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【発見】海ポテトは、鶴見で砲丸を投げていた! #海ポテト探してくれますか

    今日も、捜索創作を続けています。

    海ポテトを探していたら、横浜市鶴見にいました。

    富士山めがけて、砲丸投げをしていました。 何度も、何度も。 がんばっていました。

    その姿に、私はある少年の姿に思いを馳せました。
    少し、昔話にお付き合いください。

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    少年は、鶴見で砲丸を投げていた。

    晴れた日には、遠くに富士山が見えた。工場の屋根と電線と、煙に曇った空の向こうに、白い頂だけが抜けるように立っていた。少年はその方角へ向かって、砲丸を構えた。

    少年は、届くと思っていた。

    誰かが聞けば笑ったかもしれない。鶴見から富士山まで、砲丸が届くはずはない。鉄球は鉄球であり、山は山である。人間の腕から放たれたものが、町を越え、川を越え、野を越え、あの白い頂に触れるはずはない。

    しかし少年は、そういうふうには考えなかった。

    砲丸を首のそばに寄せる。鉄の冷たさが皮膚に移る。息を止め、膝を沈め、腰をひねる。胸の奥から肩へ、肩から腕へ、腕から指先へ。体の中にあるものを、一つの点へ集める。

    そして、押し出す。

    砲丸は弧を描いて飛んだ。

    それは、中学生の少年の腕から放たれたものとは思えないほど、鋭く、遠くへ伸びた。土を叩く音は重く、周囲の大人たちが足を止めて振り返るほどの飛距離だった。

    けれど、少年はその落下点に満足してはいなかった。彼が見ていたのは、その向こうだった。鉄球が描いた凄まじい弧の、その延長にあるものだった。

    富士山。

    少年は、もう一度拾いに行った。土のついた砲丸を手で拭う。完全にはきれいにならない。鉄には土が残り、手にも土が残った。それでよかった。砲丸は飾りではない。汚れない砲丸など、少年には信じられなかった。

    もう一度構える。

    もう一度投げる。

    砲丸は富士山へ向かった。少年の中では、そうだった。

    やがて少年は、海を渡ることになった。

    ブラジルへ持っていける荷物は限られていた。衣類、生活に必要な道具、家族の荷物。砲丸は持っていけなかった。重すぎた。生活には役に立たなかった。役に立たないものを持っていけるほど、旅は甘くなかった。

    少年は、砲丸を置いていった。

    惜しいとは言わなかった。泣きもしなかった。誰かに訴えもしなかった。ただ、船に乗った。

    けれど、体は忘れなかった。

    甲板の上で風を受けているとき、手のひらは勝手にあの丸い重みを思い出した。首のそばに砲丸を当てる姿勢を、肩は覚えていた。人は、頭であきらめたものを、体であきらめきれないことがある。

    ブラジルの土は赤かった。

    遠くから見ると美しい色だった。しかし畑に立てば、美しさはすぐに消えた。赤土は靴の底にまとわりつき、爪の間に入り、汗と混じって手のしわへ沈んだ。朝からエンシャーダを振った。土を起こし、草を払い、また土を起こす。一つの畝が終われば次の畝がある。次が終われば、その次がある。畑は、どこまでも終わらないように見えた。

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    エンシャーダの柄は、すぐに手の皮をむいた。最初は痛みがあった。痛みはやがて熱になり、熱は硬い皮になった。少年は文句を言わなかった。文句を言うには疲れすぎていた。けれど、黙っていることと、諦めていることは違った。

    少年の中では、まだ砲丸が飛んでいた。

    夜になると、鶴見に置いてきた砲丸の重みが戻ってきた。何も持っていない手が、ふと首のそばへ行く。そこには鉄がなかった。あるのは熱い空気と、虫の声と、赤土の匂いだけだった。

    少年は、その空白を憎んだ。

    畑の疲れよりも、何もない手のひらの「空白」のほうが、ずっと重かった。

    ある日、兄が砲丸を買ってきた。

    本物だった。

    石ではない。丸めた土ではない。代わりになる何かではない。鶴見で投げていたものと同じ、冷たく、重く、黙った鉄の球だった。

    「これで投げろ」

    兄はそれだけ言った。

    少年は受け取った。手のひらが沈んだ。ブラジルの熱気の中で、砲丸だけが冷たかった。その冷たさが皮膚に触れた瞬間、少年は喉の奥が詰まるような気がした。

    兄は分かっていたのだ。

    この少年に必要なのは、慰めではなかった。休みでもなかった。やさしい言葉でもなかった。砲丸だった。本物の重みだけが、少年の中で腐りかけていた何かを、もう一度外へ引きずり出すことができた。

    その夜から、少年はまた投げ始めた。

    昼はエンシャーダを振る。夜は砲丸を持つ。農作業で腕は重く、腰は痛み、足は泥に沈んだ。それでも砲丸を首のそばに当てると、体の中に別の力が入った。畑の疲れは少年を下へ引いた。砲丸の重みは、少年を前へ押した。

    弟が距離を測った。

    暗い土の上に砲丸が落ちる。弟が走る。落ちた場所を確かめる。少年はそこまで歩き、鉄球を拾い上げる。砲丸には赤い泥がついていた。手で拭っても、きれいにはならなかった。泥は鉄にも残り、手にも残った。

    それでよかった。

    泥のつかない砲丸など、この土地にはなかった。

    少年はもう一度構えた。首のそばに鉄を置く。膝を沈める。腰をひねる。胸を開く。息を止める。全身の奥から何かを押し出す。

    砲丸は夜の中へ飛んだ。

    放物線は、鶴見の空とブラジルの空をつないだ。富士山へ向かって放たれた線は、海で途切れたのではなかった。少年の手を離れ、船を越え、赤土の上でまた始まっていた。

    何度も投げた。

    距離が伸びた日は、もっと伸ばしたくて投げた。距離が縮んだ日は、取り返したくて投げた。結局、毎晩投げた。弟は測った。兄は多くを言わなかった。

    言葉にすれば軽くなるものがある。 兄が渡したかったのは、励ましではなく、立ち向かうべき「重み」そのものだった。その沈黙こそが、兄の願いだった。

    エンシャーダを振る腕と、砲丸を押し出す腕は、同じ腕だった。一方は土を起こした。一方は少年自身を起こした。少年はそれを言葉では知らなかった。ただ、体は知っていた。

    人は、思った通りになるという。

    思った通りにならないと思っている者も、思った通りにならないという思いの通りに生きている。ならば、やはり人は思った通りになるのだ。少年がそんな理屈を知っていたわけではない。

    けれど、彼の体は知っていた。

    思うとは、頭で願うことではない。毎晩、同じ重みを持つことだ。泥を拭い、もう一度構え、同じ場所から少しだけ遠くへ押し出すことだ。言葉より先に、体で未来を決めてしまうことだ。

    少年は、思った通りになった。

    1983年6月2日、蔵前国技館。第1回IWGPリーグ優勝決定戦。

    何年もあと、少年だった男の前に、ハルク・ホーガンが立った。

    その体は重かった。肩、胸、腕、首。すべてが厚く、太く、金色に光っていた。観客の声が渦になり、照明がリングを白く照らした。その中心に立つハルク・ホーガンは、人間というより、肉体を持った砲丸に見えた。

    ホーガン、、、、。

    その名の中には、砲丸の音があった。

    ただの音のいたずらにすぎない。ホーガンは鉄球ではない。生きた男であり、意思を持ち、腕を振る。しかし、少年だった男には、その音が無関係には思えなかった。

    鶴見に置いてきた砲丸。

    ブラジルで兄が買ってきた砲丸。

    赤土に落ち、弟が距離を測った砲丸。

    その重みが、長い年月をかけ、人間の形をしてリングへ戻ってきた。

    砲丸は投げれば飛ぶ。飛べば落ちる。しかし、本当に重いものは、落ちて終わらない。地面に跡を残し、手のひらに跡を残し、肩に跡を残す。少年が投げた砲丸は、赤土に落ちて終わったのではなかった。見えないところで転がり続け、日本へ戻り、リングへ上がり、観客の声を吸い込み、ホーガンという巨大な肉体になった。

    アックスボンバーが来た。

    腕が振られる。衝撃が走る。

    音が遅れて届いたように見えた。

    体が崩れた。舌が出た。

    観客の声が、一瞬、大きな穴のように暗くなった。

    その瞬間、かつて鶴見で砲丸を投げ、ブラジルの赤土でエンシャーダを振るい、兄の買った砲丸を夜ごと投げ続けた、あの少年だった男は何を見たのだろう。

    蔵前の天井か。ホーガンの腕か。リングの白い光か。それとも、ブラジルの赤い土か。

    エンシャーダを振る少年。泥のついた砲丸。距離を測る弟。黙って砲丸を渡した兄。鶴見の空。遠い富士山。

    投げたものは、いつか戻ってくる。

    兄が渡した砲丸は、ただの鉄球ではなかった。弟の体に刻まれた未来だった。少年はそれを投げた。何度も投げた。赤い土に落ちるたびに拾い上げ、泥を拭い、また投げた。

    そして長い年月のあと、その重みはホーガンとなって戻ってきた。

    倒れた顔は、美しくなかった。英雄の顔でもなかった。舌を出し、意識を失い、見る者を凍らせる顔だった。

    しかし、あの顔は終わった者の顔ではなかった。

    畑で倒れそうになっても、翌朝またエンシャーダを握った少年の顔だった。夜の土に落ちた砲丸を、黙って拾いに行った少年の顔だった。

    道は、最初からあったのではない。鶴見の空にも、ブラジルの赤土にも、蔵前のリングにも、はじめから道などなかった。あったのは砲丸だけだった。エンシャーダだけだった。泥だけだった。兄の沈黙だけだった。弟が測った距離だけだった。

    少年は投げた。

    投げたあとに、線ができた。

    歩いたあとに、道ができた。

    鶴見で富士山に向かって放たれた砲丸は、目に見える世界では、やがて地面を叩いた。それは同年代の誰よりも遠く、非凡な才能を証明するに十分な距離だった。

    しかし、少年が目指した距離からすれば、それはまだ始まったばかりの点に過ぎなかった。

    人生は落下点だけでできているわけではない。

    あの砲丸は、ブラジルへ渡り、赤土へ落ち、兄の手で再び少年の掌に戻り、夜ごと投げられ、長い年月をかけてリングに立ち、ホーガンという名の重みとなって、少年だった男へ帰ってきた。

    だから、思う。

    あの砲丸は、まだ飛んでいる。

    そして、あの砲丸は、富士山に届いていたのだ。

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    ある少年とは、ご存知の通り、アントニオ猪木さんです。

    あの丸くて白い体の中に、私は、世界的スーパースターとなる原石を見たのです。


    編集後記

    記事サムネイルは、Gemini、Antigravity 2.0、ChatGPTの3者で作成し、Claudeに審査してもらいました。Antigravity 2.0で作成したものに軍配があがりました。

    記事中に挿入した小説は、以前TALESにあげたものを持ってきました。

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    #闘魂昇華
    #闘魂連鎖
    #Gemini
    #Gemini4
    #Gemini4Argon
    #AIとできたこと


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    1979年福岡県旧庄内町出身。自称・闘魂家。中学生、高校生、専門学校生、大学生、社会人を対象に、クラウドやブロックチェーンなどを教える。「日本マイクロソフト賞④」など受賞歴多数。著書『Elixir実践入門(技術評論社)』。趣味は将棋、読書、プロレス好き、アントニオ猪木。

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