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AIが「いい文章」を作れる時代ほど、「自分で書ける人」が強くなる|書籍化ログ(#創作論 #Web小説 #note #エッセイ#文章術 #生成AI)

    こんにちは。こんばんは。
    普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。

    一昔前、「文章」は選ばれた人だけが発表するものでした。
    その頃の人たちにはきっと今の「誰でも文章を発表できる世界」は想像もつかなかったことでしょう。

    特にここ、noteのような場所は、当時の人が見たら「信じられない」というような光景が広がっているのではないでしょうか。

    なぜかと言うと、ここにはプロの文章から無名の文章、みんなに読まれている文章、商売人の文章、本当に多くの文章が並んでいます。

    ●「無名」の文章に価値が生まれている

    noteにいて、特に面白いと思うのが、「無名」の文章に価値が生まれているというところです。
    それを思うと、「有名でなければならない」なんてことは、結構どうでもいいことなんだなぁと。

    考えてみれば、どんな有名人も最初は無名なわけですよね。

    無名なところから価値をつくって有名になる。
    そういう順路だったはずなんです。

    けれど、それすらもここでは不要というのがすごいんです。

    無名な人がずっと支持されている。
    むしろ、無名だからずっと支持されているのかもしれません。

    ●自由に書くを楽しめるのは一部だけ

    有名になるというのは社会的な縛りもセットになります。
    そうなると、なかなか自由なことは書けなくなってしまう。

    ほんのちょろっとだけ縛りのある私ですら書けないこともあるくらいです。
    そう考えると、有名人がどれほど発信に縛りがあるのかは想像もつきません。

    だからこそ、「無名のうちに自由に書く」をたくさん楽しんだ方がいいと思っています。

    以前、「努力するなら“場所を選ぶこと”が大切」という記事を書いたことがあるのですが、「文字」についても同じことが言えると思います。

    AIが文章を作成している時点で、「読まれる型」とか「プレップ法」だとか、「冒頭が勝負」とか、そういうのはもうどうでもいい世界線です。

    さらに、SNSで文章は短文化され、ショート動画やYouTube、テレビのテロップが当たり前になっている現代において、「美文」は限られた人だけの限られた趣向になっていきます。

    いえ、もうなっているのかもしれません。

    ●「美文」を追求することも、もちろん自由

    読む人が限られている「美文」にこだわるのか、テレビのテロップくらい簡単でわかりやすい文章を書くのか。
    読まれるための努力をするならどちらが最短なのか。

    でもこれも、主語が「読まれるため」ということでなければ、どこまででも「美文」を追求してもいいと思うんです。
    「読める人が読める文章」というのもすごくかっこいいですしね。

    これも「読む人を選んでいる」時点で、「場所を選ぶ」ことと同じだと思います。

    ●私は「自由に書く」ができていない

    無名なうちは、有名人のように社会的な縛りもありません。
    だから本来、戦う場所も、書く内容も、「自由」なはずなんです。

    それなのに、

    「自由に書く」

    これを本当に実践できている人ってどれくらいいるのでしょうか?

    少なくとも私は、「自由に書く」を本当の意味でできてはいないと思います。
    私はnoteを投稿する前にGeminiに下読みをさせるのですが、投稿を止められることがよくあります。

    先日止められたのはとある記事のあとがきにする予定だった文章です。
    Geminiから「これはあなたのイメージが悪くなります」と言われて投稿する勇気がなくなり、差し替えをしました。

    内容は書きませんが、下ネタです(笑)
    私、笑いのツボが小三男子のまま止まっているんです。
    それで、察してください。

    ●書いている時は、あんなに楽しかったのに

    書いている時はノリノリで本当に楽しくて、それを誰かに読ませたくてたまりませんでした。

    けれど、結局、自分のイメージを気にして取り下げてしまいました。
    noteを書いている人って、私と同じで結構そういうところを気にしている人も多いのではないでしょうか。

    でもその「気にする」ということ自体が、ある意味、下心ですよね。

    「もっと読まれたい」
    「いい人と思われたい」
    「幻滅されたくない」
    「嫌われたくない」

    そういう自分の自意識が邪魔をして自由に書けなくなってしまう。
    私もそうです。

    汚せなくなるんですよね、他者から見た自分を。

    ●「体験」さえ、AIによって整えられる

    でも多分、これからは私みたいに自意識を守る人の方が淘汰されていくのだと感じています。

    なぜなら、AIによって「読みやすい文章」「いい文章」が氾濫するからです。

    「体験に価値がある」
    「一次情報はAIより強い」

    そんな風にも言われていますが、その体験や一次情報すらAIに読みやすく出力してもらった文章で溢れるからです。
    さっきも書いたように、私のGeminiは下ネタを却下しました。

    きっとどのAIも、ご主人様のイメージを守るための包装紙のような文章を書くでしょう。

    ●これから選ばれるのは「雑味」と「自由」

    そんな世界の中でなら、絶対に自分で自由に書いた方がいい、そんな風に思います。
    綺麗な包装紙で包まれた無難な文章ばかりが並ぶ市場では、雑な人間味の方が絶対に目立つと思うからです。

    今のところ、私はGeminiの鉄壁のイメージ戦略の前に惨敗し続けているので、大口を叩ける立場ではないのですけれども……。
    さらにそんな自分を棚に上げて強い意志で話を進めます!!

    前述したように「自由に書く」は、今のところ「無名」にしかできません。

    「美しい文章」
    「整えられた体験談」
    「生々しいけれど誠実さを感じる過去の告白」

    それらは人の心を打つかもしれないけれど、きっとこれからますます溢れかえります。

    それなら誰かに嫌われてしまうかもしれないけれど、自由に書いた文章の方が結果的に選ばれるようになるのではないかと感じています。

    ●AI時代だからこそ、文章を学ぶ

    「AI時代に文章の勉強とか情弱(笑)」
    「パーソナルAI作れば済む話じゃん」

    こういう声も聞こえてきます。
    けれど、先ほど挙げたように、ご主人様に対してナチュラルに忖度してしまうAIに、本当の意味で自由な文章は書けるのでしょうか?

    ひとつ、面白い例があります。

    「今からプログラミングの勉強するとかアホ」
    少し前までこう言われていたのですが、

    今では
    「AIがあるからこそプログラミングを理解している人が強い」
    と言われるようになりました。

    なぜかと言うと、
    AIの出力を検分し、ディレクションする能力が人間側に求められたからです。

    私は文章もこの例と同じだと思っています。

    今だからこそ、地の文を磨くことに価値がある。
    そして、それが自由な文章を書くという切符になる。

    私はそう信じて、これからも精進していきたいと思っています。

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    ●中の人はこんな感じです

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    また明日の投稿でお会いしましょう。
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    書籍化作家で、マーケター歴20年。 なのに中身はだいぶ繊細気質。 創作の裏側や、読まれる仕組み、時々ちょっと人生の話。 うまく言えない感情を、言葉にしていく場所です。

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