
「映え」が歴史を飲み込む|広島市被曝遺構巡り(2026.9/22午後)
大正屋呉服店(レストハウス)

平和記念公園の散策を続けます。
恥ずかしながら今回初めて知ったのですが…

レストハウス。
これも被曝遺構なんですね。
ただのレトロ調の土産物屋だと思ってた。
1階が土産物屋。
2階がカフェ。
3回が、模型とパネルで昔の平和記念公園
一帯を紹介する資料室になってます。

東からの眺め


この建物は元々[大正屋呉服店]が昭和4年
に建てた新築店舗でした。

しかし日中戦争が始まると、徐々に物資が不足しだし、従業員が出征して人手も減り、
営業が立ち行かず昭和18年末に廃業を余儀なくされました。
燃料会館
大正屋呉服店閉店後の昭和19年6月、この
建物は「広島県燃料配給統制組合」の本部に
なり、「燃料会館」と呼ばれました。
その1年2ヶ月後、原爆が投下され、

建物のガワだけ残して、1~3階の内部は
破壊し尽くされました。
地下は、ある程度爆風が弱まり、たまたま
地下に書類を取りに降りた職員1人だけが
助かりました。

現在、レストハウスになっているこの建物
は地下だけ原爆の破壊痕を残して保存して
います。

爆心地に近いからか地下でも凄まじい衝撃
だったようです。







燃料会館の唯一の生存者による貴重な証言です。
しかし…このレストハウスは、外見はただ
のレトロな土産物屋にしか見えません。
地下の遺構や3階の資料は、気まぐれで足
を運んだ人しか見ることはない。
高層ビル群と「映え・バズり至上主義」に埋もれる被曝遺構
このあたりでいいでしょう。
被曝遺構はまだまだあるのですが、残りは
後日に。
今回、被曝遺構をじっくり巡って思ったの
は、一目で"それ"と分かるのが[原爆ドーム]
しかない。

原爆ドーム以外は、意識的に探さなければ
見つからない。
住宅街の中、山の麓、ビルの足元、地下、
隠れてしまっている。

本川国民学校や袋町国民学校は新しい校舎
に建て替えられ、かつての被曝校舎は一部
を切り取って残すのみ。
まあ、学校や銀行とか公共施設は仕方ない
のかもしれない。


路地裏にある[爆心地]の説明。
ここで足を止める人は少ない。
平和記念公園にはたくさん人がいるのですが。
パッと見で「ヤバい!!😱」と思えるのが、原爆ドームだけ。
それ以外は、近くに寄ってじっくり観察したり、中に入って説明を読んだり、なんと
言うか、"勉強"が必要なのです。
現代人、少なくとも日本人は「パッと見た目」
が価値観の全て。
「映え」とか「バズり」でしか物事を見ない。
広島市が頑張ってる原爆の記憶を残す努力
は、現代日本人には半分も伝わらない。
その極地が「原爆地上説」とか「原爆ではなく大型毒ガス爆弾だ」とかいう陰謀論だ。
551188人も殺されてる原爆という歴史を、
金儲けのために歪曲できるほど現代日本人
は壊れている。

福屋百貨店。
見た目は全く分かりませんが、ここも被曝
遺構です。

ここも建物のガワだけ残して内部はぐちゃぐちゃになりました。
しかし大改修を重ねてデパートとして奇跡
の復活を遂げています。

福屋さんには悪いですが、全く別の場所に
新築してもらって、この建物は原爆ドーム
みたいに壊れた状態のまま保存処理をして[原爆ビル]として残したほうが、インパクト
をより遺せただろうか。
……そもそも、「戦争反対」とか「核兵器廃絶」
といった良識は、"映えない"。
令和はSNS社会。
刺激があらゆるモノを支配する世界。
「戦争反対」「核兵器廃絶」といった"常識"は、
令和においてはあまりに低刺激だ。
戦争は、大勢の人が死ぬ。
だからこそ、それを避けようという話より
「基地とミサイルがもっともっと必要だ!」
というアオリの方が強刺激で"映える"のだ。
現代の核兵器は、広島・長崎に使われた原爆
と比較にならない威力。
使用されたら、人類の存亡の危機だ。
だからこそ、「核兵器は無くすべき」よりも
「日本も持とうぜ」の方が強刺激で"バズる"
のだ。

太平洋戦争の終結が正式調印されたのが、
1945年9月2日。
なので2026年9月2日が、戦後80年と81年
の本当の境界です。
戦後81年目に、まだ入ったばかりですが…

この国は、この街は、これからさらに80年
続くのでしょうか………
広島編、完。