
もう少し自己中になっていい、とHSPのにわとりは思う
人と長時間一緒にいると、ある瞬間から電池が切れてしまう。
本当に急に、ムリになってしまうのだ。
私がまだ小学生だったある日、遠方から従姉妹が遊びに来ることになった。
彼女を精一杯楽しませようと、私は小学生なりに、綿密に計画を練った。
ドライバーとして、親も勝手に計画に追加。
親族で唯一の女の子同士、なんとしても有意義な時間にしたかったのだ。
ところが当日。
最初は良かったものの、
時間が経つにつれ、私のようすがおかしくなった。
頭が回らなくなって、「電池が切れて」しまったのだ。
いとこからの問いかけに、
「うん。…うん。」
と返事を返すので精一杯。
顔は無表情だったと思う。
車を運転している親も、心配そうにこちらを見ている。
もっと楽しいところを案内してあげたいのに。
機嫌が悪そうに見えたかもしれない。
いとこから、だんだん笑顔が消えていく。
結局その日、私が回復することはなかった。
これが私の、覚えている限り最初の、自分への違和感だ。
大人になってから知ったのだが、この世界には「HSP」と呼ばれる、感受性が高い人間が一定数いるようだ。
これは病名ではなく、性質・傾向の話だ。医者から診断されたわけではない。でも、いろんな本で調べてみても、自分は明らかにこれに当てはまっていた。
長年の謎が解けた気がする。
いとこが遊びに来たとき、電池が切れたのもそう。
うるさい場所、人が多い場所でやたらと疲弊するのも、これだったのだ。
人間のある一定の傾向ということは、私はおかしな人間(にわとりだが)ではなかった。
それがわかっただけでもひと安心だった。
しかも20代後半になってくると、それが少しずつ楽になってきた。
なぜか?
なんとなく20代後半にもなれば、
人生の経験や自我が確立されて、生きるのがうまくなってきた、という理由が大きい気がする。
それから少し、自己中になったからかも。
自己中とはどういう意味か。
それは、普通よりも意識的に、手間をかけて自分を守るということだ。
例えばこんな感じ。
①人間関係
まだ若かりし頃のにわとりは、
「もしかして今後の人生に必要なことなのでは」
と、人の集まりにはできるだけ参加したりしていた。
でも消耗しきった状態で誰かと一緒にいても、何も得られない。
参加したくない集まりには、きっぱり参加しない。
参加するとしても、早めに帰る。
「このあと予定があるので、お先に失礼します!」
これだけでかなり、精神の消耗を減らすことができる。
さらに、私には友達がいない。
これがいいのか悪いのかは一旦さておき、人と接触する時間が少ないので、わりと正気のまま生活できるようになった。
思い切って人付き合いを制限するのは、かなり有効だと思う。
②音のシャットダウン
次に、周囲からの音問題。
人の話し声や、車の音、お店のBGM、などなど…。
私はこれらにかなり疲れてしまうタチなのだ。
そこで対策を調べてみると、
今はYouTubeなんかで、周囲の音を掻き消してくれるようなノイズをあえて流せる音源などがアップされている。
これを「ホワイトノイズ」というらしい。
ノイズキャンセリングのイヤホンなんかもあるけれど、
常時聞こえないと、少々あぶない気もする。
なので私は騒音を感じたら、イヤホンでこれを聴くようにしている。これだけでもかなり違う。
③度の合わないメガネ
ふだん、あえて、度が少し合っていないメガネをかけている。
なんでそんなことすんねん、という声が聞こえてきそうだが、
私は「文字の情報」にも疲れるということが、最近わかったからだ。
文字の情報とは、街に溢れるお店の看板や、ポスターなどのこと。
目に入ってくれば勝手に読んでしまう。
お店がたくさん並んだ場所や駅付近は、少し歩いただけで、頭の中がパンパンになるのだ。
そこで活躍するのが、少々度の合ってないメガネ。
見えすぎないので、周りの文字を読むことができなくなる。
情報が入ってこないので、頭の疲労が軽減されるのだ。
これのおかげで、家に帰ってグッタリすることがかなり減った。
見えないとあぶない気もしなくはないが、サングラスをかけるよりはマシだと言い聞かせている。
それにいつも通る道だけなので大丈夫。
どこに何があるかを覚えているので、今のところ危険な目にあったことはない。

ちなみにちゃんと見えるメガネも所持しているのでご安心を。
他人は思っているよりも、自分のことを気にしてない
「人は他人のことを気にしていない。だからそんなに悩まなくていい!」
そうは言っても、会話をしているその最中は、誰だって相手のことを気にしている。
それが気になるんじゃないか!
そんなふうに思っていた。
でも、20代後半になってみて思う。
本当に、マジで、心から、誰も私のことを気にしていない。
みんな忙しいのだ。
仕事のこと、お金のこと、人間関係のこと、将来のこと。
特に大人になるにつれて、考えなきゃいけないことも多くなる。
私がちょっとくらい失言したって、誰も気に留めていない。
すぐに忘れるのだ。
逆に、ずっと根に持っているような人はヒマ人だ。
口が悪いけれど、そんな人と仲良くする必要も、そもそもないのだ。
これに納得できた瞬間から、他人の気持ちを必要以上に深追いするクセがなくなった。
かなり楽だ。
自分の人生にも集中できて、一石二鳥。
現代にHSPのわたしたちが存在する意味とは?
その昔、人間が狩りをしていた頃。
今よりも遥かに危険と隣り合わせのなかで、
わずかな物音、かすかな気配に気付くタイプの人間がいたそうだ。
それが今で言う、HSP気質の人たちだったのだ。
…と、本で読んだ。
いち早く異変を察知する能力は、狩りの時代に必要不可欠だったのだ。
では、危険が遥かに少なくなった今。
現代に、HSP気質の私たちが存在する意味はなんだろう?と考えてみる。
もう外敵がいないのだから、心の弱い私たちは不必要なのだろうか。
SNSやAIが、私たちの複雑な感情を、均一にしていくこれからの時代。
もしかすると、人の気持ちを繊細に察知できる私たちは、むしろ活躍できるんじゃないのかと、私は思う。
表からはよく見えない人の感情に気付くことができるのは、私たちだけかもしれない。
むしろ今、私たちが必要なのだ。そんな気がしている。
だから、自分を守ることはわがままじゃない。
今、過去の私と同じく生きづらい気がしているのなら、もう少し自己中になってみてもいいのかもしれない。
私たちの感性にも、ちゃんと価値があるはずだ。
ここまで読んでくれたあなた、どうもありがとう。
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