
人は自らの犠牲を「当然」とされることに絶望する
いつかの入社1年目のとある後輩くんから、
こんな報告を受けたときのお話。
「資格学校に通うため、週に3回時短勤務で16時退社になります!」
…?
なります?
してもいいですか?という許可ではなく、
なる!という宣誓…?
そもそもお前朝10時に来てるやん…してもいいですかって言われても、私が許可出せるわけでもないのに…ボスにまず言ってほしいけど、まずは試し打ちの標的にしたということね…
そんなことが頭を巡り巡って、とっさに出たのは
「ボ、ボスに聞いてみたら?」
という当たり障りない返事でした…
普段の出社時間から逆算すれば、週に約1日分の労働力がぽっかりと消滅します。
潤沢な資本を持つ大企業であれば、そういう働き方を推奨してるところもあるでしょう。しかし、私のいる会社は、資格勉強など実務の隙間を縫ってやるしかない、弱小アトリエ系設計事務所です。
誰かが抜けた穴は、
残された誰かが埋めるしかないというあるある。
(別に大企業でも同じだとは思いますよ)
もちろん、私も先輩や後輩や外注の方に手伝っていただいたこと、当然あります。先輩の抜けた仕事を引き継いだり、後輩が辞めて投げ出された仕事もすくい上げて完遂したことも当たり前にあります。
すべては持ちつ持たれつなのです。
だからこそ、後輩が時短をすることで私の仕事が毎週丸1日分増えること自体に、腹を立てたわけではありません。
私がどうしても許せなかったのは、その「誰かが自分の穴を埋めてくれる状況」を、さも当然の権利であるかのように振る舞う想像力の欠如に対してです。
仕事は魔法のように消えたりしません。
残された人間が残業を増やしたり、睡眠を削ることでしか、仕事の穴埋めはできないのです。
その「見えない防波堤」に守られていることへの敬意すらなく、自分の権利だけを主張する姿勢に、私は静かに、けれど激しく絶望していました。
「ふざけんな。給料が変わらないなら今すぐ辞める。あとは全部一人でやれ」――と言いたいその言葉を、必死に飲み込みました。
それ以上に、こいつがいれば最悪自分がやらなくても大丈夫やろ!という、舐められている事実に悲しみが上回りました。
いろいろ教えてきたけど、他人から見れば無駄に頑張る社畜にしか見えていないのだろうな…ということを理解してしまった気がしました。

(撮影:筆者)
でも、ここで感情を爆発させて仕事を投げ出せば、私を拾ってくれたボスに泥を塗ることになるし、筋が通らない。
何より、そんな無責任なことは自分が許せないのです。
だから私は、「事実と仕組み」だけを伝えることにしました。
具体的にどのような事実を並べ、
どうやって「環境を回す覚悟」を問うたのか。
それは、