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欠けてるくらいが、ちょうどいい。

    何かを失ったとき。
    思い描いていた道から外れてしまったとき。
    人はつい、「これにも意味があった」と思おうとする。

    でも、そんなにきれいに受け入れられないこともある。
    悔しいものは悔しいし、足りないものは足りない。

    それでも、欠けたところから始まるものもあるのかもしれない。 

    先日、高知県香南市赤岡町の「絵金蔵」に行ってきた。
    そこは幕末の異才絵師・弘瀬金蔵、通称「絵金」の小さな美術館。

    暗闇の中、提灯を持って見る芝居絵屏風。
    血が流れ、おどろおどろしいのに、なぜか美しい。

    薄暗い展示と生々しい絵は、お化け屋敷のようで怖いのに目が離せない。

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    館内は撮影禁止が多いけど、唯一撮影可能になっている観覧場所は、提灯を持って鑑賞するスタイル。

    絵金は髪結いの家に生まれ、江戸で当時の絵画界の超名門・狩野派に学び、土佐に戻ると藩の最高幹部である家老のお抱え絵師になった。

    めちゃくちゃ現代語訳するなら、

    地方の理髪店の息子が、東京の超名門でアートを学び、地元に戻ってトップクラスの権力者専属のアーティストになった、みたいな感じだろうか。

    かなりの出世コース。

    ところが、贋作事件に巻き込まれ、状況は一変する。

    専属アーティストの職を失うどころか、城下からも追放。

    仕事も肩書きも居場所も、一気に失ったようなもの。

    絵金蔵の資料によると、事件後から赤岡町に腰を据えるまでの約10年間、彼の詳しい足取りは分かっていない。

    悔しかったのか。
    絵なんて描きたくないと思った日はなかったのか。

    本当のところは分からない。

    ただ、その後の絵金は、また絵を描いている。

    今度はお城の中ではなく、町の人たちのために。

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    ここに飾られているのはレプリカ。本物は劣化させないために別の部屋に保存されているのだけど、毎月2枚だけ、覗き穴から見ることができる。提灯と覗き穴、なんだか江戸の「粋」を感じる。


    赤岡の旦那衆の求めに応じて描いた芝居絵屏風は町の人たちに親しまれ、150年以上経った今も、この町で大切に守られている。

    それを知って、帰り道にふと、

    「欠けてるくらいが、ちょうどいいのかもしれない」

    と思った。

    私自身、高知に移住して、地理的にはずいぶん不便になった。

    行きたい場所は遠いし、お店も、都会ほど選択肢はない。

    なのに不思議なことに、前より今の暮らしのほうが好きだ。

    もちろん、不便は不便だし
    なくて困るものまで「これが豊かさです」と言いたいわけじゃない。

    ただ、全部が揃っていないからこそ、

    「じゃあ、どうする?」が始まることがある。

    ないなら、つくる。
    遠いなら、別の方法を考える。
    その土地にあるもので、面白いことを始める。

    不便さや欠けは、ときに新しい創造や文化が入り込む余白にもなるのかもしれない。

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    皿屋敷の怪談で有名な「お菊」を描いた屏風絵。「血赤」と呼ばれる赤は天然の鉱石を原料にした泥絵具。鮮血のような圧倒的な鮮やかさから、「血赤」には邪気を祓う魔除けの力があると信じられていたそう。


    「今あるものに目を向けよう」
    「すでに満たされていることに気づこう」

    それも大切だと思う。

    でも、悔しいとか、足りないとか、こんなの嫌だとか。

    そんな感覚まで、無理になかったことにしなくてもいい。

    ときにその「欠け」は、ものすごいエネルギーになる。

    「で、ここからどうなる?」
    「だったら、自分にとって何が最高?」

    そうやって、起きたことにちょっと反抗するように、次の景色をつくっていく。

    たぶん私は、そういう反骨精神がけっこう好き。

    考えてみれば、「御用絵師から町絵師へ」なんて、肩書きだけ見ればキャリアダウンに見える。

    でも150年以上経った今、町の人たちが大切に守っているのは、その後に描かれた芝居絵屏風だ。

    お城の中で描いていた頃とは違う場所で、絵金の絵は町の文化になった。

    起きたことを「よかったこと」にしなくていい。
    欠けたものを、無理に「本当は満たされている」と言い換えなくてもいい。

    欠けたなら、欠けたところから、また続きを描けばいい。

    鮮烈な血赤の屏風を思い出しながら、そんなことを考えた帰り道だった。

     
     
    2022年、脱サラUターン夫と高知で文旦農家を継業しました。山と海に囲まれた暮らしの傍ら、Web制作・オンラインサポート・講師などフリーランスで活動。 地域の素材や人の魅力を、形にする仕事にも関わっています。最近はSubstackで発信中。

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