペインが、80年ネーデルラント連邦共和国が植民地側に立って参戦した。
フランスからは後日フランス革命で人権宣言を起草し活躍した 15:ラ=ファイエット、社会主義を主張した16:サン=シモンら自由主義貴族が、ポーランドからはワシントンの副官として活躍し後日ポーランド分割に反対した17:コシューシコなど、義勇軍が多数参加した。
グレートブリテンが実施した海上封鎖に対し、1780年ロシア女帝18:エカチェリーナ2世がプロイセン、スウェーデン、デンマーク、ポルトガルとの間に19:武装中立同盟を結び、中立国の自由な航行や交戦国の物資積載の自由を主張、間接的に13植民地を支援した。
1781年ヴァージニアのヨークタウン港で行われた20:ヨークタウンの戦いでアメリカ・フランス連合軍はブリテン軍に対し決定的勝利をおさめ、1783年の21:パリ条約で、グレートブリテン王国はアメリカ合衆国の独立を承認し、(1763年のパリ条約でフランスから獲得した)ミシシッピ以東のルイジアナを合衆国に割譲した。
85-3 アメリカ合衆国憲法の制定
Keyword
1:合衆国憲法
2:三権分立
3:アレクサンダー=ハミルトン
4:トマス=ジェファソン
5:綿繰り機
6:アダムズ
7:成文憲法
8:市民
9:大西洋革命
合衆国憲法の制定
当初合衆国は連合規約のもとでそれぞれが独自の憲法をもつ13州のゆるい連合体にすぎず、中央政府は弱体だったので、1787年フィラデルフィアで憲法制定会議をひらき、各州の上に徴税権、通商規制権、軍隊保持権などをもつ連邦政府をおく連邦主義を採用した1:合衆国憲法を制定した。
モンテスキューの権力分立を取り入れ、立法権をもつ二院制の連邦議会と行政権をもつ大統領、それに司法権をもつ連邦裁判所の2:三権分立を導入した。
連邦議会のうち上院議員(Senator)は各州2名、任期6年の議員で、下院議員は人口比率で選出された任期2年の議員で構成される。
憲法を支持する3:アレクサンダー=ハミルトンら連邦派に対し,州権の維持を主張する4:トマス=ジェファソンに代表される共和主義的思想に影響された反連邦派の勢いは強く、各州での憲法批准は難航したが、88年に発効した。
ワシントンとアダムズの時代
1789年にワシントンを初代大統領とし、連邦政府が成立した。
1792年にフランス革命戦争が勃発すると、共和政を重んじる反連邦派は革命政府のフランス側を支援するよう主張し、一方通商を重んじる連邦派は対仏大同盟のブリテン側に配慮し中立を主張して対立した。
1793年にはホイットニーが5:綿繰り機を発明したが、この後ヴァージニア以南の南部諸州では、綿花プランテーションが拡大されて綿花の生産量が増大し、奴隷人口が大幅に増加した。
第二代大統領6:アダムズ(任1797-1801)の時代、1800年に、建設中だった新首都ワシントンD.C.に、ペンシルヴァニア州フィラデルフィアから遷都した。
アメリカ独立の意義と問題点
合衆国の独立は、史上初めて近代的な7:成文憲法をもつ国家を成立させ、商工業者や自営農民などの8:市民が中心となる社会をつくりあげた点において、世界史上に重要な意義を持つことから、とくに「アメリカ革命(アメリカ独立革命)American Revolution」とばれる。
ただし、これは白人市民にとっての独立であり、アフリカ系奴隷や先住民には市民権が与えられず、奴隷制や差別が残されたことは、大きな課題となった。
アメリカ独立は、1848年のフランス二月革命にいたるまで、その後半世紀にわたり大西洋の両側で引きおこされる一連の革命の出発点となった。これらの革命の連鎖を、総称して9:大西洋革命(Atlantic Revolution、あるいは環大西洋革命)とよぶ。
過去問
問題
共通テスト(令和3年度)世界史B 本試験

考え方
グラフから、金貨鋳造量が初めて500万ポンドに達した年は1776年で、アメリカ独立宣言の年である。
従って、それより前に起こった出来事を選ぶ。
問題の趣旨から、選択肢のうち、もっとも早い出来事を選ぶ問題でもある。
① 1821年
② 1773年
③ 1828年
④ 1815年
解答
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