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花のをすくに[弐、または梔子]#16

    十六 豊穣なるものと杖

    「では、本日よりこのグループで巡回をお願いいたします」

     班割りとスケジュールがホワイトボードの上に完成すると、司会進行の森之進もりのしんが告げた。畳敷きの大広間には折りたたみ式の長机と座布団が並べられ、青年から中高年まで餐原町さんばらちょうの男性が集まっている。
     皆、自警団の結成に否はないようだった。農家を営む老人、工務店や酒屋など自営業、店の息子で実家の手伝いをしている若者が主な面々だ。
     黝黒ゆうこくの美男子、克生かいは一人黒いダイヤのように存在感を放つ。老人の一人が号ごうを向かって声を上げた。

    「駐在さんよお、警察はいつ来るんだい」
    「帰とつぎ育乃いくのさんの行方不明と、祭原さいばら景克かげよしさんの盗掘については、既に剣熊けんくま警察署に連絡しました。数人ほど、応援に来て下さるそうです」

     あからさまに森之進がため息をつく。成人女性が一日居なくなっただけでは、そう大事にはされないものだ。本格的に捜査の手が入れば、森之進は妻との関係について、不愉快な質問を受けることになるだろう。
    「頼りにならねえなあ」とか、「仕方ねえなあ」という声が団員からそれぞれに上がった。無茶を言わないで欲しい。
    ――気がつけば、とんでもない状況になったものだ。

     台風や地震で被災した時も、この町はこうして一致団結して動くのだろうか。一般に好ましいことに思えるが、実在も怪しい妖怪とやらにこれか。
     その団結力が、号にはどこか薄ら寒い。妄信的だ。
     化け物はともかく、その手下と目されている慈愛しげみをこの連中はどうするつもりだ? 彼らが暴走しようとした時、自分は止められるだろうか。

     懐中電灯やヘルメット、文具に食べ物といった道具を調達しに自警団は一旦解散した。今後の活動は公民館ではなく、祭原の屋敷で行われる。
     号も駐在所に戻りたいが、慈愛や口無し様について訊きたいことが山ほどあるのでその場に残った。長机や座布団を片付けて、克生の傍に座り直す。

    「克生先生、そういえばさっき弱点を調べると仰いましたが、あまり口無し様については詳しくないんですか?」
    「詳しいの程度にもよるが、あれの正体は分かっている。調べるってのは、以前退治した時は具体的にどんな方法を使ったのかってことだな」

     そんな物が存在するならありがたい。夢で見た時、墓地で見た時のことを思い出すと、口無し様はとても人間が太刀打ちできる相手のようには思えなかったが……。号としてはあまり期待出来なかった。だが、本題は別だ。

    「良い方法が見つかることを願います。ところで、神主さんも克生先生も、慈愛先生は口無し様の言いなりだとのことですが、それはなぜですか?」

     以前はぐらかされてしまったが、今度こそ説明してもらう。克生は背筋を伸ばして正座する森之進と目を合わせた後、こちらに向き直った。

    「あんた、煙草は吸うか」
    「いえ、健康第一なので」

     柔道で黒帯も取った号にとって、喫煙は害しかない。というのは建前で、金魚がどうなるか分からないので吸わない、と決めている。
     克生は「つまらん奴だな」と舌打ちした。

    「とりあえず、受け取れ」

     克生はジッポーライターを取り出して、強引に握らせた。ずしりと重いのもそのはずで、両面メタル貼りでエッチングも施され、ターコイズがあしらわれている。素人目にも、派手すぎないが質の良い高級品と分かった。

    「あの、急にこんな物渡されても――」
    「でも、お前は受け取っただろ?」

     あんたが無理やり持たせたんだろと思いつつ、号はうなずいた。

    「これで〝呪い〟は成立だ。ごく古典的なやり方だが、〝渡す〟と〝受け取る〟ってのはまじないの作法なんだよ」

     克生が手のひらを向け、指先だけ動かして催促するのでライターを返す。

    「渡して受け取る、ってのはつまりプレゼント、贈与関係だ。贈る側は相手の幸せを願ったり、お返しを楽しみにしたりさまざまな思惑を持つ。呪術ってのは、そうした日常の動作や行事に潜むもんだ」

     その代表格が、中元や歳暮だと克生は具体例を挙げた。しかし、号としては「話がよく見えんのですが……」と困惑することしきりだ。

    「黙って聞け。季節の変わり目に、人は魂の更新を行うため目上の者に贈り物をし、受け取った側は渡されたものを吸収して自らの魂を強化する。中元や歳暮だな。贈った側に分配してやることで、目下も強化される」
    「お中元やお歳暮にそんな意味が?」

     何がなんだか分からないまま相づちを打つと、森之進が口を挟んだ。

    「日本の神々は分霊ぶんれいと言って、いくらでも分身を作ることが出来きます。全国各地に同じ神の社があるのは、そういう理由ですね。人間にも魂があり、同じように分割して他人に渡すことが出来るのです」

     言葉を飲み下すのを待つように、克生は紙煙草に火を点けて吸い始めた。

    「だからな、贈与関係には主従の関係が発生するんだよ。親父はそれが分かっていたから、慈愛を口無しの世話係にした」
    「えっ?」
    「言っただろ、あいつには徴しるしも力もなかったって。祭原じゃ半端者だ、だから親父は慈愛に朝晩供え物をさせて、余計な影響が出たら切り捨てるつもりでいた」

     仮にも、自分の弟を物のように言うのか。
     克生の言うことが事実なら、景克もずいぶんと非情な人間だ。切り捨てる、とは具体的にどうするか号には判じかねたが。
     森之進が一旦立ち上がって、大きなガラスの灰皿を持ってくる。

    「ライターの受け渡しとか、必要でしたか?」
    「呪術に詳しくなさそうだったんでな。慈愛が口無しの世話係だった、ってだけじゃ事の重大さが伝わらんだろ」

     重大さはともかく、性根の悪さは少し分かったぞ。号が言葉を呑んだ横で、不意に森之進は克生が持つライターを指さした。

    「ココペリが笛を吹くだけで、緑は芽吹き、花が咲き乱れ、木々は生い茂る。人も獣も子を産み落とす、豊作・子宝・幸運などをもたらす豊穣ほうじょう神」
    「何だシン、覚えていたのかお前」

     克生は確か森之進を「森の字」呼ばわりしていたが、また親しい呼び方をしている。号が二人を交互に見ていると、森之進がこちらを向いた。

    「少し思い出しましてね。克生のライターに彫刻されているのはインディアンの精霊ココペリです。豊穣を司る、うちの神さまと同類だ」
    「お稲荷さんってそうなんですか」

     確かに神社の御利益には子宝や安産と書いてあった気がするが、よくよく考えれば号は、稲荷神が豊穣神であることも知らなかった。
     同時に、ゾッと背筋が冷える。緑が吹き出し、花が咲き、木々が生い茂る。それは苗床の光景、人々が草むす悪夢を思い出させた。

    「まさか、どうだんさまの正体はインディアンの精霊」

     号の顔面に紫煙を吹きつけ、「んな訳あるか馬鹿野郎」と克生はぶっきらぼうに一蹴する。その後「外つ神なのは確かだがな」と付け加えた。
     急な煙にむせていたので、号の気のせいかもしれない。森之進はうつむいて肩を震わせ、忍び声で笑っていた。
     やや空気が緩んだが、次に克生が口にした言葉に号の胸が凍りつく。

    「そういえば駐在、慈愛は俺と育乃の腹違いの兄弟だ。この町の人間ならだいたい知っていることだが、お前は世情にも疎そうだからな」

     待て、待ってくれ、そんなの知るわけがない。自分は何を聞かされている? 無言で首を振ると、克生は冷たいニヤニヤ笑いを浮かべた。

    「念のため言った甲斐があるってもんだ。若い女に目がくらんで手を出したんだが、そいつが病死してな。あのクソ親父は生まれたのが男だったから、うちに引き取ると言い出しやがった。貞淑な妻を放って酷いもんだ」

     腹の底でこつこつと、石を積むように事実が組み上がる。
     つまり祭原慈愛は不義の子で、霊的な力を持つ一族で才能にも恵まれず、化け物の世話をする捨て駒にしたと、あんたらはそう言うのか。
     やはり餐原町は、祭原家は可怪おかしい。葬儀の日は仕方がない、今日も変事があったばかりだからと己に言い聞かせていたが、屋敷の陰鬱さは何だ。
     大勢の人がたむろしても、真っ昼間でも墨がかかったように冥くらい。
     号は軽く頭を振り、ぎくしゃくと言葉を吐いた。

    「慈愛先生が口無し様に魅入られたのは、化け物だけが不幸な子供に優しかったってことですか……?」

     一瞬、何を言っているんだお前はと問いたげな四つの瞳がこちらを見た。うち二つはすっと笑むように目を細めて、号に語りかける。

    「それも一因かもしれませんね」

     きわ立った所も、引っかかる所もない森之進の目鼻立ちは、感情が分かりにくい。それでいて、一見にこやかなように思わされる。

    「慈愛くんが口無し様の言いなりなのは、彼が〝御杖代みつえしろ〟と考えられるからです。依り代という言葉をご存じなら、それと同じと考えてください」
    「いや、知らないですね」

     また聞き慣れない言葉だ、ミツエシロもヨリシロも。

    「少しは教養ってものを持ったらどうだ」悪態を吐きながら克生は説明した。「依り代ってのはご神体や神域のもののことだ。樹木に岩石、あるいは獣、巫女や依り童わらと言われる人間に神霊が寄りつけば、そう言う」
    「日本ではアニミズムと言って、古くから万物に神や精霊が宿ると考えられていましたからね」森之進もいっしょになって解説した。
    「……じゃあ、慈愛先生は口無し様に取り憑かれているってことですか!?」

     号は観たことはないが、ホラー映画では悪魔憑きの少女が人間業とは思えない大暴れを見せたという。
     慈愛もそのような状態なのだろうか、と号は思ったが……。克生は鼻で笑いながら、「いや」とこちらの発言を訂正した。

    「素人相手でも説明が雑すぎるだろ、シン。実際、御杖代は依り代として神に仕える者という意味があるが。駐在、倭姫やまとひめの命みことの巡幸は……知らんな? 文字通り〝杖の代わり〟として遷幸・・を助けるという意味だ」
    「遷幸せんこう?」
    「要するに、取り憑かれていると言うより狂信者のような状態なのです」

     森之進が答える前、克生と一瞬目を合わせたのを号は見逃さなかった。
     こいつらはまだ、すべてを話してはいない。彼らの事情について収穫はあったが、まだまだ信用ならない連中だ。
     同時に、号は自らの知識不足を痛感した。
     宗教だの呪術だのに詳しいツテがあれば良かったのだが、あいにくと号はそういう人物を知らない。その後は、かつて口無し様が封じられていた座敷牢などを見学し、さて帰ろうと思うと電話が鳴る。

     号が祭原家にいる情報はすでに広まっているらしく、行方不明の訴えが屋敷に届いた。新巻が景克の葬儀に来ないことを不審に思った息子夫婦が、彼の家を訪ねて不在を確認。おそらく土曜から居ないのではということだ。
     事態は刻一刻と変化していく。
     少しの間違いが、破滅に繋がっていくだろう。一連の出来事がどこに決着するにせよ、号は恐ろしい予感が拭えなかった。


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