
走り書き 72 村上龍氏
巨人の監督に松井秀喜氏が就任。
ドラフト会議で横浜高校の織田投手を一位指名。
進路に影響はあるか。
作家の村上龍氏が亡くなった。直近のテレビ放送でもどこかしら具合がおもわしくはなさそうだった。同時代に当たり前にいると思っていた人がまた一人いなくなる。鳥山明も、宮崎駿も、村上春樹も、そして村上龍も、あっというまに過去になっていく。
昔からフィクション・小説は村上春樹、ノンフィクション・エッセイは村上龍が好きだった。69もブルーも読んだことはない。このあいだたまたま横浜の中央図書館に行って村上龍の本を読んでいた。
タイトルは”寂しい国の殺人”
14歳で殺人を犯した神戸の事件がベースになっていた。
政治や法律はダイレクトだが、宗教や音楽、映画や小説、あるいはスポーツ。それらは人間にどうしても宿る闇を中和してきた。しかしその少年には人を殺す以上のものを見つけられなかった。あるいは社会の側が提出できなかった。果たしていま社会はその闇を代替するものを提出できているか。
結局その本を借りることはなかった。どのエッセイでも(そして読んだことはないが、おそらく小説も)取り上げる題材は多様だが、テーマは一貫していた。
手元にある本の印象的な文章。
”いい意味でも悪い意味でも行動的な人間は絶対に小説など書かない。
小説というのは、ギリギリの、極度の怠け者に、神が最後に用意した救済的な仕事なのである。”
そしてこの後のエッセイで当時の最高レベルの投手だった江川卓について言及していく。
”オレが、同情はしても(巨人という球団は江川の何千倍何万倍も根性が悪い)、決して好きになれないのは、江川が天から与えられた才能を使いきらなかったからだ。
江川は、オレ達を感動させ、興奮させる力を神から授かっていたにもかかわらず、それを充分に使わなかった。
それは自殺と同じで、他人から元気や勇気を奪う。
罪なのである。
記録などどうでもいいのだ。通算五十勝でもいいから鮮明に印象を与えて欲しかった。
どんなにダーティであっても、どんなにわがままでも、才能をフルに使って勝負する男にはオレは拍手を送る。”
「江川」を「織田」に置き換えると今後どうなっていくだろうか。