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【エッセイ】画面の向こうの境界線

    人は誰しも、何かしらの十字架を背負って生きている。華やかな栄光の陰に隠した挫折かもしれないし、あるいは誰にも打ち明けたことのない過去の傷痕かもしれない。

    私の場合は、かつて身を置いた警察という厳格な世界での記憶や誇り、そして現在進行形で向き合っている「病」という現実がそれにあたる。

    日々の体調の波は、潮の満ち引きのように予測がつかない。倦怠感が全身を重く縛る日もあれば、少しだけ呼吸が楽になり、陽の光が柔らかく感じられる日もある。そんな静かな体調の波をやり過ごしながら、それでも私が筆を執り、こうして言葉を紡ぎ続けるのは、表現することへの尽きせぬ愛着と、画面の向こうにいる温かい読者の方々と心を通わせたいという純粋な願いがあるからにほかならない。

    私の身体の事情や経歴については、古くからのフォロワーの皆様であればすでにご存じのこと。皆さんはそれを踏まえた上で、決して踏み込みすぎず、かといって見捨てることもなく、絶妙な距離感を保ちながらいつも穏やかに見守ってくださっている。

    コメント欄に寄せられる一言一言に込められた、その深い配慮と温かさに、私はどれほど救われてきたことだろう。言葉とは本来、人と人とを結びつけ、互いの孤独を癒やすためにあるものなのだと、日々の交流を通じて教えられてきた。

    しかし、インターネットという広大な空間は、時に予期せぬ冷たい風を吹き込ませる。先日、新しく私をフォローしてくれたその人は、最初こそ丁寧な挨拶とともに現れた。ネット社会の礼儀をわきまえた、好感の持てる来訪者に見えた。だが、日数が経つにつれて、その態度は静かに、しかし確実に変容していった。

    いつしかその人は、過去記事のコメント欄で私の病というデリケートな現実を盾に取るかのように、事あるごとに細かいコメントを寄せるようになる。

    長く現場に立ってきた私は、地域のさまざまな修羅場や、人間の剥き出しの感情と向き合ってきた。

    その経験からか、長年の生活安全や地域警察の現場で培われた「人間の発する言葉の裏側にある温度」を敏感に察知するセンサーのようなものを、悲しいかな、今でも持ち合わせてしまっている。

    相手はもしかしたら、世間一般で言う「善意」のつもりで、あるいは親切心からアドバイスをしているつもりなのかもしれない。

    「よかれと思って言ってあげているのだ!」という自己満足に浸っている可能性すらある。だが、どんなに表面的に取り繕おうとも、ことばの端々にトゲが完全に透けて見えていた。

    これが毎日となると大変だ。

    「病人なのだからおとなしくしていればいい」そんな冷ややかなニュアンスや、どこか見下すような体裁を取りながら、病である弱みを面白おかしくネタにするかのような、なんとも言えないイヤミがましさが、行間の隙間から這い上がってくるのだ。

    善意の仮面を被ったその態度は、病によって少しだけ弱っている私の心をピンポイントで抉るには十分すぎるほどの鋭さを持っていた。

    なぜ、顔も見えない、見ず知らずの他人に、ここまで心を波立たせられなければならないのか。なぜ、病に苦しみながらも前を向こうとする姿を、面白半分、あるいは歪んだ承認欲求の道具として消費されなければならないのか。悔しさが胸の奥で重く、黒々と渦巻いた。

    激しい怒りというよりも、どこか情けなく、そしてこんな人間もいるのかというやり場のない虚しさが、全身の血液を冷たくしていくような感覚だ。

    警察官時代、どんなに理不尽な現場に直面しても、私たちは法と規律をもって冷静に対処してきた。しかし、このSNSの小さな画面の向こう側にいる相手に対しては、制服も盾も通用しない。ただ無防備に、剥き出しの悪意やイヤミを受け止め続けなければならない構造になっていた。

    私は、葛藤の末にその方をブロックするという決断を下した。

    それは決して軽い気持ちでの措置ではない。「せっかくフォローしてくれたのだから大目に見るべきか」「相手にも悪気はないのかもしれない、私が気にしすぎなのだろうか」そんな迷いや自問自答が頭をよぎり続けた。だが、かつて現場で培った直感が、そして何より自分の心を守る防衛本能が「ここで一線を引かなければならない」と強く告げていた。

    自分の心を守るための、まさに「断腸の思い」での決断だった。SNSという空間は、お互いの心が健やかに交差する場所であってほしい。そこにしこりや、澱んだ悪意の空気を持ち込む者を遮断することは、表現者としての誇りを守るための、そして私自身の残された平穏な時間を守るための不可欠な防衛策でもあった。

    ブロックボタンを押した瞬間、指先には特有の冷たい感触が残ったが、同時に、胸のつかえがスッと降りるのを感じた。これでよかったのだ。不要な毒を自分の内側に入れる必要など、どこにもないのだから。

    窓の外に目をやれば、季節は巡り、穏やかな風が木々を揺らしている。こんなことのない、誰もが互いを思いやり、誰かの弱みにつけ込んで余計な棘で傷つけ合うことのない、本当の意味で平和な世界であればいいのにね。

    ふと、そんな当たり前で、しかし現代においては得難い平穏な日常の尊さに思いを馳せる。

    私はこれからも、私自身のペースで言葉を綴っていく。病と共に生きる日常をごまかすことなく、しかしそれに縛られることもなく、画面の向こうで本当に心を通わせ合える大切な人たちに向けて、偽りのない誠実な文章を届けていきたい。

    トゲのある言葉に立ち止まっている暇は持ち合わせていない。私の時間は、もっと温かく、美しいものにこそ使われるべきなのだから。

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    皆様のお陰もちまして、ここまで来ることができたこと、心より御礼申し上げます。

    今日の更新分はまた来週にさせていただきます。

    そして、手記を読んでただきありがとうございます。

    皆様、佳き一日を。

     
     
    著述家 元警察官 「A」プロダクション所属 主に詩やコラムを中心に在宅にて活動。千葉県我孫子市出身 茨城県水戸市で青春時代を送りました 和歌山県新宮市在住 日々の気付きを書き、あなたがここをそっと覗いていただければ私はそれだけ嬉しいです。

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