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第86講 フランス革命

    はじめに 

     
     マルクス主義史観では、フランス革命を典型的なブルジョワ革命(市民革命)とみなしたが、この評価は多くの批判にさらされ改められてきた。

     フランスの歴史家ルフェーヴルは、フランス革命は、R:自由主義貴族、S:ブルジョワジー、N:農民、T:都市民衆が、それぞれの関心と利害から関与して複雑な展開を示した、複合革命であったと解釈した。これを複合革命論という。

     アメリカの学者ウォーラーステインは、著書『近代世界システム』でフランス革命を、グレートブリテンの経済覇権に対抗するため、フランスの資本家層が国家の再編をめざした動きとして再定義した。

     四つの担い手(R:自由主義貴族、S:ブルジョワジー、N:農民、T:都市民衆)が、それぞれどのように革命に参画し、革命がどのようなフランス国家を目指したのか、考えながら学んでいこう。


    86-1 革命前夜~アンシャン=レジームの限界~


    啓蒙思想の広がりと旧制度の限界



     18世紀のフランスでは、上流階級を中心に啓蒙思想が広がり、社会制度の柔軟な改革を求める1:聖職者(聖職者も含む)が増えつつあった。

     第一身分=2:貴族と第二身分=1:聖職者に、国家に対する免税や農民(農奴)への徴税権、裁判権など3:封建的特権を認め、あるいは市場の独占を認められたギルドなど4:社団と総称される中間団体に様々な特権を認めていた(このような国家形態を「5:社団国家」という)、中世以来の旧制度=6:アンシャン=レジームを批判する動きがおこった。

     七年戦争に敗北し、海外市場をグレートブリテンに奪われたことは、商工業を経営する【S        】(資本家)にとって見過ごせない問題だった。彼らはグレートブリテンに対抗できる強力な政府を求めた。

    ルイ16世の改革

     1774年に即位した国王7:ルイ16世は、アメリカ独立戦争に参戦しアメリカ独立を支援し、グレートブリテンに打撃を与えたが、その戦費は財政赤字を増大させた。

     財務長官に起用された重農主義者の8:テュルゴー(任74-76)は、9:ギルドの廃止や商取引の自由化など、自由主義的な改革を試みたが、特権階級の反発によって辞職に追い込まれた。

     続いて財務長官に銀行家の10:ネッケル(任77-81、88-89)が起用され、特権階級(第一身分、第二身分)への課税を試みたが、やはり特権階級の反対にあい、挫折した。

     ルイ16世の改革が、のちに国民議会が実施した改革と同じ方向性を持っていたことに、注目しておきたい。

    国民生活の困窮

     1786年英仏通商条約で、産業革命のすすみつつあったグレートブリテンに対し、フランスの市場を開放したことは、商工業を営むブルジョワジーの経営を直撃し、倒産や失業が増えた。

     1783年におこった浅間山の噴火に起因するとされる地球規模の寒冷化がおこり、農産物の不作が【N農民】や【T都市民衆】の生活を圧迫した。*日本では同時期、天明のききん(1782-87)により、商業重視の政治をおこなった老中田沼意次が失脚し、寛政の改革(1887)がはじまった。

     ルイ16世はカロンヌ、ブリエンヌらを財務長官に起用、引き続き特権階級への課税を試みたが、特権階級は11:名士会を開き、課税を含む改革には三部会の承認が必要と主張した。

     ルイ16世は財務長官にネッケルを再起用し、1789年5月、1614年以来となる12:全国三部会Etats générauxを招集した。*全国三部会のほかに、地方三部会Etats généraux de la provinceがあった。

     政治的に目覚めつつあったSブルジョワジーを代表とする第三身分は、これを政治参加の機会ととらえ、全国で選出された代表が、多くの13:陳情書を携えて三部会の会場14:ヴェルサイユ宮殿に向かった。



    86-2 三部会から国民議会へ



    Keyword 
    1:平民 
    2:身分別議決法 
    3:国民議会 
    4:球戯場の誓い 
    5:ダヴィド 
    6:第三身分とは何か
    7:シェイエス 
    8:ミラボー 
    9:ラ=ファイエット 
    10:憲法制定国民議会

    三部会から国民議会へ


     三部会は1302年の設立(フィリップ4世)いらい、第一身分の聖職者・第二身分の貴族・第三身分の1:平民(元来は都市代表)にわかれ、身分別に討議と議決をおこった。この2:身分別議決法は特権階級に有利なため、第三身分に批判にされ、三部会は当初から紛糾した。

     第三身分は自分たちこそ国民の代表であると主張し6月17日、ミラボーの主導で単一の議院で構成する一院制の3:国民議会Assemblée Nationale成立を宣言した。第二身分と第一身分からも賛同者が出た。三部会から国民議会への移行は、社団国家から国民国家への移行過程を象徴的に示している。

     6月20日、王弟アルトワ伯(のちのシャルル10世)ら保守派が三部会議場を閉鎖すると、第三身分代表は球戯場に移動し4:球戯場の誓いを発表、憲法を制定するまで国民議会は解散しないと宣言した。新古典派の画家5:ダヴィドの「球戯場の誓い」に描かれている。

    改革の主導者達


     第三身分代表と共に自由主義貴族・聖職者ら特権階級の内の改革派が一連の動きを主導した

     1789年初頭、特権階級や身分制度のあり方を批判した小冊子『6:第三身分とは何か』を著し世論に大きな影響を与えた第三身分出身の聖職者・政治家7:シェイエスは、第三身分代表として三部会議員に選出され、国民議会設立を主導、「球戯場の誓い」を起草した。
    自由主義貴族8:ミラボーは、第三身分代表として三部会議員に選ばれ、国民議会設立に貢献し、立憲君主政樹立をめざした。ルイ16世に信任され、革命の暴走を阻止しようと努めた穏健派。91年4月彼の死がルイ16世に亡命を決意させヴァレンヌ逃亡事件につながった。

     アメリカ独立戦争に義勇軍を率いて参加した自由主義貴族で軍人・政治家9:ラ=ファイエットは、三部会議員となり、国民議会に合流して立憲君主政を主張、パリ国民軍司令官を務め、人権宣言を起草した。1792年8月10日事件で革命が暴走・急進化するとオーストリアに亡命した。1830年の七月革命にも関わり、大西洋の両岸で革命に関わった経歴から「両大陸の英雄」と称される。

    立憲君主制へ~憲法制定国民議会〜



     S:ブルジョワジー層に支持された国民議会は、7月9日10:憲法制定国民議会 Assemblée Nationale Constituante (憲政国民議会)と名を改め、憲法の制定に着手したので、フランスは事実上の立憲君主政となった(成文憲法制定は1791年9月)。

    * 1789年の革命は、第一身分、第二身分のなかのR:自由主義貴族層と第三身分のなかのS:ブルジョワジー層の主導で展開し、N:農民やT:都市民衆の声は政治に十分反映されていなかった。

    * かれらは啓蒙思想によって獲得した新たな価値観を共有する啓蒙エリートとして、身分による区別を理性に反するものと退け、第二次英仏百年戦争で負け越しているグレートブリテン王国に対抗するため、法の下に平等なフランス国民を直接統治する強力な中央集権国家をつくる目標を共有していた。 


    86-3 革命のはじまりと人権宣言


    Keyword 
    1:バスチーユ要塞 
    2:封建的特権の廃止 
    3:賦役 
    4:領主裁判権 
    5:十分の一税 
    6:農奴制 
    7:人権宣言 
    8:人間および市民の権利の宣言 
    9:自由 
    10:平等 
    11:主権 
    12:国民 
    13:グージュ 
    14:ヴェルサイユ行進 
    15:マリ=アントワネット 
    16:テュイルリー宮殿 
    17:立憲君主政

    バスティーユ事件と封建的特権の廃止

     軍隊招集やネッケル罷免など改革にブレーキをかけようとする国王側の動きに対し、パリの都市民衆が立ち上がり、7月14日、政治犯収容所であり武器弾薬の保管庫だった1:バスチーユ要塞を襲撃し、陥落させた。

     第三共和政期に7月14日は国民の祝日とされた。

     これを機にフランス全土で特権階級に対する農民の蜂起が起きた。領主側は大恐怖と呼んで恐れた。

     混乱を収拾するため、自由主義貴族とブルジョワジーが主導する憲法制定国民議会(憲政国民議会)は8月4日、自由主義貴族の発議で2:封建的特権の廃止宣言をだし、旧体制を解体すると宣言した。

     封建的特権の廃止が、特権階級自身の発議によって行われたことに、注目しておこう。

     即座に無償で廃止された封建的特権には、領主が農民(農奴)に3:賦役を課す権利や、4:領主裁判権、教会に払う5:十分の一税が含まれた。これにより、アンシャン=レジームの核であった中世以来の6:農奴制が解体された。

     一方、封建地代である貢納の廃止は有償とされ、農民が土地を手に入れるには貢納の20~25年分を一括で支払わなければならなかったため、土地を手に入れて貢納から自由になった農民は少なかった。これは、自由主義貴族やブルジョワジーが、個人の9:自由をもっとも重視し、農地を領主・地主ら土地所有者の私有財産とみなしたためである。

     特権をもつ重層的な社団で構成された社団国家が解体、均一な国民とそれを管理する唯一の政府からなる国民国家へ再編された。州や都市が中世以来もっていた諸権利も廃止され、中央集権がすすんだ。

    人権宣言

     8月26日、自由主義貴族ラ=ファイエットらが起草した7:人権宣言(8:人間および市民の権利の宣言)(9:自由と10:平等 Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen)を採択し、自由と法の下の平等、国民主権、言論の自由、所有権の不可侵などを宣言した。

     条文を読み、その意義を理解すること。
     第1条 人間は9:自由かつ権利において10:平等 
     第2条 自由、11:主権、安全、圧政への抵抗は、時効により消滅しない自然権である。
     第3条 あらゆる11:主権の源は、本質的に12国民のうちに存する
     第17条 9:自由は神聖かつ不可侵の権利である

    • 女性運動家の13:グージュは、1791年「女性と女市民の人権宣言」を発表した。

    ヴェルサイユ行進

     国王ルイ16世は保守的な態度を崩さなかったが、食料価格の高騰に不満を募らせた女性を中心とするパリの都市民衆が10月5日、14:ヴェルサイユ行進をおこない翌6日に国王一家をヴェルサイユからパリに連行した後、国王は封建的特権の廃止宣言と人権宣言を承認した。

     ルイ16世と王妃15:マリ=アントワネット、二人の子ども(マリー=テレーズとルイ、のちに即位したとみなされ、ルイ17世として数えられる)が、パリの16:テュイルリー宮殿にうつされ、革命派の監視下に置かれた。憲法制定国民議会(憲政国民議会)もヴェルサイユからパリにうつった。

     フランス革命ははじめから王の排除や共和政をめざしたわけではない。1792年までの3年間は、議会王政を築くグレートブリテン王国にならい、ルイ16世を君主とする17:立憲君主政をめざした。





     
     
    世界史を教えているAKSのnoteです。新潟県燕三条地域出身。高等学校地歴科教員。修士(教育学)。この夏7歳になった小学一年生息子の父親。自分らしさを大切にしながら、子育てと仕事を両立していきたいと思います。

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