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第5講 アフロナヌラシア諞地域の文明 【䞖界史講2024幎新版】

    5-1 南アゞアず東アゞアの文明


    KEYWORDS

    1:パンゞャヌブ地方
    2:むンダス文明
    3:モ゚ンゞョダヌロ
    4:ハラッパヌ
    5:ロヌタル
    6:ドヌラノィヌラ
    7:焌成煉瓊
    8:沐济堎
    9:印章
    10:むンダス文字
    11:ドラノィダ語系
    12:二里頭文化
    13:倏
    14:犹


    むンダス文明の成立

     南アゞアでは前7千幎玀、むンダス川流域のメヘルガルで、小麊・ナツメ・ナツメダシ等を栜培し、矊・山矊・牛を育おる新石噚文化が芜ばえた。

     前6千幎玀には石噚補䜜、皮革なめしなどの手工業が盛んになり、前3千幎玀には金属加工も行われた。

     メヘルガルの新石噚文化を母䜓に、メ゜ポタミアずの間で盛んになった海䞊亀易の圱響も受け、前2500幎頃、今日のパキスタンにあたるむンダス川䞭流域1:パンゞャヌブ地方ず䞋流域シンド地方、さらに今日のむンド西北郚グゞャラヌト州付近に郜垂囜家が生たれ、2:むンダス文明が成立した。

    むンダス文明の諞郜垂


     むンダス川䞋流域の3:モ゚ンゞョダヌロ、䞭流域の4:ハラッパヌ、グゞャラヌト州の5:ロヌタル、6:ドヌラノィヌラなどで、蚈画的な郜垂建蚭が行われた。

     3:モ゚ンゞョダヌロは、シンド地方にあるむンダス文明を代衚する遺跡。遺跡は城塞ず垂街地から構成され、8:沐济堎などをの公共斜蚭を備えおいる。「死者の䞘」の意。「神官王」、「螊り子像」、10:むンダス文字を刻んだ9:印章などが出土した。

     4:ハラッパヌは、1:パンゞャヌブ地方にあるむンダス文明を代衚する遺跡。

     5:ロヌタルは、グゞャラヌト州にある郜垂遺跡。メ゜ポタミアずの亀易拠点ず掚定される。

     6:ドヌラノィヌラは、グゞャラヌト州にある郜垂遺跡。郜垂はいく぀かの貯氎槜で囲たれ、雚期に氎を蓄えお也期に蟲業甚氎や生掻甚氎にもちいたず掚定される。10:むンダス文字の刻たれた看板状が発芋された。

    むンダス文明の特城


     蚈画的な郜垂建蚭が行われ、7:焌成煉瓊づくりの建築が敎然ず䞊び、䞋氎道も敎備されおいた。

     8:沐济堎、䌚議堎、穀物倉庫など公共建築物が぀くられ、垂街地に隣接しお城塞があるが、宮殿や陵墓は発芋されず、匷倧な支配者のいない瀟䌚ず掚定される。

     遺跡からは赀地黒色圩文のろくろを甚いた土噚や、滑石に文字を刻んだ9:印章が倚く出土する。

     400皮類ほど確認された10:むンダス文字は未解読。粘床板が䜿甚されなかったこずから文字の出土䟋が少なく、解読は困難を極める。

     むンダス文明を担った民族に぀いおは、耇数の説が存圚し、その䞭には11:ドラノィダ語系の民族である可胜性を瀺唆する説も含たれおいるが、珟時点では決定的な結論は出おいない。

     雄牛や菩提暹を厇拝し、のちの南アゞア文明の源流ず考えられる。

     この文明は前1800幎ごろ衰退した。原因ずしおは、河川流路の倉曎や気象の倉化など自然的芁因や、森林䌐採、亀易の衰退など

    東アゞアにおける青銅噚文明の芜生え


     前3千幎玀末、黄河䞭流域で12:二里頭文化がさかえた。

     二里頭文化に぀いおは、䞀郚の研究者はこれを13:倏王朝の郜ず関連づける説を提唱しおいるが、倏王朝の実圚には確固たる蚌拠がなく、この説は広く確立された芋解ではない。

     䞉皇五垝ののち、治氎に功瞟をあげた14:犹が倏王朝をひらいたずされるが、䌝説の域を出ない。

     二里頭文化では、前2千幎玀前半、原始的な文字や青銅噚がもちいられ、殷に受け継がれたず考えられる。


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    5-2 地䞭海の文明


    KEYWORDS

    1:゚ヌゲ文明
    2:クレタ文明
    3:゚ノァンズ
    4:クノッ゜ス宮殿
    5:線文字A
    6:ミケヌネ文明

    ゚ヌゲ文明

     オリ゚ントに西接する地䞭海東郚で前3千幎玀から゚ゞプト、シリアずクレタ島や゚ヌゲ海沿岞結を結ぶ海䞊亀易がさかんになり、海掋性に富む青銅噚文明である1:゚ヌゲ文明が成立した。

     初期の文明はデロス島を䞭心ずするキクラデス諞島で生たれ、キクラデス文明ずよばれる。

     前2000幎頃にクレタ島を䞭心ずするクレタ文明、前1600幎頃に本土のミケヌネ文明が栄えた。

    クレタ文明

     前2000幎頃には、クレタ島を䞭心ずする2:クレタ文明ミノア文明ぞず発展した。

     この文明はミノタりロス䌝説に登堎するミノス王にちなんでミノス文明、たたはミノア文明ずもよばれる。

     担い手ずなった人々の民族系統は䞍明である。

     むングランドの考叀孊者3:゚ノァンズによっお発掘された遺跡4:クノッ゜ス宮殿には、海掋生物の壁画が芋られ、城壁はない。ミノタりロス䌝説に登堎する迷宮ラビュリントスラビリンスのモデルずされる。クレタ文明が海掋的な性栌を持ち、争いのない平和な文明だったこずがうかがえる。

     クレタ文明では5:線文字Aずよばれる文字がもちいられた。解読されおいない。

     クレタ文明は、火山の噎火など自然灜害によっおおずろえ、前14䞖玀前1400-1301に衰退、滅亡した。䞀説では、むンドペヌロッパ語系アカむア人が本土に築いた6:ミケヌネ文明によっお埁服されたずされるが、クレタ文明の衰退には耇数の芁因が考えられおおり、火山の噎火が䞻因ずする芋解もある。

    5-3 オリ゚ントにおける文明の新展開


    KEYWORDS


    1: テヌベ
    2: 䞭王囜
    3: アモンアメン
    4: オシリス
    5: 死者の曞
    6: パピルス
    7: ヒク゜ス
    8: アッカド人
    9: サルゎン1侖
    10: アッカド語
    11: 楔圢文字
    12: りルナンム王
    13: りル第䞉王朝
    14: りルナンム法兞
    15: アムル人
    16: ゚ラム人
    17: 叀アッシリア王囜
    18: 叀バビロニア王囜
    19: ハンムラビ法兞
    20: スサ
    21: 目には目を歯には歯を
    22: 同害埩讐の原則
    23: 身分


    ゚ゞプト䞭王囜


     ゚ゞプトでは、叀王囜がおずろえたのち、混乱期が぀づいたが、前21䞖玀前2100-2001になるず新たに䞊゚ゞプトの1:テヌベを郜ずする統䞀王朝がナむル流域を支配した。これを2:䞭王囜ずよぶ。

     䞭王囜では郜テヌベの郜垂神**3:アモンアメン**が信仰された。
    死埌の䞖界を぀かさどる4:オシリス信仰が盛んになり、死埌の䞖界ぞの案内曞である5:死者の曞が、パピルス草の繊維から䜜った䞀皮の玙6:パピルスに蚘され副葬された。

     䞭王囜が衰退した前17侖简1700−1601、民族系統䞍明の7:ヒク゜スが銬にひかせた二茪戊車をもちいアゞア方面から䟵入し䞋゚ゞプトナむル川デルタを埁服した。

    アッカド人の統䞀囜家


     地圢がひらけたメ゜ポタミアでは、シュメヌル人が築いた郜垂囜家の繁栄にひかれ、呚蟺のセム語系遊牧民による䟵入がしだいに激しくなった。前24䞖玀前2400−2301に、ティグリス・ナヌフラテス川䞭流域から䟵入したセム語系8:アッカド人は、9:サルゎン1䞖のもずでシュメヌル人の郜垂囜家矀を埁服、はじめおメ゜ポタミアを政治的に統䞀した。

     サルゎン1䞖は垞備軍をもち、メ゜ポタミアの郜垂囜家を平らげお、はじめお領域囜家を建蚭した。以埌圌らの䜿甚した10:アッカド語が、叀代オリ゚ントの共通語ずなったが、蚘録にはシュメヌル起源の11:楔圢文字が䜿われた。

    りル第䞉王朝


     アッカド王囜の衰退埌、再び郜垂囜家間の抗争がはげしくなった。前21䞖玀前2100−2001には再びシュメヌル人が勢力を䌞ばし、12:りルナンム王が13:りル第䞉王朝を建おメ゜ポタミアを再統䞀した。

     王は、珟存する䞖界最叀の法兞14:りルナンム法兞を発垃した。

     りル第䞉王朝は、野蛮ずみなしおいたセム系の遊牧民である15:アムル人を傭兵ずしお甚いた。

     りル第䞉王朝が16:゚ラム人の䟵入で滅亡するず、アムル人が自立し、メ゜ポタミアに郜垂囜家をたおた。

    叀バビロニア王囜

     前21䞖玀末にりル第䞉王朝が滅ぶず、アムル人が建おたむシン、ラルサなどの諞囜が芇暩を争った。前18䞖玀たで続いたこの時代をむシンラルサ時代ずいう。

     この他、バビロン、ティグリス川䞭䞊流域のアッシュヌル、ナヌフラテス川䞭䞊流域のマリなどが互いに抗争した。なかでもアッシュヌルのシャムシアダド䞖はアッシュヌルの勢力を倧きく広げた。これを17:叀アッシリア王囜ずいう。

     前18䞖玀前1800-1701に、アムル人の諞囜のうちバビロンの王ずなったハンムラビ王が、ラルサずマリを埁服し、アッカド地方ずシュメヌル地方を統䞀した。

     これを18:叀バビロニア王囜ずよび、これ以降、䞭流域のアッカドず䞋流域のシュメヌルを合わせたティグリスナヌフラテス䞭䞋流域今のむラク南郚をバビロニアず呌ぶ。

     王は、倪陜神シャマシュからメ゜ポタミアの統治暩を授かったこずを瀺すため、シャマシュが自らに王暩を授けた姿を刻たせ、碑文に刻んだ成文法兞19:ハンムラビ法兞を発垃した。

     碑文はアッカド語の条文を楔圢文字で蚘しおいる。フランスの調査隊が20:スサで発掘した。むランの先䜏民16:゚ラム人がバビロンを䟵略したさい、戊利品ずしお持ち去ったず掚定される。

     りルナンム法兞などを継承しおいるが、損害賠償の条文にかえお、「21:目には目を歯には歯を」ずいう句で知られる22:同害埩讐の原則 を採甚する。私的な埩讐自力救枈を抑止する狙いがある。

     たた、23:身分によっお刑眰に差があったが、民族や宗教による差別は芋られない。

     前16䞖玀、ヒッタむトのムルシリ䞖によりバビロンが陥萜し、バビロン第䞀王朝は滅んだ。そののち短呜な第二王朝に続いお、カッシヌト人がバビロン第䞉王朝をたおた。

    論題 

    問題


     叀バビロニア王囜で制定された刑法の特城を60字以内で述べよ。3点。ポむント加点ポむントが぀あり、それぞれで1点が加算される。䜕が加点ポむント化を予想し、䜜文しおみよう。

    解答䟋

     ハンムラビ法兞は、「目には目を、歯には歯を」の埩讐法の原則に立っおいたが、刑眰は被害者の身分によっお違っおいた。56字

    参考文献


    【䞖探704】詳説䞖界史 山川出版瀟


     
     
    䞖界史を教えおいるAKSのnoteです。新期県燕䞉条地域出身。高等孊校地歎科教員。修士(教育孊)。この倏歳になった小孊䞀幎生息子の父芪。自分らしさを倧切にしながら、子育おず仕事を䞡立しおいきたいず思いたす。

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