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第154講 冷戦終結とソ連解体


    154-1 東欧革命とドイツ統一


    Keyword 
    1:ワレサ 
    2:自主管理労組「連帯」 
    3:ホネカーが退陣 
    4:ベルリンの壁が崩壊 
    5:ジフコフ 
    6:憲章77 
    7:ハヴェル 
    8:ビロード革命 
    9:チャウシェスク 
    10:コメコンが解消 
    11:ワルシャワ条約機構が解消 
    12:東欧社会主義圏は消滅 
    13:コール 
    14:ドイツ統一 
    15:ベルリンに遷都 
    16:ヴァイツゼッカー
    17:モンゴル国 
    18:モンゴルの社会主義体制離脱 
    19:クロアティア・スロヴェニア両共和国独立宣言
    20:ボスニア=ヘルツェゴヴィナ独立宣言 
    21:新ユーゴスラヴィア連邦が成立 
    22:ユーゴスラヴィア内戦
    23:ボスニア内戦
     


    東欧革命

    経済が停滞していた東欧では1980年代後半、ソ連ですすめられたペレストロイカの影響を受けて、大きな政治・社会変動がおこり、1989年、一斉に民主化・自由化が実現した。これを東欧革命という。

    ポーランドでは、1:ワレサ率いる 2:自主管理労組「連帯」が1989年に合法化され、総選挙で圧勝し、1990年ワレサが大統領(任1990~95)となった。*2004年EUに加盟した。

    ソ連の改革にならって民主化をすすめていたハンガリーでは、1988年に共産党一党独裁の長期政権カダル=ヤーノシュ政権(1956-88)が倒れ、他の東欧諸国に先駆けて政治の自由化がすすんでいた。1989年8月に起きたパン・ヨーロッパ・ピクニック(ピクニック事件)は、共産主義独裁の抑圧体制である東側から、自由主義体制の西側への亡命を可能とした。10月、ハンガリーは共産主義を放棄し、議会制民主主義を採用すると宣言した。*2004年、EUに加盟した。

    ポーランドやハンガリーの自由化を受けて、東ドイツでも民主化を求める運動が高まり、10月、書記長3:ホネカーが退陣した。11月、東西ベルリンの往来が認められ、4:ベルリンの壁が崩壊した。東西対立の象徴であった「ベルリンの壁」が崩壊したことで、東欧革命は他の東欧諸国にも及んだ。

    ブルガリアでは1989年、5:ジフコフ書記長が辞任して自由化、民主化が実現した。1991年に複数政党制と大統領直接選挙を定めた新憲法が制定された。2007年、EUに加盟した。

    チェコスロヴァキアでも、共産党の一党独裁が放棄され、12月には民主化運動グループ「6:憲章77」に所属する知識人7:ハヴェルが大統領となった(8ビロード革命)。ナショナリズムの高まりを受け1993年チェコ共和国(首都プラハ)スロヴァキア共和国(首都ブラチスラヴァ)に分離した(ビロード離婚)。両国とも2004年、EUに加盟した。

    ルーマニアでは12月、9:チャウシェスク(任1965-89)夫妻が処刑され、民主化が実現した。2007年EUに加盟した。

    東欧革命の進行やソ連の市場経済への移行を1991年に10:コメコンが解消し、11:ワルシャワ条約機構が解消されると12:東欧社会主義圏は消滅した。

    ドイツの統一

    1990年10月、西ドイツの13:コール首相(任1982-98、CDUキリスト教民主同盟)は、東ドイツを併合する形で、14:ドイツ統一を実現した。

    コールの周到な外交準備ののち、米英仏ソと東西ドイツの6ヶ国が合意し、歴史的なドイツ統一が実現した。

    統一ドイツは国民投票により1991年ボンから15:ベルリンに遷都した。
    当時のドイツ大統領16:ヴァイツゼッカーは(任1984-94)、「過去に目を閉ざす者は、結局現在にも盲目となります」という演説で知られる。

    社会主義圏の解体

    アルバニアやモンゴルでは共産系独裁が倒れ、ユーゴスラヴィアは解体した。

    アルバニアでは1990年に信仰の自由が復活し、1991非共産系政権が誕生した。

    モンゴル人民共和国は1992年、人民革命党が一党独裁を放棄し、複数政党制と大統領制を採用し、新憲法で国名を17:モンゴル国と改めた(18:モンゴルの社会主義体制離脱)。

    ユーゴスラヴィアでは、1991年の19:クロアティア・スロヴェニア両共和国独立宣言とマケドニア独立宣言、1992年の20:ボスニア=ヘルツェゴヴィナ独立宣言をへて、1992年セルビアとモンテネグロによって21:新ユーゴスラヴィア連邦が成立したが、その後、22:ユーゴスラヴィア内戦や23ボスニア内戦がおこった(後述)。*2002年連邦は解消し、2006年セルビアとモンテネグロに分離した。


    パン・ヨーロッパ・ピクニック
    1989年8月19日にハンガリーとオーストリアの国境で行われた象徴的な出来事で、東ドイツ市民が西側へ脱出するための重要な転機となった。このイベントは、ハンガリー政府が一時的に国境を開放し、東ドイツ市民に西側への逃亡の機会を与えたものだ。背景には、東欧の共産主義政権が崩壊しつつあったことや、ソ連の改革政策であるペレストロイカが影響していた。パン・ヨーロッパ・ピクニックは東ドイツ市民にとって、西側への脱出の道を開いただけでなく、ベルリンの壁崩壊を含む東欧革命の波を加速させた。また、この出来事は、冷戦の終結とドイツ統一への道を築く契機となり、ヨーロッパ全体における自由化と民主化の象徴となった。



    154-2 冷戦の終結とソ連の民主化


    冷戦の終結


    米ソは協調路線をとり、1989年冷戦の終結が宣言された。

    1989年合衆国で共和党の1:ブッシュ大統領(父)(任1989-93)が就任すると、ソ連のゴルバチョフ書記長はレーガン大統領との対話路線を継続した。 ゴルバチョフは1989年2月2:アフガニスタンからの撤退を完了させた。

    ゴルバチョフは5月に中華人民共和国を訪問し、鄧小平らと会談して、中ソ関係の正常化を実現した(3:ゴルバチョフ訪中)。民主化をすすめるゴルバチョフの訪中は、中華人民共和国の民主化運動を高揚させ、1989年年6月4日の4:天安門事件(第二次天安門事件)がおこった。

    1989年12月、シチリア島の南方にある地中海の小島マルタ島でゴルバチョフ書記長とブッシュ大統領が会談し、冷戦の終結を宣言した。これを5:マルタ会談という。「ヤルタからマルタへ」といわれた。 1991年、ゴルバチョフは合衆国のブッシュ大統領と6:第一次戦略兵器削減交渉(START I)に調印した。

    第一次戦略兵器削減交渉じたいは1982年にレーガンが開始したが停滞していた。

    引き続き第二次戦略兵器削減交渉(START II)が開始されたが、ソ連解体後はロシア連邦に引き継がれた。1993年初頭ブッシュ大統領とエリツィン大統領が署名したが、合衆国は批准しなかった。


    ソ連の民主化

    ゴルバチョフはひきつづき改革(ペレストロイカ)をかかげ、ソ連の民主化をすすめた。

    1988年の憲法改正でソ連の最高機関として人民代議員大会が設置され、89年ソ連初の複数候補・自由選挙で7:連邦人民代議員が選出された。*共産党一党独裁の放棄。

    1990年には8:大統領制が導入され、ゴルバチョフが初代大統領となった。民主的な選挙で大統領を選出することになったが、ソ連崩壊でゴルバチョフ一代限りとなった。


    154-3 ソ連解体


    Keyword 
    1:バルト三国の独立回復 
    2:人間の鎖 
    3:イラクのクウェート侵攻 
    4:ドイツ統一 
    5:湾岸戦争 
    6:経済相互援助会議 
    7:ワルシャワ条約機構 
    8:エリツィン 
    9:プーチン 
    10:メドヴェージェフ 
    11:新連邦条約 
    12:八月政変 
    13:ソ連共産党が解散 
    14:グルジア 
    15:独立国家共同体 
    16:ソ連解体

    バルト三国の独立回復


    1991年に実現した1:バルト三国の独立回復は、ソ連解体の引き金となった。

    リトアニア(首都ビリニュス)・ラトヴィア(首都リガ)・エストニア(首都タリン)のバルト三国では1989年ソ連邦からの独立を求める「2:人間の鎖」運動が行われ、独立の機運が高まった。

    1990年バルト三国がソ連邦からの独立を宣言すると、ゴルバチョフは無効を宣言したが、軍事介入を控え、事実上独立を認めた。翌91年9月正式に独立を認めた。*ゴルバチョフは90年ノーベル平和賞を受賞した。

    国内にバルト三国独立問題を抱えたソ連が、1990年の3:イラクのクウェート侵攻と4:ドイツ統一、91年の5:湾岸戦争を黙認・傍観したことは、ソ連の国際影響力を低下させた。

    ソ連の解体

    1991年12月、ソ連は解体され、歴史上から姿を消した。

    1991年6月ソ連を中心とした経済組織6:経済相互援助会議 COMECON(1949年結成)が解散し、7月にはソ連を中心とした軍事機構7ワルシャワ条約機構 (1955年結成)が解散した。これにより、ソ連を中心とした社会主義諸国の経済的、軍事的結びつきが解かれた。

    1991年6月、ソヴィエト連邦を構成する12の共和国のうち最大のロシア共和国で大統領選挙が行われ、ソ連邦からの独立を主張する8:エリツィンが大統領に選出された(任1991-99)。


    世界史のなかの地位 ロシア連邦大統領 

    もともとソ連を構成するロシア共和国の大統領だったが、ソ連の崩壊によりロシア連邦が五大国の地位を引き継いだため、その権威は合衆国大統領と肩を並べるほどになった。エリツィン(任1991-99)ののち、9:プーチン(任2000-2008)、10:メドヴェージェフ(任2008-2012)が就任し、現在はふたたびプーチン(任2012-)がその地位にある。

    【覚えよう】ロシア連邦大統領
    エリツィン
    プーチン
    メドヴェージェフ
    プーチン



    ゴルバチョフが「ソ連邦は主権国家の連合体である」とする11:新連邦条約をまとめると、ソ連の崩壊を危ぶむ共産党保守派が、ゴルバチョフ排除を企図し、91年8月クリミア半島で休暇中のゴルバチョフを監禁して政権奪取を狙うクーデタをおこした。これを12:八月政変という。 モスクワでは、ロシア共和国のエリツィン大統領がゴルバチョフを支持し、クーデタを批判するとともに、市民もクーデタを批判し、クーデタは失敗してゴルバチョフは解放された。

    事件後13:ソ連共産党が解散し、1918年ボリシェヴィキから改称して以来の歴史に幕を閉じた。

    12月までに、エリツィン大統領とするロシア連邦など12の共和国は独立を宣言し、このうち14:グルジアをのぞく11カ国が15:独立国家共同体CISを結成した。グルジアはロシアとの間に国境をめぐる対立があったが、1993年にグルジアもCISに加盟した。

    *CISはその後、グルジアが2008年に脱退を表明、ウクライナが2014年にロシアのクリミア半島併合を機に脱退を表明、現在は10各国体制となっている。

    CIS加盟国
    (①      )
    (②      )2014年脱退表明。
    (③      )①~③東スラヴ人諸国      
    (④      )…ルーマニア系。ルーマニアとの係争地。ベッサラビアと呼ばれた地域。      
    (⑤      )
    (⑥      )
    (⑦      )
    (⑧      )⑤〜⑧トルコ系。
    (⑨      )イラン系。ソグド人の末裔?
    (⑩      )
    (⑪      )
    [⑫       ]1993年加盟、2008年脱退。
    ⑩~⑪カフカス(コーカサス)3国

    1991年12月、ゴルバチョフは大統領を辞任しソ連政府は消滅、12の共和国へと解体された。これを16:ソ連解体という。レーニンが共産主義の理想に燃えて建設した国家はここに消滅した。


    CIS加盟国(1993年時点)
    ① ロシア
    ② ウクライナ 2014年脱退表明
    ③ ベラルーシ
    ④ モルドバ
    ⑤ カザフスタン
    ⑥ キルギス
    ⑦ ウズベキスタン
    ⑧ トルクメニスタン
    ⑨ タジキスタン
    (タジキスタンはイラン系の文化的な影響を受けており、ソグド人の末裔とも言われる。)
    ⑩ アルメニア
    ⑪ アゼルバイジャン
    ⑫ [グルジア(ジョージア)]1993年加盟、2009年脱退。



     
     
    世界史を教えているAKSのnoteです。新潟県燕三条地域出身。高等学校地歴科教員。修士(教育学)。この夏7歳になった小学一年生息子の父親。自分らしさを大切にしながら、子育てと仕事を両立していきたいと思います。

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