
安全圏からの間違い探しに価値はない、過去の不格好な0→1への敬意
私が働く個人経営の小さなアトリエ系の建築設計事務所というのは、新卒入社やアルバイトに来ていた人がそのまま就職、という流れが多いです。
しかし、若いがゆえに、1.2年で転職、慣れない激務ゆえに体調を崩して退職、ということが非常によく見られます。統計は取れませんが、3年以内にその職場からいなくなる人も多いのではないでしょうか。
要するに、スタッフの入れ替わりが早く、毎年のように業務引継ぎが発生する職場になりがちです。
すると時折、過去の担当者が残した図面や申請資料に対して
「間違いが多くてどこが正しいか分からない」
と、冷ややかに採点して悦に浸る人間に遭遇することがあります。
安全圏から石を投げる人たち
分厚い束になった確認申請の資料における、数十項目の修正跡。
人間がゼロから作成した資料として、その程度のミスは起こり得ることです。ましてやそれは、当時の新人担当者が右も左も分からない中、必死に模索して形にした成果物です。
自分自身はまだ、一からすべての仕様を構築した経験がないにもかかわらず、過去の未完成な奮闘を現在の整えられた基準で裁き、安全圏から石を投げる。
その当事者意識の欠如と想像力の薄さに、
私は強い危機感を覚えました。
組織の正論と個人へのリスペクトは別物
もちろん、冷静に考えれば、そのスタッフが言っていることは組織論としては100%正しいのです。
本来、どんな状況で誰が作成してもミスなく精度の高い資料が作れるような、フォーマットや仕組みが整っているべきです。
それができていなかったのは、当時の経営側(組織)の環境整備の甘さであり、ツケでした。
事実、ここ数年で私自身がそのツケを払い(というか尻を拭い)、自分が働きやすい環境にするべく必死に事務所のベースアップを行い、仕組みを改善してきたからこそ、今の「エラーが起きにくい環境」があります。
ですから、
「組織の仕組みが悪かった」という指摘そのものは、
真摯に受け止めるべき正論です。
しかし、「組織の環境整備が甘かったこと」と、「その過酷な環境下で必死に戦った個人へのリスペクトを欠くこと」は、全く別の問題です。
システムが不完全だった時代に形にしようとした個人の奮闘を、すでに整えられた安全圏から「間違いが多い」と嘲笑う権利は、誰にもありません。
「簡単な環境」は誰が作ったのか
過去の仕事に文句を言う人には、決定的に欠けている想像力があります。
それは、