メインコンテンツへスキップ
見出し画像

AI時代の創作メモ|異世界転生は飽きられているのか?日本人が「型」を愛する理由(#創作論 #Web小説 #異世界転生 #日本文化 #書籍化 #生成AI #画像生成AI)

    こんにちは。こんばんは。
    普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。

    最近、いろいろな創作や文化を見ていて思うのですが、
    日本人って「わかりやすい型」がかなり好きな傾向がある気がしています。

    昭和の時代劇
    平成のサスペンス劇場
    令和の異世界転生

    気づけばどれも“ある程度先が読める形”になっていて、それがむしろ心地いい。
    これって単なる流行というより、もう少し深い背景があるのではないかと思っていたところ、
    民俗学に詳しい方のお話がすごく腑に落ちました。

    その方は、仏教が日本に入ってきたときの変化を例に「日本人はわかりやすいものを好む」と話されていました。
    ここでいう“わかりやすさ”は、個人にとっての理解しやすさではなく、共同体で共有できるわかりやすさという意味です。

    たとえば仏教は、インドでは厳しい修行を経て悟りに至る宗教でしたが、日本では
    「念仏を唱えれば救われる」
    というように、かなりシンプルな形へと変化していきました。

    背景にはさまざまな要因がありますが、結果として“誰でも共有できる形”に近づいていったのは事実です。
    ここに、日本の文化的な特徴があるのかもしれません。

    複雑な理屈そのものよりも、
    生活の中で使えること、共有できること、安心できること。
    そういった要素が強く残りやすい。

    神仏習合のように、異なるものを受け入れながらも、最終的には「生活に馴染む形」に収束していく感覚です。

    この特徴は、そのまま物語にもつながっているように見えます。

    時代劇なら勧善懲悪。
    悪は分かりやすく山吹色の菓子を使い、最後はきちんと裁かれる。
    サスペンス劇場なら事件→観光地→崖(船越)→解決の流れがある。
    異世界転生なら、死→転生→チート→無双、という型がある。

    どれも「分かりやすい安心の流れ」がちゃんと用意されている。
    そしてその型があるからこそ、読者は安心して楽しめる。

    テンプレに対しては否定的な意見もありますが、
    そもそも日本人の文化的な志向として「わかりやすさ」が強いのであれば、
    異世界転生の流行も知的レベルの問題というより、
    文化的な親和性の問題
    として捉えた方がより自然な気がします。

    日本の創作は、ゼロからの自由というより「型の上でどこをずらすか」の文化なのかもしれません。

    まず安心できる構造があり、
    その上に個性が乗る。

    この構造において、令和の今もっとも適した題材の一つが異世界転生だったからこそ、ここまで広がったのではないか、とも思います。

    うまく言い切ることはできませんが、
    物語のテンプレ化は、日本人の気質とかなり地続きの現象なのではないかと感じています。

    “わかりやすい救い”を好む感覚が、そのまま“わかりやすい物語”の心地よさにつながっているような。

    だからこそ、王道の型に個性を乗せるという手法が、とても強いのだと思います。

    私は「新しい型」をつくれるような天才ではないので、
    王道の型にどう個性を乗せていくのか、そこをずっと考えています。

    すでにある安心できる流れの中で、どこに自分の痕跡を残すのか。
    たぶん、創作をしている多くの人が私と同じところに立っている気がします。

    型を壊すのではなく、型の中で少しだけズレを入れる。
    その小さな違和感や引っかかりの積み重ねが、「その人の作品」になっていくのかもしれません。

    そう考えると、テンプレートというものは、制限というより土台に近い存在なのかもしれないですね。

    だから私は、
    「異世界転生は飽きられたのか?」
    と聞かれると、少し違う気がしています。

    もちろん作品数が増えたことで新鮮味は薄れましたし、読者の目も厳しくなっています。

    でもそれは、
    「型そのものが嫌われた」
    というより、
    「同じ型の中で個性が見えにくくなった」
    という変化なのかもしれません。

    時代劇も、サスペンスも、長く愛されたのは型があったからです。
    異世界転生もまた、日本人が好む安心できる物語の器のひとつ。

    だから消えるというより、
    その中で何を描くのかが、これまで以上に問われる時代になっているのではないか。
    そんなことを考えています。

    あとがき:
    ネットでは何かと叩かれがちな「テンプレ」ですが、誰もが等しく救われるための形と思えば、今書いている一行にも優しさが灯る気がします。
    実を言うと私は、国境を超えて読まれるような強烈な物語や、誰も見たことのない斬新な発想を形にできるタイプではありません。だから「新しいものを書けない自分はダメなんじゃないか」そんな引け目を感じることがよくあります。
    でも、日本人が歴史的に「型」を求めてきた背景を知った時、その気質に寄り添う創作もまた、ひとつの正解なのかもしれないと前を向くことができたのですよね。

    ●創作がつらくなったら、うら表紙のnoteへ

    ●サクッと読める毎日note(日替わり猫ちゃん付き♡)

    ●中の人はこんな感じです

    ――――――――――――
    最後までありがとうございました!
    この記事を気に入っていただけたら、
    スキやフォローをいただけると嬉しいです。
    また明日の投稿でお会いしましょう。
    ――――――――――――

    ◇  ◇  ◇

    ── 創作純喫茶「ミケ」のドアを開ける。

    カランコロン

    画像
    創作純喫茶ミケの看板娘“みっちゃん”

    また明日。うら表紙のnoteで✨

     
     
    書籍化作家で、マーケター歴20年。 なのに中身はだいぶ繊細気質。 創作の裏側や、読まれる仕組み、時々ちょっと人生の話。 うまく言えない感情を、言葉にしていく場所です。

    あなたへのおすすめ