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【語り盎す偉人】ハむンリヒ・シュリヌマン ― 発掘

    「語り盎す偉人」は、人物そのものだけでなく、その人をめぐる逞話や埌䞖の評䟡、史料ずの食い違いたで远いかけるため、どうしおも長くなりたす。
    目次を぀けおいたすので、気になるずころからでも、お時間のあるずきにゆっくりどうぞ。

    第䞀局――英雄ハむンリヒ・シュリヌマン


    䞀八二二幎䞀月六日、北ドむツのメクレンブルクに、䞀人の少幎が生たれた。

    ハむンリヒ・シュリヌマン。

    牧垫であった父は、幌い息子に叀い物語を聞かせた。アキレりス、ヘクトル、オデュッセりス、アガメムノン。そしお、ギリシアの英雄たちが十幎ものあいだ攻め続け、぀いには炎のなかぞ消えおいった城塞郜垂――トロむア。

    少幎は、この物語に倢䞭になった。

    䞀八二九幎のクリスマス、䞃歳のシュリヌマンは父から䞀冊の䞖界史の本を莈られる。そこには、燃え䞊がるトロむアから逃れるアむネむアスの姿ず、その背埌にそびえる巚倧な城壁が描かれおいた。

    こんな倧きな城壁が、本圓に跡圢もなく消えおしたうものだろうか。

    地䞊から芋えなくなっただけで、土の䞋にはただ残っおいるのではないか。

    ならば、い぀か自分が掘り出せばいい。

    少幎の胞に芜生えたその思いは、すぐに叶うような倢ではなかった。

    十歳のクリスマスには、トロむア戊争ずオデュッセりス、アガメムノンに぀いお拙いラテン語の䜜文を曞いお父に莈った。しかし十四歳になるず孊校を離れ、小さな商店で働くこずになる。朝の五時から倜の十䞀時たで、ニシンやバタヌ、酒や塩を売り、床を掃き、芋をすり぀ぶす毎日だった。

    そこである晩、酔った粉屋の男がホメロスを朗誊した。

    シュリヌマンには、その蚀葉の意味がひず぀も分からなかった。それでも叀代ギリシア語の響きに心を奪われ、わずかな金で酒を䞉杯買い、男に䞉床、同じ詩を読んでもらった。

    い぀か、この蚀葉を自分で読めるようになりたい。

    だが、そのためにはたず、生きおいかなければならなかった。

    重い暜を持ち䞊げお身䜓を痛め、商店を蟞めたシュリヌマンは、䞀八四䞀幎、南米ぞ向かう船に乗り蟌んだ。ずころが船はオランダ沖で難砎する。呜こそ助かったものの、ほずんど無䞀文のたたアムステルダムぞ流れ着いた。

    そこで圌が歊噚にしたのは、孊ぶこずだった。

    寒い屋根裏郚屋で暮らし、わずかな絊料の半分を勉匷に䜿った。歩きながら本を読み、郵䟿局で埅぀あいだも暗蚘した。英語を孊び、フランス語を孊び、オランダ語、スペむン語、むタリア語、ポルトガル語ぞず手を䌞ばした。さらにロシア語を独孊し、その胜力を買われお商瀟の代理人ずしおサンクトペテルブルクぞ枡る。

    䞀八四䞃幎、二十五歳で自ら商䌚を開いた。

    少幎のころには想像もできなかったほどの財産を築いたあずも、胞の奥に残っおいたものがある。

    ホメロスだった。

    八五六幎、぀いにギリシア語の勉匷を始める。珟代ギリシア語から叀代ギリシア語ぞ進み、『むリアス』ず『オデュッセむア』を䜕床も読み返した。やがお商売から退き、残りの人生を叀代䞖界の研究に捧げるこずを決める。

    少幎が倢を芋おから、およそ四十幎。

    シュリヌマンは、小アゞア北西郚のトロアスぞやっおきた。

    圓時、叀代トロむアの所圚地に぀いおは耇数の説があった。そのなかでシュリヌマンが目を぀けたのが、ヒサルルクず呌ばれる䞘だった。

    そこを掘った。

    土を陀き、石を退け、さらに䞋ぞ進む。ひず぀の郜垂の䞋から、たた別の郜垂が珟れた。地面だず思っおいた堎所のさらに䞋に、人が䜏み、焌け、厩れ、忘れられおいった町が積み重なっおいた。

    そしお䞀八䞃䞉幎。

    城壁ず考えた遺構のそばを掘っおいたシュリヌマンの目に、土の䞭で光るものが映った。

    金だった。

    圌は䜜業を止めるず、自らナむフを䜿っお土の䞭から品々を取り出した。金の噚、銀の壺、銅の歊噚、腕茪、耳食り、そしお䜕千もの小さな金補品。

    シュリヌマンは、それを名づけた。


    「プリアモスの財宝」

    神話の王プリアモスが治めたトロむア。その城壁。その宮殿。そしお、その王家の財宝。

    物語のなかにしか存圚しないず思われおいた䞖界が、土の䞭から姿を珟した。

    しかし、圌はそこで止たらなかった。

    次に向かったのは、ギリシアのミケヌネだった。

    ホメロスによれば、そこはトロむアぞ向かったギリシア軍の総倧将、アガメムノンの囜である。䞀八䞃六幎、シュリヌマンは城壁内の墓を発掘し、そこから倧量の黄金ず、死者の顔を芆っおいた黄金の仮面を芋぀けた。

    圌はギリシア囜王ぞ、発芋を電報で知らせた。

    アガメムノン、カッサンドラ、そしおその仲間たちの墓を発芋した、ず。

    か぀お、商店で酒を売りながら、意味も分からないホメロスの朗誊に涙した少幎がいた。

    その少幎は商人ずなり、富を築き、ギリシア語を孊び、やがお自ら鍬を手に取った。

    そしお、誰も芋るこずのできなかった英雄たちの䞖界を、土の䞭から掘り起こした。


    ハむンリヒ・シュリヌマン。


    倢を信じ続け、䌝説を歎史ぞ倉えた男。

    考叀孊史にその名を残す、英雄である。


    第二局――ペテン垫ハむンリヒ・シュリヌマン


    ずいぶん、よくできた話だった。

    貧しい少幎がホメロスに憧れ、商人ずしお財を築き、幌い日の倢を忘れず、぀いには䌝説のなかに埋もれおいたトロむアを土の䞭から掘り出す。
    物語ずしおは申し分ない。

    では、鑑定を始めよう

    たずは、この英雄譚の始たりから。

    䞃歳のシュリヌマンは父から䞖界史の本を莈られ、燃えるトロむアの挿絵を芋た。そしお父に、い぀か自分がトロむアを発掘するず玄束した。

    そう、シュリヌマンは埌幎になっお曞いおいる。

    問題は、その少幎が本圓にそんな玄束をしたのかを蚌明しおくれる同時代の蚘録が芋圓たらないこずである。

    シュリヌマンは膚倧な手玙ず日蚘を残した。ずころが、若き日の圌が「い぀かトロむアを発掘する」ずいう人生の倧目暙を抱いおいたこずを裏づける蚘録は、長いあいだ姿を珟さない。

    䞀八五〇幎から翌幎にかけおアメリカを蚪れた際の日蚘にも、埌幎あれほど匷調したトロむア発掘ぞの宿願は珟れない。

    矎しい少幎時代である。

    蚌人が、本人しかいないこずを陀けば。

    もう少し掘っおみよう。

    䞀八六八幎、四十六歳のシュリヌマンはトロアスを蚪れた。

    そこで重芁な人物ず出䌚っおいる。


    フランク・カルノァヌト。

    トロむアの候補地ずしおヒサルルクに泚目し、その䞀郚を所有し、すでにそこで詊掘たで行っおいた人物である。

    ぀たりシュリヌマンがヒサルルクを掘り始めるより前に、そこをトロむアではないかず考え、実際に土ぞ鍬を入れおいた男がいた。

    ずころが埌幎のシュリヌマンの語りを読んでいるず、少々奇劙なこずが起こる。

    少幎時代からトロむアを倢芋おいた男が、自らの信念ずホメロスを頌りに倱われた郜垂を芋぀け出した――そんな物語が、次第に前面ぞ出おくるのである。

    䞀八䞃五幎には、自分はトロアスを蚪れる以前、パリで研究しおいた時点ですでにヒサルルクこそトロむアだず確信しおいた、ずたで䞻匵した。

    䟿利な蚘憶である。

    発芋者が䞀人であるほうが、英雄譚は矎しい。

    さお。

    あの英雄譚で、もっずも劇的だった堎面を芚えおいるだろうか。

    䞀八䞃䞉幎、「プリアモスの財宝」が発芋された日である。

    シュリヌマン自身の発衚によれば、䜜業䞭に金を芋぀けた圌は、ただちに劎働者たちを䌑憩ぞ出した。そしお劻゜フィアず二人で、厩萜の危険を冒しながら財宝を取り出した。

    倫がナむフで掘り出し、劻がショヌルに包んで運ぶ。

    考叀孊史に残る名堎面である。

    残念ながら、その日、゜フィアはそこにいなかった。

    圌女はアテネにいた。

    シュリヌマンが劻ぞ送った手玙が、それを教えおくれる。

    財宝を発芋した時期に曞かれた手玙の䞭で、圌は゜フィアにアテネぞ留たるよう䌝えおいる。

    本人が残した曞簡によっお、本人が公衚した名堎面から、劻が消えた。

    では、財宝そのものはどうだろう。

    ここでも話は玠盎ではない。

    シュリヌマンは「プリアモスの財宝」の発芋に぀いお䜕床も蚘述しおいるが、初期の報告を比范するず、発芋の日付、状況、品々の扱いに぀いお食い違いがある。

    ひず぀の堎所から、ひず぀の瞬間に、ひずたずたりの財宝が珟れた。

    そう信じたいずころだが、蚘録を䞊べるほど、その劇的な䞀瞬は茪郭を倱っおいく。

    そしお䜕より、「プリアモスの財宝」ずいう名前そのものが倧胆だった。

    シュリヌマンが掘ったヒサルルクは、䞀぀の郜垂ではない。長い幎月のなかで郜垂が築かれ、滅び、その䞊にたた郜垂が築かれた、幟重もの局からなる遺跡だった。

    圌が「プリアモスのトロむア」ず考えた局ず財宝は、珟圚ではホメロスが描いたトロむア戊争の想定幎代より、はるかに叀い時代のものずされおいる。

    プリアモスの財宝ではなかった。

    それでも名前は残った。

    さらにシュリヌマンは、この財宝をオスマン垝囜圓局の蚱可なく囜倖ぞ持ち出した。

    発掘蚱可には、出土品の扱いに぀いお条件が定められおいた。それを承知しながら、圌は財宝を密かに運び出したのである。

    オスマン垝囜政府は蚎えた。

    シュリヌマンはのちに金銭を支払うこずになる。

    倢を远った少幎は、ずうずう倢の宝を手に入れた。

    そしお、持っお垰った。

    蚱可はなかった。


    ただある。

    シュリヌマンは自分自身の人生に぀いおも、物語を䜜るこずにためらいがなかった。

    䞀八六九幎、最初の劻゚カテリヌナずの離婚を望んだ圌は、アメリカのむンディアナ州ぞ向かった。圓時のむンディアナ州は、離婚を求める者にずっお郜合のよい法埋で知られおいた。

    シュリヌマンはそこで居䜏者ずしお離婚手続きを進める。

    少幎時代の思い出だけではない。

    自分がどこに属する人間なのかさえ、必芁ずあれば圌にずっおは亀枉可胜だったらしい。

    こうしお蚘録を䞀぀ず぀䞊べおみるず、圌の英雄譚ずはずいぶん違う男が珟れる。

    少幎時代から䞀途にトロむアを倢芋た英雄。

    その倢の蚌人は、ほずんど本人である。

    トロむアを芋぀けた男。

    その堎所には、圌より先にヒサルルクを疑い、掘っおいたカルノァヌトがいる。

    劻ず二人で財宝を救い出した男。

    劻はアテネにいた。

    プリアモスの財宝を発芋した男。

    プリアモスの時代の財宝ではない。

    叀代の宝を䞖界ぞ取り戻した男。

    発掘囜から無断で持ち出した。


    偶然だろうか。

    蚘憶違いだろうか。

    埌幎になっお過去を矎しく敎理しおしたっただけなのだろうか。

    少なくずも、ひず぀だけ蚀える。

    ハむンリヒ・シュリヌマンずいう人物に぀いお、もっずも雄匁に語っおきた人物は、ハむンリヒ・シュリヌマンだった。

    そしおその蚌蚀は、同時代の蚘録ず突き合わせるず、䜕床も圢を倉える。

    英雄譚の䞭で我々が芋たのは、䞀人の男が倢を叶えるたでの物語だった。

    だが、その物語を曞いたのもたた、その男である。

    英雄ハむンリヒ・シュリヌマン。

    ずいぶん芋事な人物だった。

    䜜者が、ハむンリヒ・シュリヌマンでなければ。


    第䞉局――発掘


    ここたで、二人のハむンリヒ・シュリヌマンを芋おきた。

    䞀人は、幌い日に抱いた倢を生涯远い続け、぀いには神話の郜垂を地䞭から掘り出した英雄。

    もう䞀人は、自らの過去を曞き換え、他人の功瞟を呑み蟌み、発芋の瞬間さえ物語に仕立おたペテン垫。

    どちらの話にも、根拠がある。

    そしお、どちらの話も、よくできおいる。

    では、いったんシュリヌマンから離れよう。

    ヒサルルクの土を芋おみる。

    䞀八六八幎、トロアスを蚪れたシュリヌマンは、最初からヒサルルクだけを目指しおいたわけではない。

    圓時、トロむアの所圚地ずしお有力芖されおいたのは、南方のブナルバシュだった。シュリヌマン自身もそこぞ赎き、地圢を調べ、実際に詊掘たで行っおいる。

    そしお、玍埗しなかった。

    ホメロスに描かれた地圢ず合わない。

    そこから別の可胜性を探し、やがおフランク・カルノァヌトず接觊する。

    カルノァヌトがヒサルルクに泚目し、シュリヌマンより先にそこで掘っおいたこずは事実である。ヒサルルクの䞀郚を所有し、この䞘が叀代郜垂の所圚地である可胜性を考えおいた。

    ならば、シュリヌマンはカルノァヌトの発芋を暪取りしただけなのだろうか。

    そう蚀い切るには、少し土が邪魔をする。

    䞀八六八幎のシュリヌマンの日蚘には、カルノァヌトずの本栌的な接觊以前から、圌自身がトロアスを歩き、ホメロスの蚘述ず地圢を突き合わせ、候補地を怜蚎しおいた痕跡が残っおいる。

    カルノァヌトがいなければ、シュリヌマンがヒサルルクを掘ったかどうかは分からない。

    シュリヌマンがいなければ、カルノァヌトの詊掘があの芏暡の発掘ぞ発展したかどうかも分からない。

    少なくずも、地面に残っおいる仕事は、䞀人の「発芋者」ずいう蚀葉には収たりにくい。

    では、その発掘はどうだったのか。

    ここでは、ペテン垫より厄介なものが出おくる。

    発掘者シュリヌマンである。

    圌はヒサルルクの䞘ぞ巚倧な溝を切り蟌んだ。

    埌に「シュリヌマン・トレンチ」ず呌ばれるこずになる倧芏暡な掘削である。

    目的は明快だった。

    ホメロスのトロむアは叀い。

    ならば、䞋ぞ行けばいい。

    シュリヌマンは叀い郜垂を求め、䞊に積み重なった時代の遺構を取り陀きながら、䞘の深郚ぞ進んだ。

    その結果、倚くの遺構が倱われた。

    珟圚の考叀孊から芋れば、取り返すこずのできない砎壊である。

    しかも皮肉なこずに、圌が目指したトロむア戊争の時代に近い遺構たで、その過皋で損なわれた。

    では、乱暎な玠人が䞘を砎壊しただけなのか。

    ここでも、そう簡単には終わらない。

    シュリヌマンは毎日の発掘蚘録を残しおいる。

    日付、䜜業員の人数、費甚、倩候、掘った堎所、出おきた遺物。文章だけではなく、遺物のスケッチも描いた。

    土噚の砎片のような、黄金ずはほど遠い倧量の出土品も蚘録し、地局によっお出おくるものが違うこずを芳察した。

    写真家、枬量家、建築家、自然科孊者らの助力も求めた。

    そしお䜕より、この䞘が䞀぀の郜垂ではないこずを掘り圓おた。

    郜垂の䞊に郜垂がある。

    焌けた町の䞊に、新しい町が築かれおいる。

    さらにその䞊に、たた別の人々が暮らしおいる。

    ヒサルルクは、䞀枚の地面ではなかった。

    時間そのものが、局になっお積み重なっおいた。

    シュリヌマンは、その構造を完党には理解できなかった。

    「プリアモスのトロむア」だず考えた郜垂も間違えた。

    深く掘れば叀い。それは正しい。

    しかし、叀ければ叀いほどホメロスに近づくわけではない。

    圌が「プリアモスの財宝」ず名づけた品々が出た局は、珟圚の線幎ではトロむア戊争の想定幎代よりおよそ千幎叀い。

    倧きな誀りだった。

    だが、シュリヌマンは䞀床決めた答えを、生涯守り続けたわけでもない。

    発掘を重ねるに぀れ、圌の考えは倉わった。

    そしお埌幎、その隣には建築家ノィルヘルム・デルプフェルトがいた。

    デルプフェルトは建築遺構ず地局を粟密に読み分け、耇雑に重なったヒサルルクの郜垂を敎理しおいく。シュリヌマン晩幎の䞀八九〇幎の発掘報告には、デルプフェルト自身による建築遺構の詳现な論考が収められおいる。

    最初の発掘で、自分が答えを芋぀けたず思った男の本に、別の専門家の目が入るようになった。

    これは、英雄には少し郜合が悪い。
    䞀人でトロむアを芋぀けたこずにならない。

    しかし、ペテン垫にも少し郜合が悪い。
    自分に郜合のいい物語しか認めない男であれば、他人の専門知を発掘ぞ組み蟌み、発芋を曎新しおいく姿は少々説明しにくい。

    さらに奇劙なこずがある。

    初期の発掘は、確かに乱暎だった。

    ずころが、その乱暎な発掘に぀いお、珟圚の研究者がもう䞀床調べるこずができる。


    シュリヌマンが残した発掘日誌があるからだ。

    二十䞖玀以降、研究者たちはその蚘録を䜿い、圌が䞀八䞃〇幎代にどこを掘り、どの局から䜕を芋぀けたのかを再構成しおきた。

    蚘録は䞍完党である。

    どの溝から出た遺物なのか分からないものもある。

    倱われたものは、もう戻らない。

    それでも、癟幎以䞊あずから発掘の過皋を再怜蚌できる皋床には、蚘録が残っおいる。

    砎壊した男が、怜蚌するための蚘録も残しおいた。

    さお。

    英雄だったのだろうか。
    そう呌ぶには、壊したものが倚すぎる。

    ペテン垫だったのだろうか。
    そう呌ぶだけでは、残した仕事が倚すぎる。

    倢だけでトロむアを芋぀けたわけではない。

    カルノァヌトだけがトロむアを芋぀けたわけでもない。

    発掘方法は粗暎だった。

    同時に、地局を芳察し、蚘録し、専門家を集め、発掘結果を公刊した。

    プリアモスを芋぀けたず思った。

    間違っおいた。

    それでも掘り続けた。

    ヒサルルクの䞘には、いく぀もの郜垂が重なっおいた。

    どうやらシュリヌマンも、それず少し䌌おいる。

    䞀枚剥がせば、英雄が出おきた。

    もう䞀枚剥がせば、ペテン垫が出おきた。

    しかし、発掘はそこで終わらなかった。

    我々はただ、ハむンリヒ・シュリヌマン本人を掘り圓おおいない。


    最䞋局――ハむンリヒ・シュリヌマン


    我々は、ずいぶん深くたで掘った。

    最初に出おきたのは、英雄だった。

    幌いころホメロスに魅せられ、貧しい商店員から身を起こし、いく぀もの蚀葉を孊び、商売で財を成し、぀いには神話の郜垂を地䞭から掘り出した男。


    その䞋からは、ペテン垫が出おきた。


    少幎時代の矎しい思い出には本人以倖の蚌人が乏しく、ヒサルルクには圌より先にフランク・カルノァヌトがいた。「プリアモスの財宝」を劻ず二人で取り出したずいう名堎面からは劻が消え、財宝はプリアモスの時代のものではなかった。


    さらに掘るず、そのペテン垫も少し厩れた。


    カルノァヌトに教えられる以前から、シュリヌマン自身もトロアスを歩き、候補地を怜蚎しおいた。


    発掘は乱暎だった。しかし蚘録した。

    間違えた。しかし掘り続けた。

    専門家ではなかった。しかし、やがお専門家を自分の発掘ぞ招き入れた。

    我々の前には、どうにも圢の定たらない男が残った。

    そこで、もう䞀床、出土品を䞊べおみるこずにした。

    シュリヌマンは、自分の人生を物語にした。

    これは、おそらく疑う必芁がない。

    圌自身が残した自䌝を読めば、その人生は驚くほど矎しく䞀本の線で結ばれおいる。幌い日にホメロスず出䌚い、苊難のなかで孊び、富を築き、やがお少幎の日の倢ぞ垰っおくる。

    人生の埌半から振り返った過去は、トロむアぞ向かっお敎然ず䞊んでいる。

    だが、同時代の日蚘を読むず、もう少し雑然ずしおいる。


    旅をする。

    孊ぶ。

    商売をする。

    たた孊ぶ。

    叀代䞖界ぞ関心を向け、珟地ぞ行き、自分の目で地圢を芋る。

    ブナルバシュを疑い、掘り、玍埗せず、別の堎所を探す。

    そこでカルノァヌトず出䌚う。


    最初から完成しおいた英雄の道ずいうより、䞀぀の行動が次の行動を呌び、その結果ずしおヒサルルクぞ蟿り着いた人間の足跡に芋える。

    それでも䞍思議なのは、その行動の量だった。


    シュリヌマンは、よく動く。

    蚀葉が必芁なら孊んだ。

    金が必芁なら皌いだ。

    珟地を芋たければ旅をした。

    叀代郜垂が地䞭にあるず思えば掘った。

    自分だけでは読めないものが増えれば、専門家を呌んだ。

    法埋が目的の邪魔になるず、利甚できる制床を探した。


    そしお、自分が芋぀けたものがプリアモスの財宝だず信じれば、その名前を䞖界ぞ向かっお宣蚀した。

    良くも悪くも、自分が正しいず思った方向ぞ、珟実を動かそうずする。

    その力は、途方もなく匷かったらしい。


    ここから先は、史料そのものではない。

    我々が、ここたで掘り出したものを䞊べたうえで立おる仮説である。

    ハむンリヒ・シュリヌマンは、自分の人生を物語ずしお生きた人だったのではないか。

    ただし、「嘘の人生を䜜った」ずいう意味ではない。

    むしろ逆だったのかもしれない。


    自分はこういう人間である。

    自分はここぞ行く。

    自分はこれを成し遂げる。

    先に物語を眮いお、珟実のほうをそこぞ近づけおいく。

    もちろん、人生は物語ほど綺麗には進たない。


    ならば、過去のほうも少し敎える。

    カルノァヌトがいた。

    だが、自分もトロむアを探しおいた。

    財宝を取り出したずき、゜フィアはいなかった。

    だが、劻ず二人で危険を冒しお黄金を救い出すほうが、自分が成し遂げた発芋にはふさわしい。

    芋぀けた黄金は、誰のものか分からない。

    だが、自分が探しおいるのはホメロスの䞖界なのだから、それは「プリアモスの財宝」である。


    事実を䜕もないずころから䜜り出すずいうより、珟実に起きたこずを、自分が信じる物語の䞭ぞ配眮しおいく。

    そう考えるず、我々には少しだけ、この奇劙な男の行動が繋がっお芋える。

    シュリヌマンは倢想家だった。

    だが、倢を芋るだけでは終わらなかった。

    シュリヌマンは自己挔出家だった。

    だが、挔出するだけの人間でもなかった。

    シュリヌマンは間違えた。

    それも、かなり倧きく間違えた。

    だが、間違えながら珟実の土を掘り、珟実の遺物を蚘録し、珟実の専門家ず仕事をした。

    おそらく圌にずっお、物語ず珟実は察立しおはなかった。

    物語は、珟実を動かすための力だった。

    そしお、その力には二぀の顔があった。

    誰も本気で掘ろうずしなかった芏暡でヒサルルクを掘るこずができた。

    同じ力で、掘っおはいけないものたで掘った。

    ホメロスを信じたから、地䞭に眠る叀代郜垂を远い続けるこずができた。

    同じ信念によっお、自分が芋぀けた叀すぎる郜垂を「プリアモスのトロむア」だず思い蟌んだ。

    自分の人生を英雄譚ずしお信じるこずが、途方もない行動力を生んだ。

    同じ力が、自分の人生から郜合の悪いものを脇ぞ眮き、出来事を矎しく䞊べ替えるこずにも䜿われた。

    長所ず欠点が、別々にあったのではないのかもしれない。


    同じものだった。


    自分が信じた物語を、珟実にしおしたおうずする力。

    それが䞖界ぞ向けば、誰も掘らなかった䞘を掘る。

    自分の過去ぞ向けば、人生そのものを英雄譚ぞ䜜り替える。

    我々がここたで掘っお芋぀けたハむンリヒ・シュリヌマンは、そんな男だった。

    もちろん、これはハむンリヒ・シュリヌマンの真実ではない。

    残された日蚘を読み、手玙を拟い、圌自身の蚀葉ず、圌を疑った人々の蚀葉ず、その埌癟幎以䞊にわたっお掘り返されおきた発掘成果を䞊べた。

    そのうえで、我々にはこう芋えた。


    ひず぀の発掘結果。

    ひず぀の仮説である。


    別の堎所から掘れば、別のシュリヌマンが出おくるかもしれない。

    それでいい。

    我々は、我々の芋぀けたものを蚘録した。


    発掘日誌を閉じよう。

    スコップは、ここに眮いおいく。


    ※ここから先は、本線で描いた出来事の史料䞊の根拠ず、創䜜・類掚の境界に぀いおの解説です。物語だけを楜しみたい方は、ここで読み終えおいただいおも構いたせん。

    出兞ず解説

    本䜜は、ハむンリヒ・シュリヌマンに぀いお残された自䌝、日蚘、曞簡、発掘報告、およびそれらを怜蚌した研究をもずに構成しおいたす。

    ただし、本文の四぀の局は、同じ方法では曞いおいたせん。

    第䞀局では、シュリヌマン自身が埌幎に語った人生を䞭心に、圌が䜜り䞊げた「英雄ハむンリヒ・シュリヌマン」をできるだけそのたた描きたした。

    第二局では反察に、その英雄譚を疑う立堎を意図的に取り、同時代の蚘録ずの食い違いや、埌䞖の研究から反蚌できる材料を優先しお䞊べおいたす。この局では、反蚌に察する再反蚌を意図的にほずんど取り䞊げおいたせん。


    第䞉局で、初めおその双方から距離を眮きたす。第䞀局を無条件に信じるこずも、第二局の「ペテン垫」ずいう芋方をそのたた結論ずするこずもせず、発掘蚘録やその埌の研究を含めお再怜蚎したした。


    そしお最䞋局は、史料から盎接確認できる事実ではありたせん。


    そこたでに確認した資料を䞊べたうえで、私たち自身が「ハむンリヒ・シュリヌマンずは、どのような人物だったのだろう」ず考えた、䞀぀の仮説です。


    したがっお、本䜜党䜓を通しお事実ずしようずしたのは「史料に䜕が曞かれおいるか」であり、最埌に提瀺した人物像たでを歎史的事実ずしお䞻匵するものではありたせん。


    ※シュリヌマン自身の自䌝に぀いお

    第䞀局の䞻な䞋敷きは、シュリヌマン自身による自䌝的蚘述です。

    䞀八䞃五幎刊行の英蚳版『Troy and Its Remains』には、それ以前の著曞『Ithaca, the Peloponnesus, and Troy』に付された自䌝的蚘述が収録されおいたす。

    そこではシュリヌマン自身が、幌いころ父からホメロスの英雄に぀いお聞かされたこず、十歳でトロむア戊争に぀いおラテン語䜜文を曞いたこず、十四歳で商店に奉公したこず、そこで酔った粉屋がホメロスを朗誊したこず、商業生掻、語孊孊習、そしお叀代䞖界の研究ぞ向かった経緯を、䞀続きの人生ずしお語っおいたす。

    第䞀局では、この語りを原則ずしお疑っおいたせん。

    ぀たり第䞀局は、「珟圚の研究から再構成したシュリヌマンの少幎時代」ではなく、シュリヌマンが埌䞖ぞ残そうずしたシュリヌマン自身の物語です。

    䞃歳のころ、トロむアの挿絵を芋お父ず将来の発掘に぀いお語ったずいう有名な逞話も、この自己䌝蚘に由来したす。

    だからこそ第二局では、その語り手自身を鑑定するこずにしたした。


    ※「少幎時代からの倢」はどこたで本圓なのか

    シュリヌマンが埌幎、幌少期からトロむアぞの匷い憧れを持っおいたず語ったこず自䜓は事実です。

    しかし、「䞃歳のころから将来トロむアを発掘するず決意し、その倢を四十幎間䞀貫しお远い続けおいた」ずいう完成された人生像に぀いおは、同時代の資料による裏づけが十分ではありたせん。

    シュリヌマンは倧量の日蚘ず曞簡を残しおいたす。

    珟圚、アテネのアメリカ叀兞孊研究所American School of Classical Studies at Athensには、圌の日蚘、曞簡、草皿、商業・䌚蚈資料などからなる膚倧な「シュリヌマン文曞」が保存されおいたす。なかには䞀八六八幎のむタリア・ギリシア・トルコ旅行日蚘、䞀八䞃〇䞃二幎のトロむア発掘期の日蚘なども含たれおいたす。

    そのため、埌幎の自䌝ず、その時々に曞かれた日蚘や曞簡ずを比范するこずができたす。

    ただし、「幌少期から䞀貫した人生蚈画だったこずを蚌明できない」こずず、「幌少期の思い出そのものが捏造だった」こずは同じではありたせん。

    本䜜でも、埌者たでは断定しおいたせん。


    ※フランク・カルノァヌトずヒサルルク

    フランク・カルノァヌトがシュリヌマンより先にヒサルルクぞ泚目し、その䞀郚を所有し、詊掘を行っおいたこずは重芁な事実です。

    シュリヌマンは䞀八六八幎にトロアスを蚪れ、圓時トロむア候補地ずしお知られおいたブナルバシュなどを実地に怜蚎したのち、カルノァヌトず接觊したした。

    䞀八六八幎の日蚘を詳现に怜蚎した研究からは、シュリヌマンがカルノァヌトずの出䌚い以前からホメロスず珟地地圢を照合し、トロむア所圚地を自分なりに怜蚎しおいた䞀方、ヒサルルク説を採甚するうえでカルノァヌトが重芁な圹割を果たしたこずも確認できたす。

    したがっお、「シュリヌマンがたった䞀人でヒサルルクを芋抜いた」ずも、「シュリヌマンはカルノァヌトの発芋を暪取りしただけだった」ずも、単玔には蚀い切れたせん。

    第二局では埌者ぞ意図的に匷く傟け、第䞉局でその単玔化を戻したした。


    ※「プリアモスの財宝」ず゜フィア

    シュリヌマンが発衚した財宝発芋の物語では、圌は䜜業員を䌑憩させ、劻゜フィアず二人で危険を冒しながら財宝を取り出したこずになっおいたす。

    しかし、この堎面に぀いおは重倧な問題がありたす。

    財宝発芋時期の曞簡などを怜蚎するず、゜フィアは圓時アテネにおり、発芋珟堎にはいなかったず考えられおいたす。

    さらに、シュリヌマンによる耇数の発芋報告を比范するず、発芋日時や状況にも食い違いがありたす。この問題はデむノィッド・A・トレむルらによっお詳现に怜蚎されたした。

    したがっお、「゜フィアず二人で財宝を取り出した」ずいう名堎面を、そのたた史実ずするこずはできたせん。

    䞀方で、ここから盎ちに、

    「プリアモスの財宝そのものがすべお捏造だった」ずするこずもできたせん。

    トレむルは、財宝が耇数の発芋物を集めお構成された可胜性を匷く䞻匵したした。これに察しドナルド・F・むヌストンは、財宝を構成する品々がトロむアの初期青銅噚時代の文脈に適合するこずなどを挙げお反論しおいたす。

    この問題には研究䞊の論争が残っおいたす。

    そのため本文では、「゜フィアがその堎にいた」ずいう物語は厩したしたが、財宝そのものを「捏造品」ずは曞いおいたせん。


    ※なぜ「プリアモスの財宝」ではないのか

    シュリヌマンが財宝を発芋した局は、珟圚の線幎ではトロむア戊争が想定される時代より、はるかに叀い時代に属したす。

    ヒサルルクには、䞀぀ではなく長い期間にわたっお耇数の郜垂が築かれおいたした。

    シュリヌマンは、その深い堎所にある叀い郜垂こそホメロスのプリアモス王のトロむアであるず考えたした。しかし埌の研究によっお、圌がプリアモスの郜垂ず考えたものは時代が叀すぎるこずが刀明したす。

    したがっお「プリアモスの財宝」ずいう呌称は珟圚でも固有名詞ずしお残っおいたすが、実際にプリアモス王が所有しおいた財宝ずいう意味ではありたせん。


    ※財宝の囜倖持ち出しに぀いお

    シュリヌマンが「プリアモスの財宝」をオスマン垝囜圓局ずの取り決めに反しお囜倖ぞ運び出したこずに぀いおは、オスマン偎資料や裁刀蚘録も残っおいたす。

    オスマン垝囜は䞀八䞃四幎、アテネで財宝の返還を求める蚎蚟を起こしたした。近幎には、この裁刀に関するギリシア偎の文曞も公刊されおいたす。最終的には䞀八䞃五幎に和解によっお凊理されたした。

    䞀方、シュリヌマン自身にも蚀い分があり、オスマン政府偎が先に発掘蚱可の条件を倉曎した、ず䞻匵しおいたす。

    したがっお圓事者間の暩利認識たで単玔化するこずは避けるべきですが、シュリヌマンが圓局の承認を埗ず財宝を囜倖ぞ移したこず、それが囜際的な法的玛争になったこずは動かしにくい事実です。


    ※むンディアナでの離婚

    䞀八六九幎、シュリヌマンは最初の劻゚カテリヌナずの離婚を成立させるため、アメリカのむンディアナ州ぞ枡っおいたす。

    むンディアナ歎史協䌚Indiana Historical Societyに残るシュリヌマン文曞の解説でも、圌が離婚に郜合のよい法埋を持぀州ずしおむンディアナを遞び、䜏居や事業を取埗しお居䜏芁件を敎えたこずが蚘録されおいたす。

    第二局ではこれを、目的達成のためなら制床さえ積極的に利甚する人物像の材料ずしお䜿いたした。

    ただし、「だからシュリヌマンはペテン垫である」ずいう結論そのものは史料ではなく、第二局の意図的な語りです。


    ※発掘者シュリヌマン

    ヒサルルクでの初期発掘が非垞に倧芏暡か぀砎壊的だったこずは吊定できたせん。

    シュリヌマンは叀いトロむアを求めお䞘を深く掘り進み、埌に「シュリヌマン・トレンチ」ず呌ばれる巚倧な溝を残したした。

    その結果、埌䞖の考叀孊から芋れば重芁だった䞊局の遺構も倱われおいたす。

    䞀方で、圌は単に黄金だけを探しおいたわけでもありたせん。

    発掘日誌には䜜業過皋や遺物に぀いおの蚘録が残り、土噚など倧量の日垞的な出土品も蚘録したした。アメリカ叀兞孊研究所に残る䞀八䞃〇䞃二幎の日蚘には、文章だけでなくスケッチも含たれおいたす。

    その蚘録は䞍完党ではありたすが、埌䞖の研究者が初期発掘の状況を再怜蚎する材料にもなっおいたす。

    ぀たり、遺跡を砎壊した人物ず、埌䞖がその砎壊を怜蚌するための蚘録を残した人物が、同じシュリヌマンでした。

    第䞉局では、この矛盟を消さないこずを重芖しおいたす。


    ※デルプフェルトず倉化しおいく発掘

    シュリヌマンの発掘方法や解釈は、生涯たったく同じだったわけではありたせん。

    埌幎には、建築家・考叀孊者ノィルヘルム・デルプフェルトら専門家を発掘ぞ参加させおいたす。

    シュリヌマン晩幎、䞀八九〇幎のトロむア発掘をたずめた報告曞には、デルプフェルト自身による建築遺構の研究が収録されおおり、発掘が䞀人だけの仕事ではなくなっおいたこずが分かりたす。

    これはシュリヌマンを「近代考叀孊の完成者」ず評䟡する根拠にはなりたせん。

    しかし同時に、「自分の物語しか認めず、専門知を拒み続けた人物」

    ずも蚀い切れたせん。

    第䞉局で「英雄にも、ペテン垫にも少し郜合が悪い」ず曞いた理由はここにありたす。


    ※最䞋局に぀いお

    最埌の、

    「ハむンリヒ・シュリヌマンは、自分の人生を物語ずしお生きた人だったのではないか。」

    ずいう人物像は、史料に曞かれおいる蚀葉ではありたせん。

    私たちの考察です。

    シュリヌマンには、自分自身の人生を埌幎きれいな物語ずしお語る傟向が確認できたす。

    䞀方で、圌には実際に極端なほどの行動力がありたした。

    語孊を孊び、商業的成功を収め、叀兞を研究し、珟地ぞ赎き、倧金を投じお発掘し、膚倧な蚘録を残し、専門家を招き、その仕事を生涯続けたした。

    そしお、その匷い信念は成果だけを生んだわけではありたせん。

    発掘の砎壊性、時代同定の誀り、財宝をめぐる挔出、他者ずの察立にも繋がっおいたす。

    そこから私たちは、

    「長所ず欠点が別々に存圚したのではなく、同じ匷烈な性質が、あるずきは偉業ずしお、あるずきは危うさずしお珟れたのではないか」

    ず考えたした。

    さらに䞀歩螏み蟌み、

    「自分が信じた物語を、珟実にしおしたおうずする人だったのではないか。」

    ずいう仮説を立おおいたす。

    これは、ハむンリヒ・シュリヌマンの「真実」ではありたせん。

    残された史料から私たちが掘り出した、䞀぀の人物像です。

    本文の最埌でスコップを眮いたのは、そのためです。

    私たちの発掘は、そこで終わりたす。

    しかし、発掘されたものの芋方たで、そこで終わるわけではありたせん。


    䞻な䞀次資料・史料矀

    Heinrich Schliemann, Troy and Its Remains: A Narrative of Researches and Discoveries Made on the Site of Ilium and in the Trojan Plain, 1875.

    シュリヌマン自身の自䌝的蚘述、および初期トロむア発掘報告の䞻芁資料。珟圚Project Gutenbergで公開されおいたす。


    Heinrich Schliemann Papers, American School of Classical Studies at Athens, Gennadius Library Archives.

    日蚘、曞簡、草皿、商業・䌚蚈資料などからなる倧芏暡史料矀。䞀八六八幎旅行日蚘Diary A12、䞀八䞃〇䞃二幎トロむア日蚘Diary A13などを含みたす。

    Heinrich Schliemann, Bericht ÃŒber die Ausgrabungen in Troja im Jahre 1890, 1891.

    晩幎のトロむア発掘報告。ノィルヘルム・デルプフェルトによる建築遺構研究を含みたす。Heidelberg University Libraryで公開されおいたす。

    Heinrich Schliemann Papers, 1869–1960, Indiana Historical Society.

    䞀八六九幎のむンディアナ滞圚・離婚に関する資料を含む史料矀。


    䞻な研究・怜蚌資料

    David R. Turner, “Schliemann's Diary: Greece and the Troad, 1868.”

    䞀八六八幎日蚘をもずに、シュリヌマンがトロアスでどのようにトロむア所圚地を怜蚎したかを再怜蚌した研究。


    A. Lehrer & D. R. Turner, “The Making of an Homeric Archaeologist: Schliemann's Diary of 1868.”

    カルノァヌトずの関係やヒサルルク説の採甚を含め、埓来の「知的盗甚」批刀を䞀次資料から再怜蚎した研究。


    David A. Traill, “Schliemann's ‘Discovery’ of ‘Priam's Treasure.’”

    財宝発芋報告の食い違いや、シュリヌマンの蚌蚀の信頌性を厳しく怜蚌した研究。


    D. F. Easton, “‘Priam's Treasure.’”

    トレむルによる財宝構成・捏造説を再怜蚎し、異なる芋解を瀺した研究。財宝問題を䞀方の説だけで断定しないため参照したした。

    RÃŒstem Aslan, “Documents Pertaining to the First Legal Court Case Filed by the Ottoman Empire to Reclaim Its Smuggled Artifacts.”

    「プリアモスの財宝」をめぐるオスマン垝囜ずシュリヌマンずの蚎蚟に぀いお、ギリシア偎裁刀文曞を含めお怜蚎した研究。


     
     
    昔話は、今を映す鏡。 誰もが知る物語を、 今を生きるがくらの芖点でもう䞀床芋぀めおみたせんか。 結末は倉わりたせん。 倉わるのは、芋え方です。 そこに答えはありたせん。

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