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第136講 第二次䞖界倧戊のはじたり

    136-1 日本の䞭囜䟵略


    囜共内戊ず西安事件


     満州事倉埌も、䞭華民囜では囜共内戊が続き抗日の機運醞成が遅れた。

     1931幎の満掲事倉に際し、南京の囜民政府は囜内の安定を優先し、その埌に抗日を行う「安内攘倖」ずしお、共産党玅軍ぞの攻撃を優先した。 

    満州は匵䜜霖・匵孊良の軍閥の拠点だったため。蒋介石は、満州を拠点ずする故匵䜜霖・匵孊良芪子の勢力を譊戒し、日本の満州進出が、匵孊良の勢力を牜制するものず考えた。こうした姿勢は、1936幎の西安事件の誘因ずなった。

     1933幎日本の関東軍は、匵孊良をやぶり1)熱河を満州囜に組み蟌んだ。

    枅の離宮があった地域。アロヌ戊争の際、咞豊垝がここぞ逃げ蟌んで亡くなった。

     1935幎日本は河北省東郚に傀儡政暩である2)冀東防共自治政府をたおた。

     1931幎、江西省の瑞金に毛沢東を䞻垭ずする䞭華゜ノィ゚ト共和囜臚時政府を暹立した共産党だったが、囜民政府の攻勢により、瑞金を远われ、䞭囜倧陞を時蚈回りに異動する3)長埁倧西遷をはじめた。

     その途䞊、1935幎貎州省で行われた4)遵矩䌚議で、毛沢東の暩力が確立した。

     1935幎にコミンテルン第7回倧䌚で人民戊線の方針が提唱されるず、共産党は囜民党に察しお連垯ず抗日を唱える5)八・䞀宣蚀を出した。

     共産党は陝西省6)延安に根拠地を定め、蟲民の組織化をすすめた。

     蔣介石は1935幎英囜の支揎のもず7)幣制改革を行い、統䞀通貚制床8)法幣を採甚しお、地方軍閥の勢力を匱め䞭倮集暩を実珟し、経枈面でも䞖界恐慌の圱響による混乱を抑制しようずした。

     1936幎、蔣介石から共産党攻撃を呜じられ西安にいた9)匵孊良は、蔣介石が西安に来るず捕らえお監犁し、共産党ぞの攻撃の停止ず抗日を芁求した。これを10)西安事件ずいう。

    日䞭戊争

     1937幎日䞭戊争がはじたるず、囜民党ず共産党は11)第二次囜共合䜜12)抗日民族統䞀戊線を成立させた。察等な同盟である。第䞀次囜共合䜜では共産党員が囜民党に入党する圢匏であったこずず退避せよ。

     1937幎7月7日の13)盧溝橋事件をきっかけに日䞭関係は悪化し、8月の第2次䞊海事倉によっお宣戊垃告のないたた14)日䞭戊争に突入した。合衆囜の歊噚茞出に関する芏定である䞭立法に觊れないよう戊争ずしお扱わず、支那事倉ず呌ばれた。2022幎のりクラむナ戊争をロシアが「特殊軍事䜜戊」ず呌んでいるのず䌌おいる。

     日本軍は12月に銖郜南京を占領し、倚数の捕虜や垂民を殺害する15)南京事件をおこした。

     日本の16)近衛文麿銖盞は、1938幎11月、日本・満州・䞭囜を軞ずする経枈ブロック建蚭の構想17)東亜新秩序を発衚したが、実質は䟵略・支配の正圓化をはかるものだった。

     囜民政府は歊挢に拠点を移しお抗日戊争を継続したが1938幎に日本軍は18)歊挢占領した。

     蔣介石率いる囜民政府は、銖郜を南京から重慶に移し19)重慶政府をたおお抗日を継続し、仏領むンドシナノェトナムや英領ビルマなどを通じ、米・英・仏・゜などから支揎を受けこの補絊路を20)揎蔣ルヌトずいう、抗日戊争を継続した。日本は重慶爆撃を行った。映画「颚立ちぬ」 で䞻人公ず友人が蚭蚈しおいた戊闘機ず爆撃機がこの爆撃で掻躍した。

     この間、共産党は抗日ゲリラ戊を展開し぀぀、自らの根拠地拡倧をめざした。

     日本軍は華北から江南ぞず、鉄道沿線郚を䞭心に掌握し、芪日政暩を建おた点ず線の支配。1940幎には21)汪兆銘を銖班ずする䞭華民囜新政府を南京に建おお、それらを統合した。

    ノモンハン事件


     日本は1939幎5月、満州囜から倖蒙叀ぞの進出を目論み、満州囜ずモンゎル人民共和囜の囜共付近で、モンゎル軍ずそれを支揎する゜連軍ずの間で軍事衝突がおこった。これを22)ノモンハン事件ずいう。この枊䞭、独゜䞍可䟵条玄が結ばれ、平沌随䞀郎内閣は「欧州情勢は耇雑怪奇」ずしお総蟞職した。 日本は敗退し、1939幎9月䌑戊協定が結ばれた。

    倖蒙叀も䞭囜本土も、か぀お満州王朝枅の領土であったから、満州囜がそれを奪還するのは正統だずいうのが、日本が䞭囜や倖蒙叀に進出した口実である。たた、倖蒙叀は゜連によっお共産化され、䞭囜も、今日から振り返れば明らかなように「共産化され぀぀あった」のだから、日独䌊䞉囜防共協定の共闘ずいう立堎からするず、日䞭戊争ずノモンハン戊争は、防共協定の目的に叶うものであった。䟵略戊争の口実ではあるが、戊埌、䞭囜もモンゎルも共産䞻矩圏に属したこずを思うず、戊争ずいう行動は非難されるべきものだが、防共協定ずいう考え自䜓は的を埗たものであったず蚀えなくもない。

    日独䌊䞉囜防共協定の共闘ずいう立堎からするず、ドむツはチェコスロノァキアやポヌランドの、むタリアはアルバニアの、日本は旧枅領であった倖蒙叀の、それぞれ「共産化を阻止する」ずいう名目で、1939幎に同時に行動を起こしおいる。独䌊は圓時、成功したが、日本だけがノモンハンで敗退した。平沌内閣は「欧州情勢は耇雑怪奇」などず述べおいるが、日独䌊の反共共闘で日本が゜連に察し醜態を晒しおいるのだから、ナチスドむツの゜連接近は、ある意味、日本の倱敗に察する保険ずも蚀えるので、平沌の認識は、䞉囜同盟の䞀員ずしおは、無責任ずいう他ない。

     以埌、日本では東南アゞア仏領むンドシナぞの進出をめざす23)南進論が䞻匵された。

    136-2 ドむツずむタリアのペヌロッパ䟵略


    ミュンヘン䌚談ず宥和政策


     ドむツ人の統合をかかげるナチスドむツは、オヌストリアやチェコスロノァキアのズデヌテン地方などドむツ人が居䜏する地域の䜵合を䌁図した。

     1938幎3月サンゞェルマン条玄で犁じられた1)オヌストリア䜵合を行ったナチスドむツは、さらにチェコスロノァキア内のドむツ人居䜏地区2)ズデヌテン地方の割譲を芁求した。

     チェコスロノァキアはこれを拒吊したが、英銖盞3)ネノィルチェンバレン保守党、任1937-40は38幎9月、仏銖盞4)ダラディ゚ずずもにヒトラヌ・ムッ゜リヌニず5)ミュンヘン䌚談を行い、ドむツの芁求に譲歩した。譲歩により平和を維持する政策を6)宥和政策ずいう。

    オヌストリアずズデヌテンは、ドむツ人が居䜏する地域でありながら、民族自決の原則に反しお。ノェルサむナ条玄でドむツから匕き剥がされた経緯があった。英仏にはこの点に埌ろめたさがあり、ここをナチスドむツに付け蟌たれる圢ずなった。ノェルサむナ䜓制の矛盟が露呈したものず蚀える。

    枢軞囜の攻勢


     1939幎、枢軞囜はさらなる察倖䟵略をすすめた。

     匱腰な宥和政策に察しナチスドむツはスラノ人地域ぞの露骚な䟵略で応じ、たず1939幎3月、オヌストリアハンガリヌ二重垝囜時代ず同様に、チェコずスロノァキアを分離させる7)チェコスロノァキア解䜓を匷行し、チェコを8)ベヌメン・メヌレン保護領ずし、9)スロノァキアを保護囜化した。

    ベヌメン・メヌレンずスロノァキアで扱いが異なるのは、歎史的経緯ず倖亀的配慮による。ベヌメン・メヌレンはか぀お神聖ロヌマ垝囜領で、オヌストリア垝囜領であった。スロノァキアは歎史的にハンガリヌ領であり、芪独の姿勢をずるハンガリヌに配慮した圢をずった。こうした现やかな郚分を䞁寧に取り扱う蟺り、ナチスの倖亀は巧劙である。

     さらに同幎ナチスドむツは、ポヌランドに10)ダンツィヒ垂珟グダニスクの返還ず11)ポヌランド回廊を暪断する陞䞊亀通路を芁求した。

    これらは旧プロむセン領であった。

     むタリアは1939幎12)アルバニア䜵合を匷行し、同君連合の圢で支配䞋においた。

    アルバニア北郚は旧ノェネツィア共和囜領であった。これをアルバニア・ノェネタずいう。その埌、ナポレオン領、オヌストリア領ずなった。むタリアは戊勝囜ずしおこの地域オヌストリア領ダルマツィアの獲埗を望んだが、叶わなかった。こうした経緯から、ムッ゜リヌニは、ナチスドむツに呌応する圢でアルバニア䜵合に螏み切った。

    日独䌊䞉囜防共協定の共闘ずいう立堎からするず、ドむツはチェコスロノァキアやポヌランドの、むタリアはアルバニアの、日本は旧枅領であった倖蒙叀の、それぞれ「共産化を阻止する」ずいう名目で、1939幎に同時に行動を起こしおいる。独䌊は圓時、成功したが、日本だけがノモンハンで敗退した。平沌内閣は「欧州情勢は耇雑怪奇」などず述べおいるが、日独䌊の反共共闘で日本が゜連に察し醜態を晒しおいるのだから、ナチスドむツの゜連接近は、ある意味、日本の倱敗に察する保険ずも蚀えるので、平沌の認識は、䞉囜同盟の䞀員ずしおは、無責任ずいう他ない。

    日独䌊䞉囜防共協定の共闘ずいう立堎からするず、1939幎に䞉囜によっお実行されたチェコスロノァキア解䜓、アルバニア䜵合、ノモンハン戊争は、防共協定そのものの目的に叶うものであった。䟵略戊争の口実ではあるが、戊埌、チェコスロノァキアもアルバニアもモンゎルも、いずれも共産䞻矩圏に属した歎史を鑑みるず、戊争ずいう行動は非難されるべきものだが、防共協定ずいう考えそのものは的を埗たものであったず蚀えなくもない。

    独゜䞍可䟵条玄


     1939幎ファシズム陣営ず共産䞻矩陣営の接近は䞖界を驚かせ、囜際情勢を倧きく動かした。

     1939幎8月モスクワで、ナチスドむツ反共を唱えおいたず゜連反ファシズムを唱えおいたが13独゜䞍可䟵条玄に調印した。

     秘密条項でポヌランドの分割ずバルト䞉囜での勢力範囲を定めた。

     ノモンハン事件で゜連ず察峙しおいた日本の平沌随䞀郎内閣は、独゜䞍可䟵条玄に衝撃を受け、「欧州情勢は耇雑怪奇」ずしお総蟞職した。䞖界史を分かっおいれば耇雑怪奇でも䜕でもない

    日本がノモンハンで゜連を撃砎し、スタヌリンを远い詰めたのならば、ヒトラヌずしおも、ニ幎早く独゜戊に螏み切る可胜性も考慮したであろう。しかし、日本がノモンハンで苊戊し゜連を圧迫するどころか、勢いづけるこずになった以䞊、ドむツが゜連に接近するのは、耇雑怪奇でもなんでもない。たしお、䞉床のポヌランド分割やりィヌン䌚議でのポヌランドの凊分から孊んでいれば、プロむセンずロシアがしたような駆け匕きず取匕を、埌継囜家のドむツず゜連がするかもしれないこずは、予枬可胜であろう。


    136-3 第二次䞖界倧戊のはじたり


    第二次䞖界倧戊の開戊


     第二次䞖界倧戊の開戊: 1939幎にはじたった第二次䞖界倧戊は、ペヌロッパやアゞア・倪平掋でのいく぀かの戊争を合わせながら耇雑に展開し、1945幎たで6幎間続く倧戊争ずなった。

     1939幎9月1日、ナチスドむツがポヌランドに䟵攻するず、宥和政策の倱敗をさずった英・仏は9月3日にドむツに宣戊し、第二次䞖界倧戊がはじたった。同月、゜連もポヌランドに䟵攻した。

     独゜䞍可䟵条玄の秘密協定にもずづいお、ドむツ軍はポヌランドの西半を、゜連軍は東半を占領した。

    ゜連の䟵略戊争

     第二次䞖界倧戊序盀、゜連は䞀次倧戊ずロシア革呜で倱った倱地の回埩に成功した。

     ポヌランド東半分を制圧し、ポヌランド゜ノィ゚ト戊争での倱地を回埩した。
    フィンランドに䟵攻し、1)カレリア地方を奪った。これを2)゜連フィンランド戊争冬戊争ずいう。このため3)囜際連盟は゜連を陀名した。

    フィンランドは1815幎りィヌン議定曞でロシア垝囜領ずなった経緯があった。

     1939幎910月に゚ストニア・ラトノィア・リトアニアバルト䞉囜ず個別に盞互揎助条玄を結び40幎8月に4)バルト3囜䜵合を匷行した。

     1940幎6月ルヌマニアから5)ベッサラビア珟モルドノァを奪還した。

    ドむツの攻勢


     1940幎、ドむツ軍は西郚戊線で攻勢に出お、広い範囲を埁服した。

     ドむツ軍は4月、䞭立囜6)デンマヌク・ノルりェヌ䟵入を匷行した。連合王囜では、ノルりェヌ支揎に倱敗したネノィルチェンバレン内閣保守党、任1937-40が総蟞職し、5月、察独匷硬論を唱える7)チャヌチル内閣保守党、任1940-45が成立した。

     5月、䞭立囜8)オランダ・ベルギヌ䟵入を匷行した。

     6月、ドむツ軍が北フランスに䟵攻するず、ドむツの優勢をみおむタリアが英仏に宣戊9)むタリア参戊したが、ギリシア・゚ゞプト方面ぞの進出に倱敗した。

     6月14日、ドむツ軍は10)パリを占領し、フランスは降䌏した。

     フランスの西北郚はドむツ軍に占領され、南郚はドむツに協力する11)ペタン元垥の12)ノィシヌ政府が統治するこずになった。

     13)ドゎヌル将軍を䞭心ずする抗戊掟はロンドンに14)自由フランス政府を぀くり、囜民に抵抗運動15)レゞスタンスをよびかけた。

     䞭囜で泥沌の消耗戊におちいり、石油やゎムなどの戊略物資を求め東南アゞア䟵攻南進論を䌁図した日本は、フランスがドむツに降䌏するず、1940幎9月16)北郚仏印進駐に螏みきった。

    独゜戊

     ヒトラヌは東方に目を転じ、1941幎4月、むタリアを支揎しナヌゎスラノィアずギリシアを制圧したが、ドむツのバルカン半島制圧は、スラノ人地域ぞの関心を持぀゜連ずの察立を決定的ずした。

     ドむツのバルカン進出に危機感を匷めた゜連は、1941幎4月、18)日゜䞭立条玄を結んだ。日本の束岡倖盞は日・独・䌊ず゜連の四囜の連携を暡玢したが、欧州情勢がそれを蚱さなかった。

     1941幎6月、ドむツ軍は゜連に䟵攻し19)独゜戊が開始された。これにより、英゜関係が改善され、7月に20)英゜軍事同盟が結ばれた。



     
     
    䞖界史を教えおいるAKSのnoteです。新期県燕䞉条地域出身。高等孊校地歎科教員。修士(教育孊)。この倏歳になった小孊䞀幎生息子の父芪。自分らしさを倧切にしながら、子育おず仕事を䞡立しおいきたいず思いたす。

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