
1泊30万円の砂漠の洞窟は「高級」か? 建築士が考える「豊かさ」の正体
はじめに
皆さんは、「高級ホテル」と聞くとどんな場所を思い浮かべるでしょうか。
シャンデリアが煌めくクラシカルなロビー、南国のリゾート、あるいは摩天楼を見下ろす都市型のラグジュアリーホテル。日本国内はもちろん、世界中には素晴らしいホテルが数えきれないほど存在します。
私自身、こうしてnoteで建築や旅の発信をしてはいますが、年齢も20代、人生経験も経済力もまだまだ未熟な旅人の一人に過ぎません。「高級ホテルとは何ぞや」という高尚なテーマを語る資格があるかと問われれば、正直なところ自信はありません。
しかし、だからこそ書き残しておきたいと思いました。
今の私が感じる「豊かさ」の定義と、10年後、20年後に感じるそれは、きっと違うはずだからです。多少の恥をかくことを承知で、今の等身大の思いをここに記します。
いつか世界中を旅した後にこの文章を読み返し、自分の目がどう変わったのか、あるいは変わらなかったのか。その答え合わせをするための、未来への手紙のようなものです。
「足し算」で測る高級
まずは建築士としての小難しい視点はいったん脇に置いて、一般的にイメージされる「高級ホテル」の要素を並べてみます。私たちが旅行予約サイトで検索条件を絞り込むとき、あるいはSNSで憧れのホテルを探すとき、無意識に求めている条件と言い換えてもいいかもしれません。
空間のゆとり
客室はもちろん、エントランスやラウンジなどの共用部が圧倒的に広い。物質的な質
大理石や銘木など高級感あふれる素材、座り心地の良いブランド家具、肌触りの良いリネン。食の体験
独創的で美しく、量も質も満足できる美食の数々。スパ・浴室
部屋付きの露天風呂や広大なサウナなど、水回りのクオリティが高い。眺望と環境
その土地特有の絶景を独り占めできるロケーション。人的サービス
スタッフの教育が行き届いており、こちらの要望を先回りして叶えてくれるホスピタリティ。アクティビティ
星空観賞やプライベートツアーなど、そこでしかできない体験。価格
そして、これらすべての対価としての高額な宿泊費。
これらは間違いなく「高級」の条件です。
要望をすべて満たしてくれて、美味しいものを食べさせてくれて、ふかふかのベッドで眠る。それは分かりやすく確実に私たちを幸せにしてくれます。
しかし、これらは言うなれば「足し算の高級」です。サービスを足し、設備を足し、食材のグレードを足していく。そこには際限がありませんし、上には上がいます。
勘違いしていただきたくないのは、それが嫌いとかダメとかいうわけでは決してありません。(至れり尽くせりなホテル、大好きです)

ただ、現代の情報過剰な世界の中で、私たちは常に「何かを与えられること」に慣れすぎてはいないでしょうか。
「映える写真が撮れること」「何でも言うことを聞いてもらえること」
何かを与えられることで得られる満足感には、いつか限界が来るような気がしてなりません。それは、人間の欲深さが際限ないからこそ、満たされた瞬間に次の欠乏を感じてしまうからかもしれません。
思考実験
ここで一つ、極端な例え話をさせてください。
広大な砂漠の真ん中に、洞窟を掘り込んで作られたホテルがあるとします。
そこに行くには車で何時間も揺られなければなりません。たどり着いても周りには本当に何もなく、一歩外に出れば熱射で倒れてしまうような過酷な環境。 部屋にはテレビもなければ、ルームサービスですぐにステーキが届くこともありません。
ただ、分厚い土壁に囲まれた静寂と、切り取られた窓から見える砂丘、そして圧倒的な星空があるだけ。
このホテルの宿泊費が、1人1泊30万円だったとします。
さて、このホテルは「高級」と呼べるでしょうか?
「便利さ」や「快適さ」という従来のものさしで測れば、これは不合格かもしれません。しかし、そこに泊まった体験は間違いなく「最高」のものになる予感がします。
なぜなら、そこには現代において最も高価な資源である「空白」があるからです。
スマホの通知も、仕事の連絡も、街の喧騒もない。強制的に社会からのノイズを遮断され、自分自身と向き合わざるを得ない時間。 お金を出してわざわざ不便を買い、物理的なサービスではなく、精神的な充足を買う。
もしこれを「高級」と呼ぶのなら、それは物質的な豊かさを超えた、ある種の哲学の領域にあるのかもしれません。
「引き算」で測る高級
ここで少しだけ、建築士としての視点に戻ってみます。 この砂漠の洞窟のように「引き算」によって成立するラグジュアリーこそが、建築が目指すべき一つの到達点ではないかと思うのです。
素晴らしい建築は、過剰な装飾や言葉を使いません。 例えば、完璧に計算された窓の配置があれば、壁に高価な絵画を飾る必要はありません。移ろいゆく光と影だけで、空間は十分に満たされるからです。
訪れる人にどんな想いになってほしいか。
その願いを込めた「場所」を提供することこそが、我々の仕事です。
その場所を覆う器が「建築」であり
そこを満たす光と影で移ろう何もない空白が「空間」です。
敷地や環境と対話しながら
その「空白」を意図的にデザインできるということ。
それこそが、建築士の役目であると私は思います。
「何もしない」「何も持たない」
そんな贅沢を許してくれる空間を作ること。それは、豪華なシャンデリアを吊るすことよりもはるかに高い技術と知性を要します。
どんなものさしでも測れない、自分の中でしか確認できない満足感。それを感じ取れる場所に身を置くことこそが、これからの時代における本当の「高級ホテル」の条件なのかもしれません。

編集後記
偉そうなことを書き連ねてきましたが、そんな私が長年いつか必ず泊まりたいと憧れ続けているホテルがあります。
建築家・堀部安嗣さんが設計を手掛けた「guntû(ガンツウ)」という、瀬戸内海を漂う宿(客船)です。
堀部さんの建築は、決して派手ではありません。しかし、プロポーション、素材、光の扱いにおいて、狂気的なまでに研ぎ澄まされた静寂があります。
ガンツウは、船という閉ざされた空間で、瀬戸内の穏やかな海と、流れる景色と、建築と、自分だけになる場所です。(堀部さんの建築紹介も必ずいつかやります)
お値段は、3日間のクルーズで1人数十万〜100万円超。 今の私には目玉が飛び出るような金額です。まさに高嶺の花。ですが、この価格は単なる豪華さへの対価ではなく、そこにある「静寂」と「時間」への対価なのだと思います。
自然と一体になり、自分自身に還るための船。 いつか胸を張ってその船に乗れるよう、建築士としても、人間としても、日々粛々と生きていきたいと思います。
その時、このnoteを読み返して、私は何を思うのでしょうか。