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AIが来たら、人は農業に戻るのか

    成果を追ってきた人間が、対極に目を留めた話

    自動車メーカーで23年、生産技術エンジニアとして働いてきました。QCD、原価低減、サプライチェーン最適化——そういう言葉が飛び交う世界で、ずっと「効率」と「成果」を追いかけてきました。

    あるとき、ふと立ち止まりました。

    効率の世界の外に、見落としてきたものはないだろうか。

    そう問い直したとき、不思議なことに、自分が長く生きてきた世界とは「まったく真逆のもの」に目が向き始めました。自然と共に何かを育てること、土に触れること、季節の変化を体で感じること——測れないもの、効率では捉えにくいもの。

    おそらく、これはただの好奇心なのだと思っています。食料安全保障や節税といった大きな動機ではなく、製造業で長く生きた人間が、その対極にあるものを少しだけ覗いてみたくなった——たぶん、そういうことではないでしょうか。


    AIが崩した「知識の壁」

    インターネットが登場したとき、情報は民主化されました。専門家だけが持っていた情報が、誰でもアクセスできるようになりました。

    今、AIによって次の段階が起き始めています。それが知識の民主化です。

    情報を持つことと、知識を使えることは違います。医療情報はネットで調べられても、診断はできませんでした。設計の知識はあっても、エンジニアリングの判断はできませんでした。

    しかしAIは、その壁を壊しました。専門的な判断の補助、複雑な情報の統合、知識の応用——かつては専門家にしかできなかったことが、AIとの協働で誰でもできるようになっていきます。

    そしてその先に見えてくるのは、「行動の民主化」ではないかと思っています。情報を持ち、知識を使えるだけでなく、自分の判断で動き出せる——専門家を介さなくても踏み出せる時代が、近づいているように感じます。

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    これは単なる便利さの話ではないように感じます。社会の構造が変わる話ではないかと思っています。


    産業革命以来の「分業」の前提が崩れる

    なぜ現代人の多くが農業をやっていないのか。

    答えは単純で、分業が社会の最適解だったからではないでしょうか。

    知識は習得に時間がかかります。だから一人の人間が農業も医療も工業も担うより、それぞれが専門化して交換しあう方が、社会全体として豊かになります。産業革命以降の社会はその論理で動いてきたように見えます。一部の人が一次産業(農業・漁業・林業)に残り、他の多くは二次・三次産業へ——その分業こそが経済成長の原動力だったのだと思います。

    AIはこの前提を静かに崩しているのではないかと考えています。

    知識の壁が低くなれば、一人の人間が複数の領域を横断できるようになります。専門化して交換しあう必要性そのものが弱まっていく——「分業が社会の前提」というロジックが、ゆるんでいくのではないかと思っています。

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    すると、社会全体で「専業の知識労働者」を大勢養う必要はなくなっていきます。AIが代替できる仕事が増えるほど、人間が担うべき仕事は限られてくる、ということです。

    残るのは、機械やAIには代替されにくい仕事——創造、職人業、人との関わり、そして社会の土台を支えるエッセンシャルワークだと思います。食料を育てること、人を介護すること、地域を支えること——これらはその中でも特に、社会が崩れたら成り立たない仕事です。


    BIが広がるとき、人は多方向に動き出す

    ところで、人々がそうしたエッセンシャルワークに向かうには、生活を支える経済的な前提が必要になります。一般的によく言われていることですが、AIがもたらす生産性向上の恩恵は、当面は企業に集中します。それが行き過ぎれば富の偏在が深刻になり、その解として議論されているのが**ベーシックインカム(BI)**です。

    BIが現実のものになれば、人々は「生活のために働く」という強制から一部解放されます。そのとき動き出す方向は、おそらく一つではないように思います。

    生きる実感、創造的な活動、自然との共生、地域への関わり——人はそのとき、お金だけでは買えないものを、それぞれの形で求め始めるように感じます。農業もまた、そのなかの一つの行き先になり得るのではないか、ぐらいに思っています。


    真逆の世界に惹かれたとはいえ、一応現実を見てみる

    農業に目を向けた人なら、たぶん誰もが一度はやることだと思います。

    私も当然のように試算してみました。農業をやったとき、自分の生活はどう変わるのか——時給換算してみたのです。

    前提として想定したのは、兼業の小規模農家です。本業を別に持ちながら、複数の野菜を育てて直売所や庭先で売る——年間で数万円規模の販売レベル。売価はJA公表の標準価格、作業時間は種まき・育苗・畝立て・草取り・収穫・出荷準備までを含めた実労働時間です。ただし、初期投資(農具・種苗・土壌改良)や土地代は含めていません。経費控除前の数字なので、実質的な手取りはさらに低くなります。

    結果はこうでした。

    • 1年目: 売上 49,000円 / 作業時間 97時間 → 時給 約507円

    • 2年目: 売上 69,000円 / 作業時間 70時間 → 時給 約986円

    • 3年目以降: 売上 85,000円 / 作業時間 60時間 → 時給 約1,417円

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    2024年度の最低賃金(全国平均)は約1,055円。つまり1年目の農業時給は、コンビニのアルバイトの半分以下です。3年目以降でようやく最低賃金を超えますが、初期投資の回収はまだ先になります。

    わかってはいました。でも、こうして数字で見せられると、やっぱりがっかりします。


    なぜ食料価格は上げられないのか

    では、農産物の価格を上げれば解決するでしょうか。

    そう単純ではないように思います。

    食料は、人が生命を維持するために不可欠なものです。衣服や家電なら価格が上がれば買うのを控えられます。しかし食べないという選択肢は存在しません。だから社会は、食料の価格上昇に対して本能的に抵抗します。政治もその民意に従います。

    これは農業が抱える構造的な矛盾ではないかと考えています。社会にとって最も必要不可欠なものほど、価格に上限がかかります。

    自動車を考えれば、原価が上がれば価格に転嫁できますし、高性能なら高価格も許されます。社会はそれを当たり前のこととして受け入れています。しかし食料には、それが許されません。そんな制約の中では、どれだけ生産性を上げようとしても、利益構造が根本から変わりません。

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    問い——何が変われば、農業は受け皿になれるのか

    農業もまた、多方向の動きのひとつとして、これから選ばれていく可能性があります。AIと社会変化の流れも、その方向を向いているように見えます。しかし今の農業の経済モデルは、その受け皿になれていないのではないでしょうか。

    この矛盾を解くカギはどこにあるのか。

    価格か、補助か、技術か、規模か、それとも農業そのものの定義を変えることか。

    製造業エンジニアとして23年間、問題の構造を分解して解を探してきました。農業という産業を、同じ目で見ていきたいと思っています。

    答えを出すというより、一緒に考えていけたら嬉しいです。


    市民農園始める

    なんだかんだ書きましたけど、実践は大事。
    マニュアル畝建、大変過ぎ。

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    #農業 #AI #ベーシックインカム #食料自給率 #農業課題 #製造業 #エンジニア #知識民主化 #社会課題 #農業DX


     
     

    swingo

     
     
    バリバリ資本主義の論理で23年。自動車メーカーで生産技術と事業開発を経験してきたエンジニアです。市場原理が通じにくい日本の農業を、製造業の視点で読み解いていきたいと思っています。一緒に考えていけたら嬉しいです。

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