
Googleマップに残る輪郭、「世界を美しく整える」生き方
自分の携わったプロジェクトが竣工し、しばらく経ったある日のこと。
ふとGoogleマップの航空写真を開くと、そこにあったはずの空き地や古い建物が消え、自分が図面上で何度も何度も線を引いた新しい建築が、はっきりと地球の風景の一部として立ち上がっているのを見つける瞬間があります。
都市が書き換えられ、地図に新しい輪郭が刻まれる。
自分が生み出したものが物理的な質量を持ち、何十年とその場所に残り続けるという事実は、何度経験しても鳥肌が立つような感動をもたらしてくれます。
初めて担当した物件の屋上に上り、そこから見渡した夕景を、私は今でも忘れることができません。
自分が図面の上で引いていたただの線が、現実に重力に耐え、圧倒的な質量を持って3D空間として出現する。
このリアルな手応えが生きていて得られることこそが、建築という仕事の最大の喜びだと思います。
私たちは仕事である以上、当然ながら対価としてのお金を稼ぐ必要があります。プロとして正当な設計料を請求し、利益を上げることは絶対に妥協してはならない生命線です。
しかし、もしお金を稼ぐことだけが本当の目的なのであれば、建築士は割に合わない仕事なのでしょう。
果てしない法規チェック、厳しい予算とのにらみ合い、現場での意見の衝突、そして終わりの見えない図面の修正…
効率や労力だけで言えば、世の中にはもっとスマートで、手っ取り早く稼げるビジネスがいくらでも存在します。
それでもなお、私たちがパソコンの画面と向き合い、図面を書いて建築にしがみつくのはなぜでしょうか。
それは、
自分の手で世界を美しく整えることができるという、
極めて根源的で純粋な欲求があるからです。
バラバラだった土地の文脈を読み解き、混沌とした条件に秩序を与える。
窓から見える水平線の高さを計算し、光と影の落ち方を操作し、空間のノイズとなる余計な線をミリ単位で消し去っていく。
植栽ひとつをとっても、その土地に本当にふさわしいものが何かを問い直す。そうやって途方もない検討を繰り返し、風景の解像度を上げていく行為そのものに、私たちは取り憑かれています。
世間の99%の人は、壁の目地が数ミリずれていようが、照明の角度が少し違っていようが気にも留めないかもしれません。
そんな誰も気づかないような細部に執念を燃やし、世界を少しだけ美しい状態に整えようとする。


タイパやコスパがもてはやされ、いかに楽をして稼ぐかが正義とされる現代において、それは本当にバカみたいに真面目な生き方なのだと思います。
しかし、情報やデジタルデータがどれだけ世界を覆い尽くそうとも、人間が生きるための物理空間を誰かが整えなければ、この社会は成立しません。
誰も見ていない細部にこだわり、空間の純度を上げようとする人たちの「割に合わない執念」によって、この世界が支えられている側面は確実にあると思います。
誰に褒められなくても、地図に残る確かな線を引く。
そんな不器用でロマンに溢れたこの生き方を楽しみながら、誇りにも思っています。
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