メインコンテンツへスキップ
見出し画像

第97講 アメリカ大陸の国家形成

    97-1 リパブリカン党政権時代のアメリカ合衆国と南米諸国の独立


    第3代ジェファソン大統領の時代


     1791年に3ジェファソンが結成した1リパブリカン党(直訳は「共和党」だが、現在まで続く共和党と区別するため、日本語ではリパブリカン党とする場合が多い)は、反連邦派の流れをくみ、1801年から1829年まで28年間政権を担当、4人の大統領(第3代から6代)を出した。政党対立がなかったこの時代は「好感情の時代Era of Good Feelings」とよばれる。

     連邦派は2:ハミルトンが結成したフェデラリスト党(連邦党)に拠ったが、ハミルトンが決闘で敗れて死んだのち弱体化した。

     第3代3:ジェファソン大統領(任1801-09、二期)は、1803年に4:ミシシッピ以西のルイジアナをフランスの統領政府(第一統領ナポレオン)から購入し、西に領土を広げた 。

    第4代マディソン時代と米英戦争

     フランス革命戦争とナポレオン戦争前半を通じてアメリカ合衆国は中立を保ち、欧州大陸との貿易によって利益をえたが、ナポレオンの大陸封鎖令に対する連合王国(グレートブリテン及びアイルランド)の海上封鎖が行われると、合衆国は欧州大陸との自由貿易を求め、第4代大統領マディソン(任1809-17、二期)は、1812年に5:米英戦争をおこした。

     戦争では首都ワシントンが焼き討ちされたが、1814年のガン条約(ベルギー)で休戦が成立した。

     米英戦争による貿易の中断は、北部で綿工業の機械化など工業化がすすむ契機となった。

    第5代モンロー大統領時代

     第5代大統領モンロー(任1817-25、二期)の時代には、1819年にスペインから6:フロリダを購入し、領土は拡大を続けた。

     1820年には、ミズーリ州を奴隷州、メイン州を自由州として連邦に加入させたが、この際、ミズーリ州の南の境界線である北緯36度30分の延長線を将来の自由州と奴隷州の境界とすることを約した7:ミズーリ協定が成立した。

     1821年に、ロシアがアラスカを正式に領有したのを契機に、モンロー大統領は1823年、8:モンロー宣言(モンロー教書、モンロー=ドクトリン)をだし、欧州と新大陸の相互不干渉を主張し、長くアメリカ外交の指針となった。

    ラテンアメリカの独立


     ナポレオン戦争でスペイン本国とポルトガル本国が混乱すると、1810年代以降、ラテンアメリカでも、新国家の独立が相次いだ(環大西洋革命の一環)。

     9:シモン=ボリバルは、1919年にベネズエラを含む大コロンビア共和国、1825年にはボリビアの独立を実現した。この「大コロンビア」は1830年に解体し、コロンビア、エクアドル、ベネズエラに分裂した。ボリバルは1826年にパナマ会議を開き、アメリカ大陸の国々の連携をめざすパン=アメリカ主義を提唱した。

     1816年には、10:サン=マルティンがラプラタ連邦(アルゼンチン)の独立を宣言した。かれはこののち、南米大陸を時計回りにすすんでチリの独立(1818)とペルー(1821)の独立を実現した。

     ポルトガル領であったブラジルでは、1822年にポルトガル王ジョアン6世の王子がブラジル皇帝ペドロ1世(位1822-31)として即位し、11:ブラジル帝国として独立した。

     ウィーン体制を動揺させる南米独立運動に対しメッテルニヒは干渉しようとしたが、アメリカ合衆国の第7代大統領モンローが出したヨーロッパと新大陸の相互不干渉を主張する12:モンロー宣言を、南米への経済進出をねらう英国外相13:カニングが支持したため、失敗に終わった。

    97-2 アメリカ大陸諸国の独立が残した問題

    Keyword 
    1:クリオーリョ 
    2:プランター 
    3:アセンダード 
    4:メスティーソ 
    5:ムラート 
    6:アフリカ系とインディオの混血 
    7:カニング 
    8:ピューリタン 
    9:保護貿易

    アメリカ大陸諸国独立の担い手たち


     フランス領サン=ドマングが、1804年にアフリカ系住民主体のハイチ共和国として独立を達成したハイチ革命を除き、アメリカ大陸諸国独立の担い手は、英語圏ではクレオール、スペイン語圏では1クリオーリョとよばれた現地の白人層だった。総称してクレオール革命とよぶ。

     これら独立運動は、アメリカ合衆国の場合はブリテン王国本国議会の支配に対する現地白人クレオール層の独立運動、メキシコ以南のスペイン領の場合はスペイン本国出身の支配層ペニンスラール(半島出身者の意)に対する現地生まれの白人クリオーリョ層の独立運動という性格を持った。

     彼らの多くはアフリカ系奴隷を使役するプランテーションの所有者(2:プランター)や、インディオの小作農民を使役する大農場アシエンダの所有者(3:アセンダード)だった。アフリカ系住民が主体となったハイチ革命の場合を除き、現地のアフリカ系住民や先住民(北米ではインディアンないしネイティブ=アメリカン、中南米ではインディオ)の権利は無視された。

     白人が有色人種とあまり混血しなかった北米と異なり、混血が進んだ南米には、白人とインディオが混血した4:メスティーソ、白人とアフリカ系住民が混血した5:ムラートなど多様な人々がいた。かれらは小作人や鉱山労働者、農園労働者として大土地所有者(大地主)であるクリオーリョの支配下におかれていた。また、インディオやアフリカ系住民、6:アフリカ系とインディオの混血は最下層に位置づけられ、差別され迫害された。

    「近代世界システム」の周辺として

     1823年、アメリカ合衆国第5代大統領モンローが、新大陸と旧大陸の相互不干渉を求めるモンロー宣言を出すと、連合王国(ブリテン及びアイルランド)の外相7:カニングは歓迎した。対仏のナポレオン戦争(1803-1815)と対米の米英戦争(1812-14)に勝利し世界の商業覇権と大西洋の制海権とを握った連合王国は、米国南部諸州以南を自国の経済圏に取り込んだ。

     スペインの政治的な支配から独立した南米諸国は、連合王国への経済的な従属下におかれた。19世紀に連合王国が自由貿易を通じて各地を経済的に従属させたことを「自由貿易帝国主義」という。

     北米ではブリテン植民地、南米ではスペイン植民地時代の規制が撤廃され、経済上の自由主義が実現した結果、特にアメリカ合衆国南部諸州とメキシコ以南の旧スペイン、ポルトガル植民地では、白人の領主層(プランター、アセンダード)と、インディオの貧農やアフリカ系奴隷らの貧富の差がさらに拡大した。

    • (8北部諸州の工業化と「中核」への上昇)

    •  白人Whiteでイングランド出身Anglo-Saxonの新教徒Protestant(とくにイングランドのカルヴァン派新教徒8ピューリタン)であるWASPが商工業者や独立自営農民として移民の中心だった合衆国北部諸州は、米英戦争で連合王国との貿易が中断したのを機に工業化をすすめた。原料の輸入先と製品の輸出先を確保するた

    (「近代世界システム」の周辺として)1823年、アメリカ合衆国第5代大統領モンローが、新大陸と旧大陸の相互不干渉を求めるモンロー宣言を出すと、連合王国(グレートブリテン及びアイルランド)の外相7カニングは歓迎した。対仏のナポレオン戦争(1803-1815)と対米の米英戦争(1812-14)に勝利し世界の商業覇権と大西洋の制海権とを握った連合王国は、米国南部諸州以南を自国の経済圏に取り込んだ。

    • スペインの政治的な支配から独立した南米諸国は、連合王国への経済的な従属下におかれた。19世紀に連合王国が自由貿易を通じて各地を経済的に従属させたことを「自由貿易帝国主義」という。

    • 北米ではグレートブリテン植民地、南米ではスペイン植民地時代の規制が撤廃され、経済上の自由主義が実現した結果、特にアメリカ合衆国南部諸州とメキシコ以南の旧スペイン、ポルトガル植民地では、白人の領主層(プランター、アセンダード)と、インディオの貧農やアフリカ系奴隷らの貧富の差がさらに拡大した。

    北部諸州の工業化と「中核」への上昇



     WASP(白人Whiteでイングランド出身Anglo-Saxonの新教徒Protestant、とくにイングランドのカルヴァン派新教徒ピューリタン)が商工業者や独立自営農民として移民の中心だった合衆国北部諸州は、米英戦争で連合王国との貿易が中断したのを機に工業化を進めた。原料の輸入先と製品の輸出先を確保するため、北部諸州は9:保護貿易政策をとって連合王国に対抗した。


    97-3 1830年代以降のアメリカ大陸


    二大政党制の確立


     1824年ジョン=クウィンシー=アダムズが第6代大統領(任1825-29、一期、第2代アダムズの子)に当選した直後リパブリカン党は分裂、アダムズを支持する国民共和党(アダムズ派)と、ジャクソン率いる反アダムズ派の民主共和党(ジャクソン派)に分かれた。

     民主共和党は1828年1:民主党となり、現在に至る。当時は州権主義の立場から州の決定権を尊重し奴隷制を容認した。→現在は都市部を支持基盤とする穏健革新政党。当時と違うので注意。

     国民共和党は連邦派を受け継ぎ1834年2:ホイッグ党となった。中央集権を重視し、奴隷制に反対、1854年に3:共和党となり、現在にいたる。

    ジャクソニアン=デモクラシー

     1829年西部出身のジャクソン(任1829-37)が第七代大統領に就任した。初の西部出身大統領だった。

     彼は、政権交代にさいし高官をすべて入れ替える4:スポイルズ=システム(猟官制度)を導入した。

     彼の時代、一部の州で男子普通選挙が実現するなど自由主義的な動きが広がった。これを5:ジャクソニアン=デモクラシーという。

     いっぽう彼は6:インディアン強制移住法(1830)を制定し、先住民を7:保留地に強制移住させた。強制移住法にともない先住民が受けた悲惨な異動を8:涙の旅路という。1838年~39年のチェロキー族の移動で、4000人が病気と飢餓で命を落としたことさす言葉に由来。アメリカ合衆国の建国理念である自由や基本的人権は、先住民やアフリカ系奴隷には認められなかった。

     1836年メキシコから9:テキサスが独立、合衆国への加盟をめざした。*米墨戦争の原因となる。

     19世紀を通じ盛んに行われた西部開拓を総称して10:西漸運動という。この過程は白人入植者が先住民の生活圏を奪っていく過程でもあった。

     40年代西部開拓は神が合衆国の人々に与えた明白な天命だとする「11:マニフェスト=デスティニー(「明白な天命」の意)」が主張された。

    ポーク大統領時代

     1845年就任した第11代ポーク大統領(任1845-49、民主党)は同1845年に12:テキサス併合を強行、これを認めないメキシコとの間に1846年13:アメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争1846-48)がおこった。

     1848年、合衆国が勝利しテキサス併合を認めさせ、カリフォルニアとニューメキシコを譲らせた。

     1848年、14:カリフォルニアで金鉱が発見され、1849年に15:ゴールドラッシュがおこった。49年にカリフォルニアに移住した人々をフォーティーナイナーズ(49年組)とよぶ。カリフォルニアの金は、50年代から60年代欧米経済を潤し、「資本の時代」(ホブズボームの著書)と呼ばれる好景気を到来させた。

     1846年には連合王国と22:オレゴン条約を結び、北緯49度以南の23:オレゴンを領有し、連合王国領カナダ(1867年自治領となる)とアメリカ合衆国の境界を画定した。97-3 リベリア建国と北米大陸の国境の画定

    リベリアの建国


     19世紀初頭合衆国で設立された17:アメリカ植民協会は、アフリカ系解放奴隷を故郷アフリカへ帰還させる運動をおこした。

     1820年代アフリカ西岸に建てられたリベリア植民地は、1847年憲法を制定し18:リベリア共和国として独立、解放奴隷出身のジョセフ・ロバーツ(任1848-56)が初代大統領に就任した。首都モンロビアの名は植民開始時の第五代大統領モンローの名にちなむ。


     
     
    世界史を教えているAKSのnoteです。新潟県燕三条地域出身。高等学校地歴科教員。修士(教育学)。この夏7歳になった小学一年生息子の父親。自分らしさを大切にしながら、子育てと仕事を両立していきたいと思います。

    あなたへのおすすめ