
「どうせなら幸せ脳でいたい」って話

普通にわりと悪いこともしてなくても理不尽な事が多いこの世の中。
嫌な事もたくさんある。
もしくは何も変わらないつまらない日々を感じている人もいるかもしれない。
変わらない日常や変わらない現実。
どうせなら”少しでも幸せ”と感じれる方が良くない?
今日はそんな考え方のお話。

誰かから「嫌な事」を言われたりされたら、思い出してほしい事
誰でも嫌な事されて『何でこんな嫌がらせされなきゃいけないの?私(僕)の事、嫌いなの?』って思ったりすることありますよね。
でも思い出してほしい。
自分が誰かを傷つけてしまった時って、わりと『そんなつもりない』無意識でやってること多くないですか?
”たまたま”とか”誤解”とか。
意識的に意図的に復讐みたいな感じとかあるかもですが、
そういう時じゃなければ大抵は『無意識に傷つけてしまっている不可抗力』が多いと思います。
逆に自分が誰かを喜ばせたい時とかってどうしてますか?
「お礼を言いたい」「何かしてあげたい」など
誰かを喜んでほしいとか笑顔にしたいって思う時は
わりと意識的に意図的に頭の中で考えて言動にうつしてますよね?
もちろん、もう体に染みついてて無意識で行っている行動もあるかもしれませんが、そうなるまでには最初は意識してたと思います。
そう考えると誰かを喜ばせたかった。笑顔にしたかった。という思いからの言動は『意識的に喜ばせようとした善意(優しい)の気持ちから』が多いと思います。
つまり、その受けた「嫌な事」が「誤解」や「たまたま」、「有難迷惑(善意の空回り)」かもしれませんよね。
そうだとしたら、この嫌な出来事も『相手は「悪意」全開で自分に仕向けてきた!!!(怒』って思わなくても良いんです。
確かにおせっかいや善意の押し付けだとしても
これも自分勝手な押し付けなので不快な事も多いし、
どんな内容であれ「自分がされて嫌な事」は「無理に許す必要は無い」し
「嫌なものは嫌」で良いと思います。
大事なのは自分の心に対して「100辛い」の感情が「80辛い」にでも数値が下がれば『自分の心の負担が軽くなる』という事。
それは起きてしまった事実は変わらないけど、
その後のモノの見かたで自分の心にも相手にも優しい見方が出来る優しい世界になるという事
これを頭の片隅に置いておくと
ほんの少しだけ「幸せ脳」でいられますよね^^


