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「霊」と「魂」、二つの「魂」を区別できますか:「戦後」80年の貧困との決別

    「大和民族の気魂」に戻ってみる

    明治以降、戦時中に至るまで日本人の精神を支えてきた言葉に、「大和民族の気魂」(「気魂」とは「たましい」「精神」のこと)がある。第2次世界大戦末期、天皇臣民に軍民問わず、米軍侵略の際には徹底抗戦を命じそれがかなわない場合には、自害や集団自決を唯一の選択肢として臣民を主導した日本特有の精神論である。

    さてこの「大和民族の気魂」をアラビア語に訳してみよう。「気魂」の正体を理解するためである。翻訳の精度を飛躍的に上げているChatGPTが解説とともに示したのは、次の3つである。

    ① الشعب الياباني وروحه 直訳:日本民族とその魂/精神。シンプルで意味は通じますが、「気概・独自性」をやや弱める印象
    ② روح الأمة اليابانية 直訳:日本民族の魂/精神。「民族の魂」というニュアンスが強く、イデオロギー的表現に近い。
    ③ الروح القومية للشعب الياباني 直訳:日本民族の国家的/民族的精神。「国体保持のイデオロギー」という歴史的ニュアンスも少し反映されます。

    ChatGPTによる翻訳

    かなり丁寧な翻訳例である。「大和民族の部分」についても、民族、共同体、国民国家の使い分けが施されている。ちなみに、グーグル翻訳では

     روح شعب ياماتو (直訳:日本民族の魂)という訳が示された。 

    魂はルーフか

    ここで注目したいのが、太字で示した「ルーフ(روح)」=アラビア語:「霊」)という言葉だ。上に示したすべての訳において、「気魂」の訳語にあてられている。それがもし「魂」であったとしても「ルーフ」の語があてられることになるであろう。
    ところが、この「ルーフ」、アラビア語、とりわけクルアーンにおいて、実は、「気魂」あるいは「魂」とは似ても似つかぬものだ。なぜならば、「ルーフ」は、アッラーが御自身の「霊」をご自身でにすべての人間たちに吹き込んだものだからである。(「アッサジダ章」第9節)。
    しかも、わかっていることはほんのわずかだともされる。人々に問われたら、そう答えよというのがアッラーからの啓示である。
    言ってやるがよい「「ルーフは、私の主の事柄の一部から。あなたがたが知りうることはほんの少ししかない」》(夜の旅章85節)。

    天と地と

    ここにいう「私の主」とはアッラーのことだが、彼は、万人万有の主であり、その存在は宇宙をも包括する。その主の「ルーフ」でもある「ルーフ」は「天」からの授かりもの。「霊」と訳されるべきものなのだ。
    これに対して「魂」の方は、圧倒的に地から産まれてきたもの。「大和民族の気魂」がそうであるように、大和の国に住む人なり日本人なりと切り離すことはできない。明治以降は國体、すなわち天皇制ナショナリズムを維持するイデオロギーとしても機能した。
    そうであるにもかかわらず、アラビア語に訳そうとすると、「魂」のところにこの「ルーフ」の語があてがわれしまうのだ。

     「ルーフ」のありよう

    それでは「ルーフ」とはいったい何なのか、5つの特徴を持つものとして整理できる。

    普遍性:

    民族や時代、土地といったものからの制約を一切受けない精神性を有する。特定の文化や国家の利害に縛られずに人類全体の正義や平和を志向する。民族の誇りや愛国心ではなく、人類の共通善、普遍的な福利の実現を志向する。

    内発性:

    自己の内面の研鑽や成長を促す。土着的な魂が、伝統や集団に依存するのに対して、ルーフは個人の内的努力・知性・道徳的判断によって高められる。個人の良心や理性の成長は、狭隘な民族中心主義を超えることにつながる。

    天賦性:

    クルアーン的な文脈にしたがえば、まさにアッラーが各人に吹き込んでいるのがこのルーフ。それは、信じている、いないに関係がない。ルーフは天使でもあり、天使はアッラーの命令に一切逆らわない。アッラーの御心のままに生きるという方向性。民族的・排他的な視点を超え、全人類的な共感・成宜・慈悲を可能にする。

    創造性:

    アッラーの創造は、刻一刻一瞬たりとも泊まることはない。つまりそれを個人のレベルに落とし込んで行動のもととなりうるのがルーフでもある。伝統維持、國体(天皇を頂点とする国のあり方)維持に使われた「大和民族の気魂」をより普遍的な秩序に昇華できるのもルーフである。

    天使性:

    イスラーム神学では、「ルーフ」に光の皮を被った存在が天使であるとされる。アッラーの命令に一切違反しないのが天使。ルーフが吹き込まれている以上、いかなる人であっても、天使的振舞い、たとえば、他人に対する親切、善行を行なうことになる。

    貧困の克服

    つまり、「ルーフ」は、「気魂」が指す「魂」と比べると、土着的でも民族中心的でもないのだ。
    それは、普遍的で一人一人の内的成熟に寄り添い、創造主の導きに裏打ちされていて、創造的精神の発現にもつながる「霊」あるいは「霊的なるもの」なのだ。
    したがって、「霊」のないところで「気魂」の代わりを、求めようとすると、精神を骨抜きにされた、学歴主義や、拝金主義、自己犠牲をよしとする効率主義、業績主義といったものに日本人の精神性は席捲されてしまう。
    スポーツの根性論は、体罰の禁止とも相俟って、科学的なトレーニング・多角度からのデータ分析に席を譲り渡している。
    いずれにしても、「魂」にすっかり目隠しされてしまって、「ルーフ」を知らなければ、高めようにも高められない。言葉なきところに存在なしだ。

    普遍的で一人一人の内的指針としての「ルーフ」の光を取り戻す努力をこの国の人々がしていれば、もう少し状況は変わっていたのかもしれない。戦後80年たっても、8月15日の戦没者慰霊際の総理大臣式辞に「反省」という言葉を入れるかどうかぐらいでしか先の戦争を振り返ることができず、非核も恒久平和もすべての言葉が空虚に聞こえる。魂の暴走の芽を摘むために、まずはこの戦後日本人の精神の貧困の克服が求められる。 

    310万人の犠牲者

    ところで、「ルーフ」の考え方には、一人一人が創造主造物主から生を享けているという大前提がある。この世に生まれたというただそのことだけで何ものにも代えがたい価値があるのだ。人間は何者でなくても、何者にならなくても、ただ人間として生きていけるはずのものなのだ。そこには民族や人種、社会階層などにより差別も区別もない。アッラーの前に人間はみな平等だ。
    したがって、基本的に生殺与奪の権を人間が持つことはない。戦争であるいは戦争に巻き込まれて亡くなることは、そもそもこの大前提に反する。国民を臣民として集団自決まで迫った大和民族の気魂も、原爆の威力を知りながらも投下に踏み切った決定も、この原則に真っ向から対立するものであることは明らかだ。
    太平洋戦争で日本が出した犠牲者は310万人だとされる[1]。キーウの人口が、295万人[2]、ガザ地区の人口は2030年にはが310万人[3]に達するとされたが、イスラエルとの戦争で5万5千人が亡くなり、人口は210万人に減ったとされる[4]。そこに住む人々は日本がかつて出した犠牲の入り口に足を踏み入れたとも言いうるのだ。同じ愚を繰り返してはならない。日本は、民族の気魂の戦争で、そしてヒロシマ・ナガサキで学んだのではないのか?今もって「魂」の暴走が止まらない。

    哀悼の誠

    たしかに非武装化は一つのアイディアであろう。しかし、それは、日本国憲法前文に言う信頼のできる、平和を愛する諸国民の公正と信義に恵まれた場合にのみ成り立つという指摘がある。核抑止論への傾斜は止めようもないのかもしれない。それを束ねる国家あるいはそのリーダーたちが、土着的な魂の、あるいは、自己利益と自己保身の虜になっているかの日々伝えられる状況がますます見通しを曇らせる。
    だからこそ、まずは「ルーフ」を知らなければならないのだ。そう「霊」と「魂」の違いの弁え。そうでなければ、別の「気魂」がやって来て飲み込まれるだけだ。どんなに反省して、恒久平和を願っても、魂のループからは、人類益を目指す創造も、生きていることを尊重し受け容れ合える個の涵養も期待できない。
    幸い日本国憲法には、わずかながらではあるけれど「ルーフ」の普遍性が息づいている。310万人の犠牲者への追悼にとどまらず、すべての戦争犠牲者に哀悼の誠を捧げよう。
    そして、日本が核兵器からも軍事力からも自由であるためには、魂をルーフの高みに引き上げるような心の構えが不可欠だ。この世に生を享けている一人の人間として、内なる「ルーフ」を育み、天使的な振舞いの積み重ねることが、日本人の精神的貧困に終止符を打つと同時に暴走した魂の防波堤になるはずだ。アッラーフ・アアラム(アッラーはすべてを御存知)。

    脚注

    [1] 「【日本軍兵士】日本人犠牲者310万人、アジア・太平洋戦争の真実」NewsPicks, 2019/8/13
    [2] 「キーウ」Wikipedia
    [3] 「ガザ地区」Wikipedia
    [4] 「ガザ地区の人口、戦争開始以来6%減少 — パレスチナ統計局」ArabNews, 02 Jan 2025 03:01:43 GMT9

    Special Thanks to: ChatGPT

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    Special Thanks to:  Mr. Hiroshi Yoshida, フリーランスWebライター



     
     
    独立研究者(法学博士) シリア・アレッポでの在外研究、大学教授などをへて現在はフリーランス。『クルアーン』の現代的解釈、イスラームの神学/法学の刷新/アラビア語読解を軸に神と人間に係わる諸事象の存在論的実践的把握目指す。一即是空 空即是一。万物流転。世界は学びに満ちている。

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