
「嫌」のその先を見る②
私は直感的で、やりたい事は、図々しく他人を巻き込んででもどん欲にやろうとするし、やりたくない事は、堪え性なく主張するけれど、その対処も行動も判断も他人任せにして無責任
そうやって甘え上手な自分を頼りに楽な方へ流され現実を見極めることなく、他人に依存して責任逃れするテクニックばかり磨いてこのアラフィフまで生きてきました
だけれど、私は私が認められる自分になりたい、自分の人生の主導権を持って生きられる人間になりたい
何故なら、自分でも欠落した自分のままで居るのは嫌、薄っぺらい自分で居るのも、卑屈に生きるのも、嫌
そして、やりたい、欲しい、楽しい、を得たいから、そのための努力をする、悪あがきをする
だって、感情に対して何もしないのが罪だと思うし、可能性が無いと見切りをつけたくなし、自分と未来は意識次第で変えられると信じたい
なので「嫌」のその先の自分の希望を満たすため、その希望をブラッシュアップ
社会で生きていくため、社会のルールに自分なりに折り合いをつける必要はある
自分の負けん気やプライドは大切だけれど、それだけでやれるほど社会は甘くない
依存体質で無責任で粗忽者でスキルを持ち合わせていないアラフィフの私が、評価が悪いのも当たり前の現実
社会人になってから自営業やブランクがある私の経歴が、評価が悪いのも致し方ない現実
未だに潜在的レベルで男女ともに仕事に対する意識差や区別があるのも、事実
だけれど、いろいろな働き方や収入の得る方法の可能性がある時代になった
そして、私の持ち合わせたものや経験さえも無価値だとは思えない
いろいろな可能性がある今の時代に、自分にはもう可能性が無いと見切りをつけるのは、嫌だ
個人の能力を活用しない精査もしない環境にしがみつき保身ばかりに走る自分になるのも、嫌だ
世の中には「理不尽な事」が存在するけれど、それを仕方ない、そんなもんだとただ受け入れるのも、嫌だ
私はまだまだ自分にいろんな可能性があると思いたい
いろんな困難や理不尽な事に対して、良心に従って自分なりに向き合い前向きに努力出来る自分で居たい
短い人生でシンプルに楽しい事や嬉しい事を得られるために、精いっぱい努力して生きたい
今はまだ対価を得られるような価値が認められていない事、無価値なものと認識されている中に、たくさんの可能性が潜んでいると思っている
だったら、それを見極め形に出来る自分になりたい
物事やってみなけりゃわからない、やってみたら見えてくる事が必ずやある、と思っている
これまで、この図々しく鈍感な私の特性で、自分が面白いと思えるチャンスや出会いを掴んできた経験もある
そして劣っている自分、無知な自分が嫌だから、やっぱり私は悪あがきするチャレンジャーで居たい