
AI時代の創作メモ|AIより上手く書かなくていい。これからの創作で価値になる「交換不可能性」の話(#創作論 #Web小説 #小説家になろう #カクヨム #note #文章術 #書籍化 #生成AI #画像生成AI)
こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。
先週、公募にAI作品が殺到しているというお話をしたのですが、
今、文章の世界はかつてない速度で「コモディティ化(一般化・均質化)」しているのを感じています。
一昔前までは、「美しい文章が書ける」というだけでも、それはひとつの確かな価値になっていました。
けれど、AIが当たり前になった今の社会では、その価値は急速に下がってきているように思います。
それはなぜか。
「美しい文章が交換可能」になってしまったからです。
本来、価値の源泉って「交換不可能性」にあると思うのです。
「美しい文章を書ける能力」が、他の誰かとは交換しにくい固有の価値だったからこそ、その技術に意味が宿っていました。
ところが、AIはその能力をあっという間にすべての人に配ってしまいました。
そうなると、「美しい文章を書ける技術」そのものの価値って、どうしても薄らいでしまいますよね。
たとえば、ドラッグストアに並んでいる「ボディソープ」を思い浮かべてみてください。
一昔前なら、「レモン石鹼」や「牛乳石鹸」といったものしかなく、「綺麗に洗える」に価値が集中していました。
でも今はどうでしょうか。ドラッグストアに行けば、棚一面に数え切れないほどのボディソープが並んでいます。
そして、どれを買っても泡立ちは最高で、肌はしっとりするし、いい香りがしますよね。
どの商品も驚くほど高品質になった結果、私たちは売り場に立っても「絶対にこのメーカーじゃないとダメだ」とはあまり考えなくなりました。
「今日はこっちが少し安いから、これでいいや」と、強いこだわりを持たずに手近なものをカゴに入れたりしていませんか?
全体の品質が底上げされた結果、どれを選んでも失敗しなくなり、他の商品とあっさり「交換可能」になってしまった。
そして、これと同じようなことが「創作」の領域でも起こりつつあるような気がしています。
AIが綺麗な文章を一瞬で作れるようになったように、物語もまた、似たような作品が大量に生まれています。
どこかで読めるような展開に、代わりが利く表現。
特にWeb小説は「ジャンル消費」と言われるように、読者さんが同じジャンルの作品を好んでいくつも読むので、物語のコモディティ化はますます「どれでもいい」という状態を作り出してしまいます。
そうなると、作品は情報を伝える“記号”としては機能しても、心を大きく動かす“体験”としての価値は、どうしても生み出しにくくなってしまうのかな、と思うのです。
芸術や創作の価値って、やっぱり「交換不可能性」ですよね。
「これはこれでしかあり得ない」という、その一点に宿るもの。
だからこそ、これからの創作は、流行りのジャンルの中にあったとしてもコモディティ化されない、自分だけの一点物の表現にこそ宿っていくのだと感じています。
あとがき:
先日、ある記事でnoteにも「シャドウバン」があることを知り、大変驚きました。まだまだ知らないことは多いものですね。シャドウバンの原因とされるものとして、挙げられていた例の中に、ドキリとするものがありました。それが「タグ」と「外部リンク」です。私はそれがダメなことと知らずにタグは多めでしたし、データのソース元としてリンクを示すことも配慮だと思って結構多用してきました。どこの界隈も、ルールを知ることからはじめないと、善意が自分の首を絞めるということが起こってしまうということですよね。気をつけようと思います。
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