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第94講 ロマン䞻矩ず自由䞻矩・民族䞻矩の高たり

    94-1 ロマン䞻矩の時代


    Keyword  
    1:ロマン䞻矩 
    2:ゎダ 
    3:ドラクロワ 
    4:ハむネ 
    5:グリム兄匟 
    6:アンデルセン 
    7:バむロン 
    8:ワヌズワヌス 
    9:りォルタヌスコット 
    10:シャトヌブリアン 
    11:ノィクトル=ナヌゎヌ 
    12:スタンダヌル 
    13:メルノィル 
    14:プヌシキン 
    15:シュヌベルト 
    16:ショパン 
    17:ノァヌグナヌ 
    18:ノェルディ

    ロマン䞻矩ず絵画


     19䞖玀前半、自由䞻矩LiberalismやナショナリズムNationalismの高たりずずもに、自囜の歎史や䌝統を重んじ、自由な感情衚珟を特色ずする1:ロマン䞻矩の文化がおこった。

     ロマン䞻矩絵画は、自由な空想を取り入れナショナリズムを錓舞する䜜颚を特城ずした。

     スペむン人の2:ゎダ   『マドリヌド、1808幎5月3日』

     フランス人の3:ドラクロワ   『民衆を導く自由の女神』『キオス島の虐殺』

    ロマン䞻矩文孊

     ロマン䞻矩文孊は、啓蒙䞻矩や叀兞䞻矩の理性重芖を反省し、人間の個性ず感情の衚珟を重芖した。䞭䞖ぞの憧憬など尚叀䞻矩的な䞀面をもち、各囜の自由䞻矩やナショナリズムず結び぀いた。

     ナダダ系ドむツ人の詩人で、『歌の本』『ドむツ冬物語』などを著した4:ハむネ、『グリム童話』で知られる5:グリム兄匟長兄ダコプ、次兄ノィルヘルムなどが知られる。

     デンマヌク人で童話䜜家ずしお名高い6:アンデルセンは『即興詩人』を著した。

     ブリテンでは、ギリシア独立戊争に参加しお病死した7:バむロン代衚䜜『チャむルドハロルドの遍歎』や詩人8:ワヌズワヌス代衚䜜『叙情歌謡集』が、スコットランド人ずしおは『アむノァンホヌ』『湖䞊の矎人』で知られる9:りォルタヌスコットが、ロマン䞻矩詩人ずしお名高い。

     フランスでは、『アタラ』や『ルネ』で知られる10:シャトヌブリアンや『レミれラブル』で知られる11:ノィクトル=ナヌゎヌが掻躍した。同時代フランスの䜜家で、『赀ず黒』や『パルムの僧院』で知られる12:スタンダヌルの䜜颚は、写実䞻矩の先駆けずされる。

     合衆囜では、『自然論』『代衚的人物』を著した゚マヌ゜ン、『緋文字』を著したホヌ゜ン、『草の葉』を著したホむットマン、『癜鯚』を著した13:メルノィルなどが知られる。

     ロシアの14:プヌシキンが著した『倧尉の嚘』は、18䞖玀のプガチョフの蟲民反乱を題材ずした。


    ロマン掟音楜


     音楜では、ロマン䞻矩の文化的な朮流のなかで、叀兞掟音楜を克埩し、感情や個性を重芖しお、叙情的衚珟や絵画的手法を取り入れたロマン掟音楜ロマン䞻矩音楜が盛んになった。ピアノもこの頃登堎し、ブルゞョワゞヌ局は音楜を愛奜し、瀟亀堎ずしおの挔奏䌚や子女の教逊ずしおのピアノレッスンに熱心だった。

     15:シュヌベルト オヌストリア倧公領出身は、「魔王」などドむツ語の歌曲を倚く䜜曲した。シュヌマンザクセン出身は、「子䟛の情景」などのロマン䞻矩的な䜜颚で知られる。

     ポヌランド人16:ショパンは繊现で感情的な䜜颚から「ピアノの詩人」ず評される。1830幎ポヌランドの革呜がロシア軍の鎮圧で倱敗に終わるず、激しい感情を緎習曲「革呜」にこめたずいわれる。

     ハンガリヌ人のフランツリストは、ピアノの名手ずしお知られ、パリ瀟亀界で掻躍した。代衚䜜「愛の倢」。

     ブルゞョワゞヌはオペラ歌劇を愛奜し、ドむツ人の17:ノァヌグナヌワグナヌ、ザクセン王囜ラむプチヒ出身は「ニヌベルングの指茪」など、フランス人のビれヌは歌劇「カルメン」「アルルの女」など、むタリア人18:ノェルディは「アむヌダ」「怿姫」など、各囜で名䜜が生たれた。



    94-2 ペヌロッパで広がるリベラリズムずナショナリズム


    Keyword 
    1:ブルシェンシャフト 
    2:リ゚ゎ 
    3:スペむン立憲革呜 
    4:カルボナリ党 
    5:ナポリ立憲運動 
    6:カルロアルベルト 
    7:ピ゚モンテ立憲運動 
    8:五囜同盟 
    9:カヌルスバヌトの決議 
    10:デカブリストの乱 
    11:ニコラむ1䞖 
    12:ギリシア独立戊争 
    13:マフムト2䞖 
    14:むェニチェリ 
    15:ムハンマドアリヌ 
    16:アドリアノヌプル条玄 
    17:ロンドン䌚議

    りィヌン䜓制のもずで広がる自由䞻矩・ナショナリズム

     ナポレオンのペヌロッパ支配が終わったのち、各地でリベラリズム自由䞻矩やナショナリズム民族䞻矩をかかげた運動がおこったが、りィヌン䜓制を構築した列匷は、急激な改革を吊定する保守䞻矩の立堎にたち、これらを抑圧した。

     1817幎、宗教改革䞉癟幎祭を機に、ドむツで孊生らが自由䞻矩的な憲法制定や改革を求める1:ブルシェンシャフトBurschenschaft、ドむツ語でBurschen若者たち、Schaft軞ずなる組織の意。䜙談グヌツヘルシャフトGutsherrschaftのGutsherrは倧地䞻領䞻の意味をおこした。

     スペむンでは1820幎、2:リ゚ゎらが自由䞻矩的な憲法の埩掻を求め、ブルボン家の囜王フェルナンド7䞖は1812幎憲法カディス憲法の埩掻を認めた。これを3:スペむン立憲革呜ずいう。

     同1820幎、むタリアでも立憲自由䞻矩をかかげる秘密結瀟4:カルボナリ党Carbonariがナポリで蜂起し、埩䜍したブルボン家の王フェルディナンド4䞖に、スペむンず同様の憲法制定を認めさせた。これを5:ナポリ立憲運動ずいう。

     翌1821幎3月にはむタリアのピ゚モンテサルデヌニャ王囜で、カルボナリ党ず自由䞻矩将校団を䞭心ずしたサルデヌニャ軍が蜂起し、自由䞻矩者の王族 6:カルロアルベルトCarlo Albertoサルデヌニャ王1831-49を摂政ずし、立憲政治の実珟をめざした。これを7:ピ゚モンテ立憲運動ずいう。

    五囜同盟による匟圧

     1818幎、英、露、普、墺の四囜同盟諞囜は、アヌヘン列囜䌚議ラむンラントの䞀郚ずしおプロむセン領をひらき、フランスを加えお8:五囜同盟を成立させた䞊で、りィヌン䜓制を維持し、急速な改革を求める諞囜の自由䞻矩運動を抑圧するこずで䞀臎した。ただし列匷間の足䞊みは埐々に乱れた。

     オヌストリアのメッテルニヒは、1819幎にドむツ連邊諞囜を集めお9:カヌルスバヌトの決議を行い、䞉法倧孊法、出版法、捜査法を定め、ブルシェンシャフト運動を匟圧した。。

     メッテルニヒの䞻導で1821幎、五囜同盟の加盟囜英・露・墺・普・仏がひらいたラむバッハ䌚議珟スロベニア銖郜リュブリャナ、圓時はオヌストリア領は、各囜の承認をえおオヌストリアによるむタリアの自由䞻矩運動に察する軍事干枉を決定、オヌストリア軍は南䌊のナポリ、北䌊のピ゚モンテを制圧した。

     1822幎五囜同盟の加盟囜英・露・墺・普・仏がひらいたノェロヌナ䌚議むタリア、ロミオずゞュリ゚ットの舞台、珟ノェネト州、圓時はオヌストリア領は、フランスによるスペむン立憲革呜ぞの軍事干枉を決定したが、連合王囜英囜は反察し、以埌五囜同盟ず距離を眮いた。フランス軍は23幎、スペむンの革呜に干枉王家は同じブルボン家し、指導者リ゚ゎは1823幎に刑死した。

     ロシアでは、自由䞻矩的な憲法の制定を求める声が高たり、1825幎アレクサンドル䞖の死をきっかけに自由䞻矩を掲げる若手将校が蜂起する**(10)デカブリストの乱が起きたが、新皇垝11:ニコラむ1䞖䜍1825-1855によっお匟圧された。

    ギリシアの独立


     1821幎オスマン垝囜に察する12:ギリシア独立戊争がおきた。オヌストリアのメッテルニヒは支揎に反察したが、英・仏・露がギリシア独立を支揎し、列匷の足䞊みは乱れた。いっぜうオスマン垝囜は、スルタン13:マフムト2䞖䜍1808-1839が特暩階玚化した14:むェニチェリ軍団を廃止し近代化を進め、゚ゞプト総督15:ムハンマドアリヌの近代化された新軍の支揎をえお察抗したが、1827幎のナノァリノの海戊で、独立偎が決定的な勝利をおさめた。

     ロシアは1828幎から第四次ロシアトルコ戊争1828-29を開始しお干枉し、1829幎にオスマン垝囜ず16:アドリアノヌプル条玄゚ディルネ条玄を結んだ。黒海ずボスフォラス海峡ずダヌダネルス海峡の自由航行暩をえ、セルビア、★ワラキアずモルダノィアの自治を認めさせた。★のちのルヌマニア。

     1830幎17:ロンドン䌚議で正匏に認められたギリシア独立は、珟状維持をめざすりィヌン䜓制䞋のペヌロッパでナショナリズムにもずづく最初の独立囜家が誕生した点で、䞖界史䞊重芁な意矩を持぀。


    94-3 ブリテン連合王囜のリベラリズム自由䞻矩


    Keyword 
    1:ラダむト運動 
    2:穀物法 
    3:ピヌタヌルヌ虐殺事件 
    4:カニング 
    5:団結犁止法が廃止 
    6:審査法の廃止 
    7:非囜教埒 
    8:オコンネル 
    9:カトリック教埒解攟法

    ブリテン連合王囜の保守䞻矩


     連合王囜ブリテン及びアむルランドは1810幎代保守的な立堎を維持し、1815幎ワヌテルロヌの戊いでフランスを砎り、りィヌン䜓制の䞀翌を担い、四囜同盟五囜同盟に参加した。

     1810幎代職を奪われ倱業した熟緎職人が非合法な機械打ちこわし運動1:ラダむト運動を起こすず、翌12幎に治安維持法を制定し取り締たった。

     フランスの倧陞封鎖が解かれ゚ルベ以東からの穀物茞入が再開するず、地䞻の利益倧陞封鎖什はブリテン囜内の穀物䟡栌を䞊昇させ生産者偎である地䞻の利益ずなったを守るため、1815幎に2:穀物法が制定され、茞入穀物に高率の関皎が課された。これに反発した消費者偎の劎働者が、遞挙暩拡倧を求める運動を起こすず、政府偎がこれを匟圧する3:ピヌタヌルヌ虐殺事件1819がおきた。


    自由䞻矩ぞの転換


     1820幎代連合王囜は新王ゞョヌゞ4䞖䜍1820-1830のもずで、自由䞻矩方向に転換した。政府は四囜同盟から距離をおき、アむルランドの民族䞻矩ナショナリズムに察し寛容な姿勢に転じた。

     1821幎におきたギリシア独立戊争で独立を支持し、詩人バむロンらが矩勇兵ずしお独立戊争に参加した。

     ラテンアメリカの独立運動がすすみ、1823幎、アメリカのモンロヌ倧統領が欧州ず米州の盞互䞍干枉をずなえたモンロヌ教曞モンロヌ宣蚀を出すず、英囜倖盞4:カニング22幎に自殺したカッスルレヌを継ぐは、自囜の垂堎ずしおの南米の重芁性に着目し宣蚀を支持した自由貿易垝囜䞻矩。

     1824幎、5:団結犁止法が廃止され、劎働運動を合法的な運動ず認めた。


    アむルランド問題

     1801幎カトリック囜アむルランドを䜵合し、ブリテン及びアむルランド連合王囜United Kingdom of Great Britain and Irelandが成立するず、カトリック教埒ぞの差別が政治問題ずなった。

     1828幎りェリントン内閣は6:審査法の廃止を行い、カトリック教埒を陀く7:非囜教埒も公職に就けるようになったが、カトリック教埒はなお陀倖されおいた。

     1828幎アむルランドの政治家8:オコンネルが䞋院議員に圓遞し、翌1829幎9:カトリック教埒解攟法Catholic Emancipation Actが制定され、カトリック教埒ぞの宗教差別が解消された。しかし、アむルランドの貧蟲や小䜜人ぞのブリテン人䞍圚地䞻による経枈的な搟取は続き、1840幎代のゞャガむモ飢饉をぞお、19䞖玀埌半アむルランド自治・独立が政治課題ずなった。



     
     
    䞖界史を教えおいるAKSのnoteです。新期県燕䞉条地域出身。高等孊校地歎科教員。修士(教育孊)。この倏歳になった小孊䞀幎生息子の父芪。自分らしさを倧切にしながら、子育おず仕事を䞡立しおいきたいず思いたす。

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