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「基本ができていない」と言われる創作ほど、実は読者に選ばれている|書籍化ログ(#創作論 #Web小説 #小説家になろう #カクヨム #エッセイ #文章術)

    こんにちは。こんばんは。
    普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。

    私は昔から、世の中の「正しい」とされることに、何とも言えない息苦しさを感じて生きてきました。

    だから、「それは正しくない」と断じて、問答無用で切り捨てるような論調を見ると、ツンと、心に涙が出る前のような、何とも言えない痛みが走るのです。

    そして、

    「自分も『正しくない』と断じられるのではないか」
    「実は笑われているのではないか」
    「自分の知らないルールが、他にも存在するのではないか」

    そんなふうに考えてしまって、前に進めなくなる。
    私は、そういうことを何度も経験してきました。

    自信がある人は、そもそもこんなことで悩まないのかもしれません。

    でも、自分が歩いている方向に自信が持てないときは、どんな些細なことでも気になってしまうものだと思います。

    だからなのかもしれません。
    先日、Xで散見される「文章の表記ルール」に対して、私自身の経験を書いたところ、ありがたいことに、たくさんの方に読んでいただきました。

    その結果を見て、私は思ったのです。
    「あぁ、こういうことを気にしていたのは、自分だけではなかったんだ」

    今回は、そんな経験をきっかけに、創作界隈で語られている「ルール」というものについて、考えてみました。

    ●「基本ができていない」と言われる文章

    SNSの創作界隈を覗いていると、文章の「型」や「表記ルール」について、さまざまな意見を目にします。

    たとえば、

    ・行頭は一字下げする
    ・「!」や「?」のあとは一文字分の空白をあける
    ・「…」や「―」は二つセットで使う
    ・「」の最後の文に「。」は入れない
    ・セリフ内の改行はNG
    ・「⁉」は半角表記にする など

    もちろん、これ以外にもいろいろあります。

    そして、こうしたルールが守られていない文章に対して、
    「基本ができていない」
    と断じるような意見も見かけます。

    最近では、登場人物が同時に同じ言葉を発したときに、

    「「了解」」

    と二重に「」を使う表現や、主人公の心の声を「()で表す」ことに対して、
    「小説じゃない」という声も見かけます。

    そういった主張を読むと、「二重に括弧を使うのではなく、“同時に声を発した”と、文章で示すのが小説である。」という理由がよくセットになっていたりします。
    他には、「その方法は、小説ではなくて漫画の表現技法です。」という言い方をしている声もありました。

    そのような声が上がっている中で、勇気をもって表明しますと、私はこの手の表現をものすごくよく使います。

    たとえば、

    「「「はぁぁぁ!?!?」」」

    こんな感じで。

    理由は単純です。

    「みんなが一斉に声を上げて驚いた」
    と書くよりも、勢いとテンションが伝わるからです。

    ちなみに、書いている通り、「!?」も半角ではありません。

    なぜなら、そのほうが勢いもインパクトも、視覚的に伝わるから。

    たとえば、正規の表記ルール通りに書くなら、

    「はぁぁぁ⁉⁉」
    みんなが一斉に声を上げて驚いた。

    となるのですが、私の中では、その表記だと勢いやその場の空気感や温度感、ライブ感みたいなものがコンパクトに詰まってしまったように感じるのです。

    そして私は、Web小説を書くうえで、こうした「伝わり方」をかなり大切にしています。

    ●紙の読みやすさと、Webの読みやすさは違う

    以前の記事でも書きましたが、私は「元・読み専」です。

    だから、自分が書くときも、
    「書き手としてどう書くべきか」
    というよりも、

    「読者さんはこれをどう読むだろう?」
    という視点がひとつの指標になっています。

    だから、webに投稿する時は、読まれる環境を想像するんです。

    紙の本なら、手に取って、ページをめくりながら、腰を落ち着けて読む。
    一方、Web小説はスマホを片手に、上から下へスクロールしながら読む。

    同じ「小説」でも、読みやすさの答えが違っていても不思議ではありません。

    毎日、スマホで読むことを前提としたWeb小説なら、書籍の表記ルールに厳密に則ることよりも、スルスルと流れるように読めることや、文章を見ただけで状況が伝わるライブ感のほうが大切な場合もあると思うのです。

    書籍や文学小説など、腰を落ち着けて読むタイプの小説では、登場人物の気持ちを状況に仮託したり、情景を丁寧に描いたり、読者さんの感受性を刺激するような状況説明が、「読書」という深い満足感につながります。

    しかし、読んでいるだけでアニメや漫画のような映像が頭に浮かぶことを楽しむWeb小説では、読者さんが文章を読みながら深く考えることそのものが、場合によっては負荷になってしまう。

    だから、

    「「」」

    や、

    「()」

    といった表現も、毎日単発で消費されるWeb小説ならではの表現技法といってもいいのではないかと思っています。

    もちろん、これは私個人の考えです。
    すべてのWeb小説に当てはまるわけではありませんし、公募作品となればまた話は別です。

    でも、大切なのは、
    「どのルールが正しいのか?」
    ではなく、

    「自分の作品を読む読者さんにとって、どういう表記が読みやすいのか?」
    と考えてみることなのだと思います。

    だから私は、Web小説を書くときの表記ルールを「絶対に守らなければならない掟」とは考えていません。
    読みやすさを考えた結果、自分の作品に合っていると思う方法を選んでいます。

    ●手段が目的になったとき、ルールは創作を苦しくする

    もし今、

    「書き方に自信がない」
    「表記ルールを知らない自分は、基本ができていないのでは?」

    と不安に感じている人がいたら、私は堂々と言いたいです。

    安心してください。そのルール、いりませんよ!

    ……もちろん、本当に全部のルールが不要だと言いたいわけではありません。

    表記ルールそのものには、ちゃんと意味があります。
    もともとは、文章を読みやすくしたり、誤読を防いだりするために積み重ねられてきたものです。

    問題なのは、それがいつの間にか、
    「守らなければならないもの」
    そのものになってしまうことです。

    私の好きな作家さんの作品が、去年、書籍化されたのですが、その作家さんも、何もかも無視して書いていました(笑)。

    無視していた範囲も、表記ルールどころではありません。
    それまで一般的には表現として使われていなかったようなことまで、言葉にしていました。

    でも、その作品は読者さんに届き、書籍になった。

    私自身も、表記ルールをかなり無視してWeb小説を書いてきましたが、ありがたいことに書籍化することもできました。

    だから、
    「表記ルールを完璧に守らなければ書籍化できない」
    ということではないと思っています。

    そもそも、Web小説が書籍化される場合、ほとんどはWeb原稿がそのまま紙の本になるわけではありません。

    書籍化の際には編集者さんや校正さんなど、プロの方が入ります。
    紙の本に適した表記に合わせて、必要な修正も行われます。

    だから、
    「今の書き方が、書籍化するときに通用しなかったらどうしよう」
    と、必要以上に心配しなくてもいいと思うのです。

    それよりも、
    「今、この場所で読んでくれている人にとって、一番読みやすい文章は何だろう?」
    と考えてみる。
    そのほうが、Web小説を書くうえでは大切なことだと思います。

    そもそも、世の中には、手段がいつの間にか目的になってしまっているということがよくあります。

    会社でも、会議を円滑に進めるためにつくられたはずのルールが、いつの間にか「ルールを守ること」のほうが大切な会議になっていたり、ミスを減らすために作られたはずの書類なのに、いつの間にか「書類を作ること」そのものが目的になっていたり。

    そうして、本来の目的から離れた不毛な業務が、どんどん増えていく。
    そして、それを行う人はただ疲れるばかりで、時間と生産性が失われていく。

    創作でも、同じことが起こるのではないでしょうか。

    本来、表記ルールは「読者さんに読みやすく届けるための手段」のはずです。

    それなのに、
    「このルールを守っているか」
    が作品そのものより重要になってしまったら、読者さんに届くわけがない。
    私はそう思うのです。

    ●「小説はプロットから書く」が、苦しくなることもある

    そして、これは表記ルールだけの話ではありません。

    「プロット」に関するルールも、SNSではよく見かけます。

    ・小説はプロットから書く
    ・プロットはこう作る
    ・プロットを作るのが基本

    この「小説の基本はプロット」という話も、私にはグサリと刺さるものがあります。
    なぜなら、私はプロットを作ったことがないからです。

    私は、読者さんの反応を見ながら次の展開を決めたり、最初に考えていた展開を途中でカットしたりすることが多いので、そもそもプロットを作っても、その通りに進まないのです。

    もちろん、プロットを否定しているわけではありません。
    物語を破綻なく構成するために、プロットはとても有効な手段だと思います。

    でも、
    「プロットを作れないなら小説を書いてはいけない」
    という話になると、それは違うと思うのです。

    私と同じ列に並べてお名前を出すことは非常に憚られるのですが、『イクサガミ』の原作者でいらっしゃる今村翔吾先生も、プロットは立てたことがないとおっしゃっていました。

    プロットがあったほうが書きやすい人もいる。
    逆に、プロットがあると書きにくい人もいる。

    大切なのは、
    「自分にとって、その方法が作品を良くするために機能しているか」

    ではないでしょうか。

    表記ルールも、プロットも同じです。
    それが自分の創作を助けてくれるなら使えばいい。

    でも、それが「こうしなければならない」という枷になっているのなら、無視したっていい。
    一番大切なのは、「ルールを守ること」ではなく、「物語を書くこと」なのですから。

    ●ルールは「手順」ではなく、自分の作品を良くするためにある

    私は、創作は「成果主義」であって、「手順主義」ではないと思っています。

    ここでいう成果とは、売上やPVだけの話ではありません。

    自分が伝えたいものを伝えられた。
    読者さんに楽しんでもらえた。
    自分自身が納得できる作品になった。

    そうした「作品としての目的」を達成できるのであれば、そのために使う手段は人それぞれでいい。

    媒体が変われば、求められる読みやすさも変わります。
    読者さんが変われば、伝わりやすい表現も変わります。
    作品が変われば、適した書き方も変わります。

    だから、
    「こうしなければならない」というルールを見つけて、
    それが息苦しく感じた時は一度、

    「これは誰の、何のためのルールなんだろう?」
    と考えてみてもいいと思うのです。

    もしそのルールを守ることで作品の質が下がってしまったり、書く手が止まってしまったりするのなら、私は、捨てていいと思います。

    「ねばならない」というルールが、自由を奪っているのだとしたら、捨ててください。

    ルールを守ることが努力ではありません。
    他人にルールを強要することが、アドバイスなわけでもありません。

    読者さんに作品を届けるために試行錯誤すること。
    自分の作品が一番良くなる方法を探し続けること。

    それこそが、書き手に求められる本当の意味での努力なのだと思います。

    正しさに萎縮して、書く手が止まってしまうのは、とてももったいないことです。

    もし今、

    「こんな書き方をしたら笑われるかもしれない」
    「こんな方法では小説とは呼べないのかもしれない」
    「基本を知らない自分には、書く資格がないのかもしれない」

    そんなふうに思っている人がいるのなら、

    「大丈夫です。」と、私は言いたいです。
    誰かの「正解」が、あなたの作品にとっての正解とは限りません。

    何にも縛られずに、自由に、楽しく、一緒に書いていきましょう。
    本来は、それが「創作」なのですから。


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    ●サクッと読める毎日note(日替わり猫ちゃん付き♡)

    ●中の人はこんな感じです

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    書籍化作家で、マーケター歴20年。 なのに中身はだいぶ繊細気質。 創作の裏側や、読まれる仕組み、時々ちょっと人生の話。 うまく言えない感情を、言葉にしていく場所です。

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