
編集部はAI作家を起用するのか
「AIで小説を書きました」
「AI小説が新人賞を受賞した」
「新人賞の応募総数が増えたのはAIの影響では?」
そんな話題を目にすることが随分増えた。
もし私が出版社の編集者だったとして、
AIを主体に作られた小説を新人賞で受賞させるかと聞かれたら、
かなり慎重になると思う。
理由は、作品の善し悪しだけではない。
その人が、受賞後も作家として仕事を続けられるのか。
そこが見えにくいからだ。
※私はイラストレーターであり、出版社の編集者ではない。
なので、ここから先はあくまで想像の話になる。
逆に、編集者や作家など、別の立場からの意見も聞いてみたい。
新人賞は作品を選んでいるようで、
作家を選んでいる
新人賞は、一作だけを評価する場ではないと思う。
受賞後には次回作がある。二作目、三作目がある。
一作当てて終わりではなく、その先も一緒に仕事をしていく。
だから編集部は、作品を読みながら、たぶん別のことも見ている。
この人は今後も書き続けるだろうか。
修正に対応できるだろうか。
作品について話し合えるだろうか。
締切を守れるだろうか。
長い付き合いができる人だろうか。
何年もかけて小説を書き続け、
ようやく新人賞にたどり着いた人なら、
継続的な執筆はある程度は期待できる。
もちろん保証はない。
何年も書いてきた人が、受賞後に急に書けなくなることもある。
作家として優秀でも、人間として付き合いやすいとは限らない。
それでも少なくとも、その人には書き続けてきた実績がある。
書いて、直して、また書いて。
うまくいかなくても続けてきた。
新人賞に届くくらいのレベルまで、長い時間をかけて文章と付き合ってきたという事実がある。
一方で、AIを主体にして短期間で作品を作った応募者の場合、
編集部は別の不安を抱くと思う。
「受賞後も、本当に書くのだろうか。賞金を受け取って終わりじゃないか」
問題は「AIを使ったか」ではない
AIを使うといっても、いろいろある。
構成の整理に使う人。
資料調査に使う人。
書いた文章への感想を聞く人。
文章そのものを生成してもらい、そこから選ぶ人。
自分で考えた物語を、自分で書く。
その途中でAIを補助として使う。
これは、そこまで問題ではないと思う。
一方で、AIに生成させて、その中から良さそうなものを選ぶ。
気に入らない箇所があれば、また生成する。
全体の調整も、なるべくAIにやらせる。
そうなると、編集部としては不安になると思う。
この人は作品を作っているのか。
それとも、生成結果を選んでいるだけなのか。
もちろん、「選ぶことも作家性だ」と言うことはできる。
実際、何を残し、何を捨てるかは重要だ。
編集も創作の一部だ。
商業作家には、もう少し別の能力も必要になる。
なぜこの場面が必要なのか。
このキャラクターは何を考えているのか。
この台詞は何を守るためにあるのか。
どこを変えてよくて、どこを変えてはいけないのか。
作品について、編集者と一緒に考えなければならない。
文章を出せるだけでは足りない。
AI作品が増えることへの懸念
もし新人賞で、
AI主体の作品を積極的に受賞させるようになったらどうなるだろう。
おそらく、その後、その賞では
大量のAI作品が応募されるようになる。
すでに、そうなりつつあるのかもしれない。
もちろん、その中には優れた作品もあるだろう。
ただ、選考側からすれば、負担はかなり増える。
新人賞は、ただでさえ膨大な応募作を読む。
そこにAIで大量生成された作品が流れ込めば、選考コストはさらに上がる。
編集部としては、「本当に作家になりたい人」を探したいのであって、
「大量生成して当たりを引きたい人」の原稿を
延々と読みたいわけではないと思う。
あと単純に、AI生成の文章を読む労働は、
まだ心が追いついていない人が多いと思う。
下読みの人、編集部の人、審査員の作家。
死に物狂いで文章に携わり、なんとか仕事を得た人たちだ。
新人賞に応募する人は、かわいい後輩たち、仲間だと思うから、
拙い文章でも読めるし、親近感がわく。
一方で、AI生成の文章を、たくさんの時間をかけて読む。
なぜかすごく虚しくて疲れる。
そんな人も多いと思う。
だけど、大切なのは面白い作品であって、
人が書いたか、AIが書いたかではない。
そう言い聞かせて、結果、AI作品が受賞することもあるだろう。
そうして、AI作家と担当編集の会話が始まる。
担当「この一行の意図は?」
作家「生成したら出ました。
全体の流れとして自然かなと思って採用しました」
担当「状況把握としては良いかもしれないけど、
表現したい方向によっては、説明的すぎるかも」
作家「じゃあ削ります」
担当「削っただけではダメです。
何を表現するために削るかの意図がないと」
作家「表現したいのは、主人公の感情のリアリティかな」
担当「では、どう削ります?」
作家「主人公の感情がよりリアルになるように、削って整えて、と」
なんか、つまらない。
理屈じゃない。気持ちの問題。
この作家が悪い人だという話ではない。
真面目に作品を作っているかもしれない。
何度も試行錯誤しているかもしれない。
ただ、担当編集としては困ると思う。
直したいのは、表面の文章だけではない。
作品の中心にある考え方まで含めて、一緒に調整したいからだ。
編集者が丁寧に読んで、作品の意図を探る。
その修正指示を、作家がAIに入力する。
出てきた案から、また良さそうなものを選ぶ。
それを繰り返していく。
すると、担当編集は途中で思うかもしれない。
「この作家でなければならない理由と、
担当が私である理由はどこにあるのだろう」
商業小説は作家だけのものではない。
編集担当と一緒に作り上げていくものだ。と思う。
「全部覚えているか」より、「責任を持てるか」
作家は、自分が書いた文章を一字一句覚えていなければならない。
そこまで言うつもりはない。
作品の作り方はいろいろある。
細部まで記憶している人もいれば、書いたそばから忘れる人もいる。
大量に書く人もいれば、何年もかけて一冊を書く人もいる。
どれが正しいとは言えない。
ただ、少なくとも、自分の作品について説明はできた方がいい。
なぜこの場面があるのか。
何を読者に感じてほしいのか。
どこを変えたら作品が壊れるのか。
逆に、どこなら柔軟に変えられるのか。
全部を暗記している必要はない。
でも、作品に責任を持つ必要はある。
これはAIを使うかどうかに限らない。
人間が全部手書きしていても、修正を嫌がる。
自分の意図を説明できない。
締切を守らない。
編集者の話を聞かない。
そういう人なら、普通に困る。
逆に、AIを使っていても、自分の作品を理解し、
修正の意図を考え、最後まで責任を持てるなら、
仕事はできると思う。
問題は、AIを使ったかどうかではない。
作者が作品の中心にいるかどうかだ。
AIは才能の代替ではなく、増幅装置
私は
「書けない人がAIを使えば作家になれる」
とは思えない。
AIが本当に強力になるのは、もともと書ける人が使った時だと思う。
構成を整理する。
資料を調査する。
矛盾をチェックする。
壁打ちをする。
そうした作業をAIが補助することで、
作家はより多くの時間を創作そのものに使える。
弱い作家を自動的に強くするというより、
強い作家をさらに強くする。
AIは、そういう道具なんじゃないだろうか。
だからAIを使っていること自体は問題ではない。
問題なのは、「AIがなければ何も出てこない人なのか」だと思う。
AIには再現性の問題もある
もうひとつ気になるのは、AIそのものが変化することだ。
AIは定期的にアップデートされ、出力の傾向が変わる。
去年と同じ作品を作ろうとしても、同じようにはいかない可能性がある。
もちろん、人間の作家だって変わる。
去年と同じ文章を、今年も書けるとは限らない。
経験を積めば文体も変わる。
考え方も変わる。
ただ、人間の変化はグラデーションだ。
一方で、AIは土台そのものが変わることがある。
人気シリーズを続けるには、ある程度の品質を維持しなければならない。
キャラクターの声。
作品の空気。
会話のテンポ。
文章の癖。
そうしたものをAIに大きく依存していると、
モデルの更新によって作品の感触が変わる可能性がある。
編集部からすれば、不安要素だと思う。
やはり、総合的に考えると、
同じレベルの作品が並んだなら、
自分で文章を書き上げる作家を選びたくなるのは自然だと思う。
最後に
結局のところ、編集部が見ているのはAIではないと思う。
その人が何を書きたいのか。
何に執着しているのか。
どんな世界を見ているのか。
今後も書き続けるのか。
修正に向き合えるのか。
作品に責任を持てるのか。
さらに言えば、
その作家と
今を、未来を、一緒に過ごしたいか。
行く末を見ていきたいか。
結局はその人自身の魅力がとても大きいと思う。
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ちなみにトップバナーのイラストは私が描いたものですが
note記事内でしたらご利用いただいてOKです。


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