
石橋を叩き割ってジャンプ
人の性格を形容するとき、「石橋を叩いて渡るような慎重な人」なんて言ったりする
私、かなり粗忽者
幼い頃、親が忙しく年齢が離れたしっかり者の姉がいるけれど末っ子の私は、放置されていた
親が家にいないから、うるさく勉強をしろ、とも言われない
親にとっても姉たちにとっても、私は世話する対象
私が自分でやる事にダメ出ししながら、いろいろ先回りしてやってくれる(みんな私にやらせてあげるほど余裕がなかったんだと思う)
何事も決定権もないが、自分が責任を負う事もない
私は考えないし、人のやる事を邪魔しないし、周りの言われるがままで反抗もしない
それが私の日常で当たり前だった
私に求められていた事は、出来ないと訴えて、やってもらったら「ありがとう」と言う事
もちろん成長するに従って、それなりに自我も芽生えたから、そんな環境を煩わしく感じる事もあったけれど
自分が周りより出来ない事ばかりだし、やってくれたら自分がやるより正しい結果が得られるから、楽だ
打算的にやっていた訳でもなかったけれど、他人がやらざるを得ない気持ちにさせる甘え方だけは身につけた
それどころか、純粋に(単純に)人が私に何かをやってあげたという気持ち(表現が悪いが自己満足)を尊重して、私なりに気遣っていた(つもりだった)
だから私自身に、物事に対して努力してやりきる根性が身につく訳もない
まあそれがまかり通る訳がない
そんな風に他人に依存して、甘えて努力もしない私を疎ましく反感を抱く人は当然いる
自分で考えて決断しなきゃならない場面も増える
家庭内の環境とのギャップが、どこにあるのかもわからなくて、悲しかったり辛かったりする経験をして
何か決断しなきゃならない時、あまりにも経験値が無さ過ぎて、臆病になる
ただただ不安な気持ちがいっぱいで、思考の整理が出来ない
なので、石橋を叩いてみる
この目の前の石橋(事柄)に対して、何なのか?どうすればいいか?私なりに知ろうとする(フリをする)
叩いて叩いて
だけれど、ただ叩くだけで誰かが手を差し伸べてくれる事を期待してのパフォーマンス
そんな事をしても助けなんて来ないのに
ずっと叩き続けて、ついに渡る術の石橋を叩き割る
それでもまだ自分で理路整然と考えて結論を出す事も決断もしていない
だから、対岸に向かってジャンプ!
対岸に届かず溺れたり
何故違う経路を探さなかったのか?と自分の短絡的な行動を後悔したり
そもそも叩くなら、意味ある叩き方をしなきゃいけなかったと、自己否定したり
人生初の事務職になり、自分が粗忽過ぎる事を思い知らされている
ある程度はノリや雰囲気でやり過ごせていた接客業とは違う世界に対応出来ない
ケアレスミスが多く、求められる事に応えられない
大人と子どもの境界線は、自分の行為(行動、言動)に責任を持つかどうか、だと思う
結果がどうであれ(思ってもいなかった結果が引き出されたとしても)自己の行為に覚悟して責任が取れるか?
どう石橋に対処するか?は人次第
慎重に叩いて渡る人、渡らない人
最初から違う経路を考える人
対岸を目指さない人
そして私は、今までずっと
叩くけれど叩いた意味を得られないまま叩き割り、でも対岸に行きたいから溺れる可能性があるにも関わらず、他の方法を考える事なく、なりふり構わず助走をつけて思いきりジャンプしてきた
我ながらバカなの?と思う
学習しろよ!と思う
子どもの頃の環境の影響があったとしても、この年齢で危機管理や自己保身が出来ないのはいかがなものか?
もはや自己責任以外の何物でもない
過去は変えられない、でも自分次第で未来は変えられる
身体に染み付いた思考や刷り込みを、拭い去る事は簡単じゃない
でも、そのままの自分じゃ嫌だと思ったから、やった事がない職種に飛び込んだ
足掻いてももがいても前を向け!
視点を変えて冷静になれ!
大人になれよ!
と自分に言い聞かせる