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Photo bychiyoizmo

酒さと悪性リンパ腫とレバニラ炒め

    3年前の夏、私は突然顔が真っ赤に火照り腫れあがり、顔中に小さいニキビのようなものが出来る皮膚病「酒さ(しゅさ)」に罹った。(←決して酒の飲み過ぎで出来る病気ではないw)

    酒さとは?
    ほほや額などを中心とした長時間続く赤ら顔のことです。敏感肌をともなうこともしばしばあります。繰り返す顔のほてりと発赤によって発症し、徐々にニキビに似た発疹も出てくることがあります。

    はなふさ皮膚科より引用

    私は仕事を休んで皮膚科を受診し、抗生剤を飲み家で休んでいた。
    夕方、突然家の電話が鳴った。
    救急隊員からだった。
    「平山さんの娘さんですか?お母様が熱中症で倒れて今救急病院に運ばれています。今すぐ迎えに来られますか?」
    父はサウナに行っている時間だったので、私の所に電話が来たのだ。

    「この顔で行かなければならないのか」

    正直、母の心配よりもこれだった。凄い顔だ。まるでゾンビのような顔だった。出来れば外出なんかしたくない。抗生剤で頭もぼーっとしている。
    仕方なく大きなマスクをして車で病院に向かった。

    病院に着くと、私の顔を見るなり「ごめんねぇ」と言う一見元気そうな母がいた。
    「さ、帰るよ」と母を促すと、医師が私を制止した。
    話を聞くと、念の為胸部のレントゲンを撮った所、肺に大量の水が溜まっているとの事。このまま暫く入院した方がいいと言われた。

    すぐに帰宅できると思ったが大変な事になった。私は夫に電話で詳細を話し、子ども達の夕飯を頼むと伝えた。
    「あなたの顔は大丈夫なの?」と言われたが、そうだった。私はゾンビ顔だった。

    それから父と二番目の兄が病院に来て、
    「お腹が空いているからどこかでメシでも食べよう」
    と言われたが、この顔で外食なんてとんでもなかった。
    私はコンビニで母の歯ブラシセットと自分のおにぎりを買い、病室に戻りマスクを外しておにぎりを食べた。

    「そんな顔なのにごめんね」

    私の顔を見た母に言われた。
    本当だよ。出来れば2、3日薬が効くまで家で誰にも会わずに過ごしたかったよ。

    翌日も、

    入院に必要な着替えやら何やらを届ける為に私は朝から病院へ向かった。

    顔は一晩寝て幾分腫れと赤みはひいているが、この顔中のニキビのようなツブツブが乾燥して剥がれるまでに2週間位はかかりそうだ。はぁ、憂鬱。

    母の病院に着いて着替えなどを届けると、医師から話を聞かされた。

    「レントゲンの結果、胸部に影が出来ています。詳しく検査しなければわかりませんが、恐らく縦隔腫瘍が疑われます。」との事。

    縦隔腫瘍とは?
    胸膜によって左右の肺の間に隔てられた部分を指し、心臓、食道、気管、気管支、大動脈や大静脈、胸腺、神経などが含まれます。この縦隔に発生した腫瘍のことを総称して縦隔腫瘍といいます。

    済生会HPより引用

    すぐに紹介する病院に搬送したいとの事だった。その病院は家から車で1時間程かかる場所にあり、医師から「うちの病院は縦隔腫瘍を専門に扱っていないので、すぐに転院した方がいい」と伝えられた。

    しかしながら私は、

    「すみません。その病院は家から遠いので〇〇大学病院じゃダメですか?紹介状は〇〇大学病院宛に書いて下さい」

    医師はびっくりしていた。患者よりも自分の都合を優先している私に対して、何を言っているのだ?という顔をしていた。

    病院間の系列とかそんなのは私の知った事ではない。この先、長い入院生活になるであろう母の見舞いに行くのなら、家から近いに越した事はない。私は医師の言う通りではなく、自分の意見を押し通した。

    病院は、渋々私の意見を受け入れてくれた。

    その後、無事に家の近くの大学病院に搬送された母は再度診断を受けた。

    「余命はあと半年です」

    私の頭の中は何がなんだかわからなくなった。父と一緒に母の余命宣告を受けたが、2人とも茫然自失となり、父は「俺は先に帰る。今は何も考えられない」と一人で帰ってしまった。私は母の病室に着替え等を届けて、母から「顔、少しはマシになったね」と言われたが、私の頭の中は何が何だかわからない状態だった。

    帰り道、「母が死ぬ」と号泣しながら自転車を漕いだ。

    帰宅したのは夜の9時を過ぎていた。夫が夕飯の惣菜を買ってきてくれていた。

    レバニラ炒め


    なんでレバニラやねん!
    誰がレバニラ好きやねん!

    「レバニラ好きかなと思って」って・・・なんだか笑えた。15年以上も一緒にいて、レバニラなんて食べたことないだろ。
    泣きながら、笑いながらレバニラを食べた。夫も子ども達も何も言わなかった。泣きながら食べる私を、家族はそっとしておいてくれた。

    母の余命宣告を受けた数日後、医師から連絡を受けた。

    「精密検査をしましたが縦隔腫瘍ではありませんでした。悪性リンパ腫です。所謂血液のガンですがお母さまの場合は治ります。うちは悪性リンパ腫のとてもいい医師がいるので安心してください」

    との事。

    え???

    余命は?

    って言うか大学病院に搬送して良かったじゃん。

    更に、

    悪性リンパ腫の名医と話をした時に、医師がとんでもない事を口走った。

    「えっと、リウマチの薬飲んでたみたいですけど・・・これは免疫抑制剤・・・なんで免疫抑制剤飲んでたのかな?はぁ、免疫抑制剤・・・」

    母の悪性リンパ腫は、リウマチの薬として出された免疫抑制剤を長年服用していた事が原因だったとの事。はっきりとは言いませんよ。医師が医師の過失を認める訳にはいきませんもの。ちなみに、きちんと論文も出ています。リウマチの薬として出された免疫抑制剤が悪性リンパ腫を引き起こすということも。

    こちらにも書かれています。

    おいおいおい

    ちょ、待てよ

    *

    その後母は4か月入院して抗がん剤治療を受け、無事に悪性リンパ腫を完治しました。家の近く(私の職場と家の間)に入院したおかげで、私は毎日仕事帰りにお見舞いに行く事も出来たので、母も寂しくならずに過ごせました。

    (今のような病院が面会禁止の状態だったら母は精神病んで死んでたと思う)

    私は何が言いたいかと言うと「誰かに決められた事が絶対じゃない」という事。

    「素人のくせに偉そうに言うな」と言われるかもしれないけど、素人だからこそわかることがある。今まで自分は40年以上、この感覚で生きてきた。それならこの感覚を信じて物事決めたっていいじゃない。自分の都合で決めたっていいじゃない。

    そして、

    母も父も高齢だから「その時」はもうすぐ来る。
    私はレバニラを食べて泣いた夜、あの時に1つの覚悟をした。だからいつ「その時」が来ても、という思いでこれからも父と母に接する。たとえ、2人が今死んでも私は何も悔いは無い。悔いが残らない事を、私は今までやってきたと思っているから。


     
     
    東京都下に住むアラフィフの陽気で思想強めな主婦>>>>プロフィール記事をお読み下さい

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