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あじさゐや変色するぞ瓦礫下

    深夜の部

    読書。ポトツキ『サラゴサ手稿(中)』。最初に上巻のあらすじが出ていて、そういう話なのかと納得する。アルフォンソは、スペイン遠征に行くのは十字軍のレコンキスタのようで、そこの砦で迷子になり、悪人に出会う。
    その体験を「デカメロン」方式で語るのだ。「デカメロン」というように、イタリア・ルネサンス時代に流行った、小話形式で、その中に悪魔の語りや悪魔憑きの語りやカバラ学者の語り、その娘の語りと入れ子構造になっていて「千一夜話」というような奇想天外の
    物語群になっているのだ。第一デカメロンは十日間の話で(語られた時間で物語時間は複雑)第二デカメロンはジプシーの族長の話になって、第三、第四もそうらしい(これが中巻)。そんな構造になっているのは、作者であるポトツキがとりあえずまとめたものを出版したのだが、フランス革命の混乱で出版出来なくなり自殺してしまう。しかし、その本が話題になり、偽作も出るほどたった。ここが『ドン・キホーテ』的な物語を想像させるのだが、その部分はフランスの幻想文学の先駆けと読まれたのだった。しかし作者は死んでいてヨーロッパ各地に未稿が散らばっており、それはポトツキが歴史家であり当時のポーランドが分割されたからだった。ポーランド人なのだが、彼の出身地は現ウクライナということで未稿はロシアのサンクトペテルブルクまであったという。さらにポトツキは最初に出版したあとから改訂版を出版して、それが今回の翻訳らしいのだが、それはカットした部分があり、創元ライブラリ版はカットした「さまよえるユダヤ人」の話が入っているとか。

    「さまよえるユダヤ人」の部分は「ジプシーの族長の物語」で、そこは作者本人も展開がわからなく枝葉的に物語が拡張されていくところで、わかりやすくするためにカットした『サラゴサ手稿』を出したのだが、その欠落部分を出した時に話をわかりやすくするために他の者が創作したとか。そもそもこの物語がスペインの手稿をあるフランス人が発見してそれを翻訳させたものをフランス人が語ったという入れ子構造になっているのだ。それは『平家物語』のように次々と増殖していく物語となっているのだ。その方式が注目されたのはロジェ・カイヨワの解説が出たからで、その構造が物語的なところは中世の伝承物語と同じ構造だということで研究されたりしたのだ。

    そんな物語だから複雑な成り行きで出来ているのは翻訳文学とは?という問題も含んでいるのだった。だからこの作品が翻訳大賞(勘違いだった。小西財団日仏翻訳文学賞だ)になっていたりする。改訂版が出た時はまだポトツキは生きていて、それが物語を成長させて行ったのだった。そんなわけで六十日間の「デカメロン」方式で語られた物語だった。その中身がイスラム世界(ジプシーの伝承)の物語だったり、そこにカバラ的な元キリスト教的な話もあり、キリスト教世界とイスラム世界の融合的な物語として、今の分断の世界に注目されて読まれるのだった。作者がウクライナで死んだということも話題になったりして。
    そういう物語だからとりとめもなく話が展開していく。第三デカメロンは、アルフォンソは遺体に隠れて二人のイスラムの姫に出会う展開で『モンテ・クリスト伯』みたいになっていた。遺体に隠れて偽装して悪魔の姫たちに出会うのだ。それがジプシーの族長の話になっていたりわけがわからなかった。そして姫の話になっていくのだった。これは族長の話なのだ。

    とりあえず第21日目まで読んだ。そういう複雑な物語だった。

    『サラゴサ手稿』の解説と本文を読んで閉口して来ると千頭将宏「バルザック『人間喜劇』 君なら読みこなせる」は『人間喜劇』の入門書を読みはじめた。今日の俳句。

    あじさゐや変色するか瓦礫下 宿仮

    変色は血の色になるということだが戦争時代の社会詠だった。今の時期まだあじさゐの色が定まっていないのか変化する様子が見られる。中七が何が変色するか分からないという。それは解釈の問題だから、この句が読めない奴もいるだろう?読者におもねる必要はないのだ。

    あじさゐや瓦礫の下の変色す 潮騒

    説明的だな。

    七変化瓦礫の下の雨しづか 潮騒

    鎮魂的な。

    朝の部

    読書。『サラゴサ手稿』第22日目。ジプシーの族長は悪魔だと思う。それでアルフォンソは合わせ鏡のように物語の中に引き込まれるのだ。娘とかみな悪魔だと思えば納得がいく。決闘を見るシーンで、誰も敵わない勇者の話。その勇者に恐れをなすアルフォンソだ。それは姫たちの語りなのだ。

    『バルザック『人間喜劇』』を読んでいたら、堀口大學の言葉で「若者よ、諸君は馬車に乗っているのだ」という言葉。「ピエロトタンの乗り合い馬車」ということで、物語は性急には動かないということだ。

    検索したら堀口大學が言ったのではなく、フランスの著名な「箴言集」を翻訳したのだった。当時は馬車から自動車に変わる時代で馬車は時間通りに動かない。それで列車とか時間通りの乗り物になる転換期だったのだ。

    転換期という言葉は便利だった。バルザックもディケンズも転換期で納得する。そしてポトツキも。

    朝食を食べるのに鍋を洗おうとして手を火傷した。急いては駄目。今日の短歌。「シン・短歌レッスン」もやらなければ。今日は啄木から。

    火傷した手をじっと見る
    やわらかな
    無職の白い手 赤く腫れて やどかり

    下句が説明的。

    火傷した手をじっと見る
    やわらかな
    無職の罰か 白より赤く やどかり

    白く水ぶくれになったから赤から白へなんだが。

    午後の部

    「シン・短歌レッスン」を少しやって、買い物。目が異常に痒いのは花粉症だからなのか?昨日も片目で過ごしていたような。

    荻原裕幸を萩原裕幸と誤字訂正してくる。荻と萩の違いは散々やったのだ。好きな歌人なのでAIに従わなかった。あとで文句を言ったがすぐ忘れるんだよな!AIですらそんな感じなんだから誤字脱字は難しい。いつも指摘されるのは宿仮という俳号を宿借に訂正される。固有名詞は訂正しないで貰いたい。

    明日雨予報だった。

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    日記の達人、俳句や短歌、詩もあり。最近創作にハマっている。受賞歴なし。この年まで無名でいられたのはむしろ良かったのかもしれない。なんでも言えるし、嫌な奴とは付き合いたくない。https://share.google/8D4Ttfn90JW067rM7

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